公平な相続とは何か?(2)

前回の実験(「 公平な相続とは何か?(1) 」参照)の結果を予測できましたか?

 

 

経済的合理性の観点から客観的に考えれば,金額を自分で決められない方(決められたお金をもらうだけ)になってしまった参加者は,たとえ相手にいくらと決められても,もらえるだけマシです。もらって損はありません。

したがって,どんな分け方を決められても,承諾しないことは自分の損にしかなりません。答えはYESに決まっているはずです。

 

翻って,くじ引きに当たって金額を決められる方の参加者になったら,どうでしょうか。

もちろん,素直に半々にすることもできますが,たとえ自分が多く受け取ると決めても,相手は承諾するしかない立場です。

したがって,自分を多めに決定するのが合理的判断です。

 

 

ところが,この実験の結果,多くの参加者たちは,きっちり半々に分けた5000円ずつを受け取って,喜んで帰りました。

自分を多めにする決定をした参加者も少数いましたが,その場合,もう1名が不公平な決定に不満でほとんど承諾をせず,2名ともお金を受け取れずに帰る結果となりました。

 

 

このように,ある特定の文化の下にいる人間は,経済的合理性よりも公平性を重視する結果,客観的には割の合わないはずの「不合理な決定」を好んで行う傾向があるのです(「公平性(に関する認知)バイアス」)。

実験内容からこの結果を予測できた人は,直感的に「公平性バイアス」の存在を前提に判断できた,常識ある賢明な方だと思います。

 

そしてこれこそ,「相続人の不思議な心理」を解く鍵です。

 

第三者の立場から見れば,相続財産なんて天から降ってきたようなものです。もらえるだけマシじゃないかというのが,経済的合理性に基づく客観的判断のはずです。

しかし,いったん当事者の立場になると,誰でも「公平」という名の目に見えない観念に支配され,一見すると「不合理な決定」を導くのです。

 

もちろん,現実の相続争いはもっと複雑で繊細(ときにはもっと極端)です。

被相続人(亡くなった人)の生前の言動や相続人との関係,共同相続人同士の関係などの様々な事情の下,そもそも当該相続において「公平」とは一体何なのかが争われているのです。決して単純ではありません。

 

けれども,そこにはほぼ間違いなく,人間心理の一つの側面である「公平性バイアス」が存在しているのです。

 

 

 

ところで,この実験はアメリカで行われました(日本で行っても同じ結果になるでしょう)。

しかし,同じ実験を某国のある特定の部族で行った際には,まったく異なる結果になったそうです。

すなわち,かなりの高確率で,決定者は自分に都合の良い割合を勝手に決め,もう一人はその不公平な決定をためらいなく承諾し,2名とも満足して帰っていったのです。

 

彼らの文化の中には,どこの誰が決めたのかも分からない「公平」などという目に見えない観念に価値はなく,目の前のお金を実際にもらえるかどうかだけが問題だったのです。

常識も観念も文化も,特定の時代の特定の場所でしか通用しない幻想にすぎません。

 

 

したがって,もしあなたが,アメリカでの実験参加者の大多数と同様に,人間の「公平性バイアス」の存在を予測して(常識ある賢明な)判断をしたとすれば,それは,無意識のうちに特定の「文化バイアス(文化に関する認知バイアス)」に支配されていた結果である,とも言えるでしょう。

 

人間は,「常識」の幻想からは逃れられないようです。