台湾のブログ【過去の法律夜話】

埼玉・東京エリアを中心に活動する弁護士吉岡毅の本音ブログ「法律夜話」の過去ログです。

こちらのページでは,これまでの法律夜話から,私の大好きな台湾に関するブログ記事だけを集めました。

一番上が台湾に関連する最も古いブログ記事で,上から下に向かって順に新しい記事になり,古い記事から最新記事まで順番に読むことができます。


ダラン,だらん,達浪……

台湾ドラマ『僕のSweet Devil』(海派甜心、Hi My Sweetheart)を視ました。

なんというか,ふざけっぷりと手抜きっぷりとまじめっぷりのハイバランスがとても気持ちよくて楽しかったです。

主演の羅志祥(ショウ)は終始コミカルな演技を魅せていますが,そのためにきちんと研究と練習を尽くしていることが伝わってきます。

ストーリーがどうだとか,毎回なにかと突っ込み所があるだとか,回想シーン多くない?とか,色々な感想がなくもないのでしょうが,そんなことはこの際どうでもよくて,要するに楊丞琳(レイニー・ヤン)が可愛いのですべて許されているわけです。とにかく最初から最後まで寶茱さん(レイニー・ヤンの役名)が怒って泣いて笑って泣いて,あと泣いて。あ,泣いてが多いですね。お陰様で,みているこちらもそりゃもうたくさん泣きましたとも。

テレ玉さん,台湾ドラマ枠を作ってくれてありがとう!(ついでにピンクパンサーも再放送してください。)

 

ところで,このドラマの後半に,逮捕された犯人が警察署内で面会者と接見するシーンがあります。

その面会場所が,日本のような接見室(アクリル板で仕切られた留置人との面会のための専用の部屋)ではないのです。何の仕切りもない普通っぽい部屋で,ソファーに座ってごく普通に話しています。ちょっと離れて警官がひとり立って見ているだけでした。

でも,なにしろコメディタッチのドラマですので,実際はどうなのかが気になります。

ちょうど今,日弁連の委員会で世界各国での接見の条件や接見室の状況などを調査しているところです。台湾も調査対象国に入っていますので,確認できたらこのブログでご報告しようと思います。(注:「関羽に想いを」2014年9月28日参照。) 


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台湾風かき氷屋さん,はじめませんか?

台湾・五路財神廟からの眺め
五路財神廟(新北市)

今年も台湾に行ってきました。天候にも恵まれて,すごく楽しめました。暑かったけど。

 

台湾訪問は,もう10回以上になります。日本で手に入るガイドブックにはあまり載っていないようなところを訪ねて廻ることが増えました。中でも,廟巡りと夜市巡りと老街巡りは外せません。

 

老街(ラオジエ)というのは,清朝や日本統治時代に造られた古い街並みが保存・補修されていて,時代がかった昔風の商店街として今も賑わっています。埼玉で言うと,「小江戸・川越」みたいなイメージでしょうか。

今回は日程が短かったこともあり,ずっと台北近辺で過ごしましたが,それでも,割と珍しい老街を幾つも訪ねることができました。

 

 

たとえば,石碇老街は,川沿いにへばりつくようにして通路と建物が積層状に連なって続く不思議な構造です(「吊脚樓」と言うそうです)。こぢんまりした老街ですが,石造りの建物が美しい自然の中に溶け込んだ独特の風景で,気持ちだけはとても涼やかになりました(暑いもんは暑い)。

もちろん,皮蛋や青菜(空心菜)や三層肉など,美味しいものでいっぱいでしたよ。

あぁ,こんなことを書いているとまた涎が……。

 

台湾・石碇老街の川沿いの景色
石碇老街(不見天街)

石碇老街からやや台北方面に戻ると,深坑老街があります。こちらは少し観光地化されていますが,その分,整備された赤煉瓦の美しい街並みと活気を堪能できます。

台湾の暑い夏には,かき氷がとにかく美味。しかも,深坑老街にある「阿珠芋圓」のかき氷は,私の大好物の芋圓がモチモチで最高!ってだけはなく,なんと,かき氷と黒糖シロップがおかわり自由なんです!! 一体,何杯食べたことか。

 

台湾・深坑老街の赤煉瓦建築
深坑老街の街並み
台湾・阿珠芋圓のかき氷
阿珠芋圓のかき氷(深杭老街)

日本にはもうほとんど残っていないような日本建築や日本風の街並みが,台湾では大切に保存されて今も現役で使われているのを見ると,なんだかとっても温かい気持ちになります。

……そう。あくまでも気持ちだけで,体はもともと暑くてたまらないわけですが。

 

などと思っていたら,このところの日本の暑いこと暑いこと!

この暑さだったら,そこら辺の道端でかき氷屋さんをやれば絶対売れると思うんですが,見かけませんよね?

もちろん,日本では様々な法規制があって,かき氷屋さんをやるのも決して簡単なことではないのです。

 

台湾風かき氷屋さんの開業なら私が協力しますので,どなたか浦和でやりませんか?


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関羽に想いを

最近,浦和から横浜へ出張する事件が続いていて,月に1,2回は横浜に通っています。

横浜地裁(家裁)は横浜中華街のすぐ近く。浦和からだと遠い印象はありますが,京浜東北線の関内や石川町が最寄り駅ですので,最速なら片道1時間強で着いてしまいます。

 

横浜中華街と言えば,私が最初に思い浮かべるのは関帝廟です。

 

関帝は関聖帝君の略称で,言わずと知れた三国志の英雄・関羽雲長のこと。死後になって物語を通じて民衆の信仰を集め,歴代王朝より封号を受け続けた結果,清代に至って封ぜられた正式な称号は「忠義神武霊佑仁遊勇威顕護国保民誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝」となりました。

中国・台湾で,もっとも人気を集める神様であると言ってよいでしょう。

 

台湾でも,有名な行天宮(台北)は関帝廟ですし,各地の文武廟は孔子と関帝を祀っています(本来の武神は太公望呂尚ですが,関羽人気のため無常にも入れ替わりました)。そのほか,廟という廟には,必ずと言って良いほど関帝(関公)像があります。

何と言っても武将の神様ですから,台湾の警察とヤクザ(黒社会)は,両方とも熱心に関帝を信仰しているんだそうです。

留置場で警察官とヤクザが並んで関帝に祈りを捧げている場面なんて,想像するとおもしろいですね。

 

そうそう,以前このブログ(「ダラン,だらん,達浪……」2014年4月18日)で書いた台湾の警察での接見室の様子がわかりましたので,ご報告します。

日本と違い,台湾の接見室には仕切りのためのアクリル板なんて無いんだそうです。

その点ではドラマが正解でした。台湾ドラマ,侮り難し。

日本でも少年鑑別所ならアクリル板無しの個室面会が可能なので,それと同じような雰囲気なんでしょうね。

 

ちなみに,武神関羽は,いつの間にか財神(商売の神様)としても信仰されるようになっています。中華街に古くから関帝廟があるのはそのためです。

「算盤(そろばん)は関羽が発明した」などという伝承まであります(史実ではありません)。

 

関帝像は明らかに三国志演義のイメージで創られていますが,真実の関羽はどのような人だったのでしょうか。

演義で美髯公と称された立派な髭は本当のようですが,正史三国志を読むと,赤い顔じゃないし(そりゃそうだ),青龍刀は創作かもしれません(顔良を「刺す」場面があるので,主武器は矛か戟であったと思います)。

 

せっかく横浜に行ってもすぐにとんぼ返りで,中華街に立ち寄る暇はなかなか取れないのですが,その分,車窓から英雄に精一杯の想いを馳せるのでした。

 

 

 

……せめてもうちょっとお金が貯まりますように(祈) 

 


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KANOといっても狩野英孝ではない。

台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を観ました。


台湾が日本統治下にあった1931年,まだ一勝もしたことのなかった台湾南部の弱小野球部・嘉義農林学校(嘉農=KANO)が,台湾代表,そして日本の甲子園出場を目指す話です。

台湾映画ですが,セリフの9割以上は日本語。ほぼ実話に基づいており,映画だけではわからない時代背景や登場人物について知れば知るほど,深い味わいが胸に広がります。

この映画が,日本ではなく台湾で制作され,台湾で史上初となるアンコール上映となったことが,何より嬉しい。立法院占拠中の学生たちも観たとか。

185分という長い映画ですが,あっという間でした。映画館は,ほぼ満席。

もろに(ある意味で非常にベタな)野球映画なのですが,そこは「実話」の持つ重みが最高に効いていて,野球が好きでなくても十分におもしろいですよ。


あれこれと集めた裏話などを書きたいところですが,それも含めてなるべくたくさんの方に自分で観て,自分で知ってもらいたいので,今はやめておきます。


ただ,劇中の「八田先生」(八田與一:はったよいち)の名前くらいは,先に知っておいていただくといいですね。

台湾人にとっては説明不要の有名人ですから,映画の中では何の解説もされていません。知らないと,「何この人?」って思うかもしれません。


八田は,当時の台湾で,映画にも出てくる嘉南大圳(かなんたいしゅう)という大規模水利事業などを行った日本人です。台湾を愛し,台湾に愛された人で,烏山頭ダムには今も彼の銅像があり,毎年,命日の慰霊祭も行われています。

是非,覚えておいてください。


この映画とは関係ありませんが,台湾では,今も神様として祀られている日本人が複数います。

よく知られているところでは,飛虎将軍(杉浦茂峰)と義愛公(森川清治郎)。


飛虎将軍は,当時の日本軍人です。台南上空で米軍機と零戦で戦い破れ,集落に落下して大火事となりそうなところを命懸けで避け,落下傘で降下中に機銃掃射を浴びて亡くなりました。

お廟では,今も毎日「君が代」と「海ゆかば」が斉唱されています。


義愛公は,台南に赴任した当時の日本人警察官です。村民のために寺子屋を開いて自費で読み書きを教え,衛生教育に努めたり,体を張って村民の命を助けたりしました。最期は,村民に代わって重税に抗議し,謀反の煽動を疑われて自死しました。

警官の制服姿の彼が祀られた富安宮は,地元の人々が毎日お線香を絶やさずに守り続けています。


そういえば,これらはいずれも台南,特に富安宮はKANOと同じ嘉義県ですね。

 

また台南に行きたいなぁ。


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あの頃,そして,別れの時

私は,刑事事件などと並んで家事事件を扱うことが多いのですが,家事事件の中でも受任数が多いのはやはり離婚事件。次いで相続事件ですね。


で,自分が結婚する前に,弁護士として離婚事件をあまりにたくさん扱いすぎると,もう結婚なんて普通にはできなくなります。

「そんなことないよ」と言う弁護士仲間もたくさんいます。が,そういう人と話すと,大体扱う件数が違っています。

常時5~10件ほどの離婚事件を抱えたうえ,他の弁護士が嫌がるDVの専門相談も積極的に引き受けながら,自分だけはいつまでも結婚に夢を見られるなんて,そんなわけないです。

この10年間,私の目の前で,生涯の愛を誓い合ったはずの男女が,ありとあらゆる愛憎劇を繰り広げつつ,次々と別れていきました。


 

でも,そんな二人にも,相手を想い続け,追いかけたあの頃があったはずです。


愛しくて切なかったその時を思い出せる,素敵な映画を観ました。

「あの頃,君を追いかけた」

これも台湾の映画です。主人公である柯景騰は,柯震東(クー・チェンドン)がやると実物よりカッコ良すぎなんですけど,お馬鹿で自然な演出のおかげで,まったく嫌みがありませんでした。ミシェル・チェン(陳妍希)の演じる沈佳宜の素朴な可愛さにも,思わず魅せられます。

誰かを想ったあの頃の気持ちが,心の中でチクチクとした鼓動を取り戻すような感覚。ちょっとお茶目で,とっても優しい物語でした。

さすが,九把刀。


 

ただ,そんな美しい「あの頃」を持った二人でも,別れが訪れてしまうことはあるんですよね。


それでも,素晴らしいあの頃を過ごせたという幸せは,一生忘れないでほしい。

そして,もしあの頃をともにした人が今もまだあなたの隣にいるのなら,どうかその幸せを,一生大切にしてください。


 

人生の難しさを思いながら,今週もまた,いくつかの離婚と向き合います。


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霧社に献杯

歴史上,日本で一番高い山をご存じですか?



もちろん,富士山……ではありませんよ。

富士山は,一番どころか,二番目ですらありません。



当時,日本国内最高峰として明治天皇により名付けられたその山の名前は,

「新高山」

です。


有名な日米開戦の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」の,あの新高山です(真珠湾攻撃は日本時間で1941年「12月8日」の未明)。公式標高3952メートル。


台湾が日本領だった1985年から1945年の間,台湾最高峰「玉山」が,富士山を超えて紛れもなく日本最高峰でした。

ちなみに,2番目は「次高山」(雪山)です。ちょっとネーミングが安直な気はしますね。



日本と台湾の関係に限らず,国家が他国や他民族を統治・支配しようとすれば,必ず抵抗や軋轢を生じます。


「賽徳克・巴莱(セデック・バレ)」(※繁体字は日本漢字に置き換えています)は,日本時代の台湾における最大の抗日暴動・霧社事件を題材にした台湾映画です。

以前から観たかったのですが,なんせ第1部:太陽旗が144分,第2部:彩虹橋(虹の橋)が132分,合計4時間半以上という長丁場。で,先日やっとのことで,しかし一気に観ました。


霧社事件は,1930(昭和5)年10月27日,セデック(賽徳克)族マヘボ(馬赫坡)集落の頭目モーナ・ルダオ(莫那魯道)率いる約300人の原住民が,霧社(現在の南投県仁愛郷)各地の駐在所を襲い,民族合同で開かれていた子どもたちの運動会を襲撃して,女性や子どもを含む日本人のみ130人以上を殺害した凄惨な出来事でした。

台湾総督府(日本政府)は,直ちに軍隊を派遣し,圧倒的な武力で制圧。反乱に直接加わった6つの集落(社)の人口千数百人のうち,およそ700人が戦死または自死,500人以上が投降または捕らえられました。

対する日本人及び日本に味方した原住民の死者は,いずれも20数人であったとされています。

暴動は同年12月上旬には完全に鎮圧されましたが,その後の歴史も,川中島強制移住や第二霧社事件など,容易には語りきれません。


悲しい歴史ではありますが,あえて誤解をおそれずに言えば,この霧社事件を大きな転機として,日本は台湾統治の在り方を変え,台湾人への差別をなくし,莫大な国費を投じて台湾を豊かにしたとも言えます。

しかしそれは,別の面ではいわゆる皇民化政策でもあり,後の高砂義勇隊へとつながりました。



現代においても,世界中で同じような悲劇が繰り返されています。

殊に,一方的に統治・支配を行っている国が,武装した敵対者をすべて「テロ」と呼んで片付けるのを見聞きするにつけ,人間の変わらぬ愚かさを感じずにはいられません。

過去の日本が霧社事件に多くを学んだように,願わくば現代の日本も「テロとの戦い」に手を貸すことがないようにしてほしいと思います。



「セデック・バレ」は非常に素晴らしい映画でしたが,本編で丁寧に前置きされているとおり,あくまでも史実を脚色しています。

しかしそれでも,歴史的事実に基づく人間の業の描写は,心を抉る巧みさがありました。

この映画を観る日本人,台湾人,台湾原住民が,みなそれぞれにどんな想いを持つのか……。是非一度,モーナたちのように一つの杯で同時に酒を酌み交わしながら,じっくりと語り合いたいものです。


あ,でも私と一緒に飲むときはカルピスサワーとかにしてください。

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