最高裁は,極狭の門である。
特に刑事事件の最高裁(上告審や特別抗告審)で弁護側が勝つことは,ラクダが針の穴を通るより難しい。そんなことを本気で考えてしまうくらい,最高裁は,あらゆる申し立てに対して拒否的である。
大事件のマスコミ報道だけを見ていると,最高裁は市民にとって最後の頼みの綱だと感じられるかもしれない。「まだ最高裁があるんだ!」という,あの叫び。
しかし,現実に弁護士が扱う最高裁事件は,マスコミどころか肝心の最高裁裁判官にすら見向きもされず,おそらくまともに読まれもせず,ポンポンと却下されていく。
最高裁が刑事弁護人の申し立てを却下する決定(判決)の文章があまりにも短く,どんな事件でも全く同じ定型文であるため,俗に「三行半(みくだりはん)」と言われる。
ほとんどすべての上告審や特別抗告審では,ある日突然,薄っぺらい三行半が郵送されてくる。それで終わり。
結局は,世間の耳目を集めそうな大事件だけが,最高裁の興味をひき,スポットライトを浴びる。
「三行半」を下される一般的な最高裁事件をたとえて言えば,戦争映画でアップになった主役兵士の背景でバタバタと死んでいく名も無い兵士たち,だろうか。彼らにもそれぞれの人生があるだろうに……。
大多数の弁護士は,最高裁の建物の中に一度も足を踏み入れたことがない。刑事事件で最高裁まで争うことも少ないし,ましてや,三行半以外の決定(判決)を得る機会など,まずない。
プロの刑事弁護人である以上,最高裁裁判官が思わず振り向くような弁護活動をしなければならない。しかし,それは通常,絶望的なほど困難な仕事である。
この事件は,痛ましい殺人事件であった。
犯人Jは,田舎を出て都会で働き始めたばかりの女性。ある日,Jは,中学時代からの先輩で無二の親友でもあったRを,包丁で数十箇所も滅多刺しにして,殺した。
殺害方法の凄惨さを考えると,Jは,少なくとも十数年の懲役刑を覚悟しなければならない事案だった。
私選弁護人として警察でJと接見した私は,一体なぜこんなことになったのか,事件の背景やJの心の内を探ろうとした。
しかし,Jの口は重かった。ただ黙り,ふと泣いた。
接見室のアクリル板を隔て,彼女と私だけの二人。無言の時間を,ずいぶんと過ごした。そうしているうちに,少しずつJの口が開き始めた。
先に都会に出て働いていたRは,後に続いて来た後輩Jに就職先を紹介し,都会の生活と遊びを一から教えた。JはRに憧れすら抱いていた。
そんなとき,Rが恋人にフラれた。Rにとっても突然の出来事だった。
Rは荒れた。そのせいか,仕事でも考えられない大きなミスが続き,クビになった。友人たちも,Rから次々に離れていった。Rのそばに残ったのは,Jだけだった。
生きる気力を無くしたRは,生活のすべてをJに頼った。一方Jは,全力でRを助けようとした。ほどなくして,Jは,稼いだ給与を全額Rに手渡すようになった。
Rは,完全に人が変わっていた。
Rは,Jを奴隷のように扱い,徹底的にいじめ,稼ぎが悪ければ無抵抗のJにリンチさえ加えるようになった。Jの体には,アザや火傷の傷跡が絶えなかった。
そうして,事件が起こった。
もともと,包丁を持ちだしたのはRのほうだった。それが,この日のリンチの最後の仕上げだった。
第一審の刑事裁判で,私は「殺意」の否認や「正当防衛」の成立などを軸とする無罪主張の弁護活動を行った。
Jは,Rのリンチに耐えきれなくなり,殺されるかもしれないという恐怖から,とっさに包丁を奪い取って無我夢中で突き刺したのだ。Jを殺人罪で処罰すること自体が,正義に反するのではないか。
検察官は,「過剰防衛」の限度で弁護側の主張を認めた。殺害のきっかけとしてJが身の危険を感じたことは認めたものの,殺す必要はない状況であり,強い殺意があったというのだ。
検察の求刑は,懲役10年であった。過剰防衛を認めたため,当初の予想よりは軽かった。
このころまだ,裁判員裁判制度は始まっていなかった。担当の裁判長は,被告人に対して厳しい判決を書くことで有名だった。
一審判決は,弁護側の正当防衛などの主張をほぼすべて否定し,検察が争わなかった過剰防衛のみを認めた。懲役7年だった。
量刑相場だけから考えれば,7年でも決して重くはない。
しかし,「J」には重すぎる。裁判官たちが,Jという人間をもっとよく見ていれば,7年が重すぎることはわかったはずだ。
一般的に,刑事事件の控訴審は一審よりずっと厳しい。が,控訴して戦うしかない。
控訴審の限られた時間の中で,私は,一審の裁判官が見ようとしなかった事実を,もう一度丁寧に拾い上げた。
控訴審判決は,一審判決を「重すぎて正義に反する」と批判し,懲役4年とした。
滅多にみられないほどの,大幅な減軽判決だった。
それでも,まだ重いのではないか。残されたのは最高裁への上告だけ。
「彼女に4年の刑を科すことは,果たして市民の常識に合う,正しい結論なのだろうか。もし,この事件がもう少し遅れて起きて,裁判員裁判で市民によって判断されていたら,本当に同じ結論になっただろうか。」理屈でも何でもなく,正面から最高裁裁判官たちの良心に訴えた上告だった。
最高裁は,上告を棄却した。Jに懲役4年の刑が確定した。
ただ,本件の最高裁判決は,決して「三行半」ではなかった。
判決文には,Jへ向けられた裁判官たちの同情がにじみ出てでいた。しかも,ある最高裁判事は,悩んだ末の「少数意見」を付していた。刑事事件の上告棄却判決に少数意見がつくのは,極めて稀だ。
少数意見は,「Jには4年の刑でも重すぎるように感じられる」と,正直に認めていた。けれども,「一方でRの死という結果の重大さを思い起こすとき,控訴審判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは,言い切れない」というのだった。
当時,まだ駆け出しに近かった私の弁護活動は,最高裁をなんとか振り向かせはしたが,極狭の門を開くまでには至らなかった。
以来,たくさんの重大事件を扱い,裁判員裁判の経験も重ねていく中で,ときどきJの事件を思い起こす。
もし,今だったら……