2014年のブログ・全話【過去の法律夜話】

埼玉・東京エリアを中心に活動する弁護士吉岡毅の本音ブログ「法律夜話」の過去ログです。このページでは,2014(平成26)年のブログ全話を通しでお読みいただけます。

一番上が2014年の最も古い記事(法律夜話の最初の記事)で,上から下に向かって順に新しい記事になり,最新記事まで順番に読むことができます。

※法律夜話の一番古い記事「手続的正義」(2014年4月2日)に飛んでから,各記事の下部の「次の記事へ進む」を順に追いかけていくと,過去のすべての記事を,一話ずつ読み進めることもできます。


手続的正義

時代劇の中で,お金をもらって悪を討つ『必殺仕事人』は,法の目で見ればただの人殺しのはずですが,悪人の死という結果からみると,正義の味方であるとも感じられます。

それは,ドラマにおいて視聴者は神であり,神の目ですべての事実を正確に見通しているからです。

 

現実の我々は人であって神ではありません。

人は過ちを犯します。

自分には何が正義かが先にわかっていて,それに適えば正義,適わないと不正義だという発想は,人として傲慢のはじまりではないでしょうか。

 

人が得られるのはあくまでも「人の正義」であって,「神の正義」ではありません。

我々は,考えられる限りの過ちをひとつひとつ排除した慎重な手続を経て,公平中立に事実を捉え直した結果として,やっと「人の正義」に到達するのです。

こうして得られた「人の正義」は,事実のある一面を捉えただけかもしれませんが,そこに辿り着く過程が正義であることによって,多くの人が納得できます。これを「手続的正義」と呼びます。

 

正義と呼ぶに値しない手続の結果得られた結論は,もしかすると「神の正義」には合致しているのかもしれませんが,もはや「人の正義」ではあり得ないものです。

したがって,悪人を捕まえる警察が重大な違法行為をすれば,人の正義は成立せず,捕まった犯人は無罪となります。

 

弁護士は,一見すると正義の味方には見えないときもありますが,「人の正義」を真に価値あるものにするために,誰かがやらなければならない仕事なんだと信じています。

 
(『事務所ニュース 2006年2月号』より)

0 コメント

死刑と戦争と

昨年(※2006年)12月30日,イラクのフセイン元大統領の死刑が執行されました。判決確定から4日後の処刑という異常な早さでした。

フセイン氏が絞首刑にかけられる衝撃的な映像が,今もインターネット上に流れ,誰でも見ることができます。

 

フセイン氏に対する評価は,ここでは措くとします。

しかし,生きた人が処刑される映像を実際に見れば,「死刑執行」という現実の出来事に対して,少なからぬ残虐性を感じるはずです。

 

フセイン氏の処刑ほど知られていませんが,そのわずか5日前の昨年(※2006年)12月25日には,日本でも4名の死刑確定者の絞首刑が執行されています。

日本の場合,その執行の様子が公開されることはありませんが,そこにはフセイン氏に対する死刑執行を上回る凄惨な現実があったということを知っておいてください。

 

今回日本で死刑が執行された4名の中には,77歳と75歳の老人が含まれています。

いずれも再審請求準備中の執行でした。

うち一人は全く歩くことができない状態で,車いすで介護を受けて生活していました。誰かが彼を無理矢理絞首台まで引きずっていかなければ,死刑の執行はできないのです。

 

国家が正義の名の下に行う殺人には,「死刑」と「戦争」という二つの方法があります。

その残酷な現場をできる限り見せないこと,詳細な情報を隠すことによって,国民の無関心又は扇情的な支持が獲得されていく点で,両者はよく似ています。はたして,私たちはそれでいいのでしょうか?

 

私は,死刑にも戦争にも,絶対に反対します。

 

(『事務所ニュース 2007年2月号』より)


0 コメント

嫌われ杉子の一生

スギ花粉の季節がやって来ました。

気づけば花粉症になってから15年も経っています。花見のうれしさが鼻紙のうらめしさに変わって久しいです。
 

そんなこともあって,数年前から携帯型の超小型空気清浄機を使っています。

首からストラップで胸元にぶらさげておくと,小さな本体からマイナスイオンが吹き出して,自分の顔の周囲だけホコリや花粉をはじき飛ばしてくれるんだそうです。

屋外や歩行中では全然ダメですが,室内でのデスクワーク中だと,それなりに効果があるような気がします。

花粉の季節だけでなく,警察の接見室などは非常に埃っぽいので,一年を通してこれがあると助かります。

 

ただ,周囲の視線はやや気になります。

 

空気清浄機だとすぐにわかる人は少ないですから,胸元に怪しげな黒い箱状の物体がぶら下がっているのを見ると,それが何なのか気になって話に集中できなくなることもあるみたいです。

よく間違われるのは携帯灰皿とか携帯音楽プレーヤーですが,私はスモーカーではないし,イヤホンがついていないのでどうも違う……などと考え込むようで。
 

一番困るのは,録音機だと勘違いされることです。

 

残念ながら,弁護士は「市民から嫌われている」という自覚が必要な職業です。

ドラマなどの間違ったイメージが流布しているせいもあって,弁護士は悪人の味方だとか,お金をもらえばどんな証拠でも作り出すとか,冗談のような話を本気で信じ込まれていることがあります。

 

あるとき,思いもかけない人から「弁護士さんだから,どうせ会話は全部録音しているんでしょ?」と胸元の空気清浄機を指さして言われてしまい,それ以来,身につけるのをためらうようになってしまいました。

弁護士はそんなことしませんよ~。

 

  『嫌われる 花粉の気持ちに なってみる』

 

(『事務所ニュース 2009年2月号』より)


1 コメント

ダラン,だらん,達浪……

台湾ドラマ『僕のSweet Devil』(海派甜心、Hi My Sweetheart)を視ました。

なんというか,ふざけっぷりと手抜きっぷりとまじめっぷりのハイバランスがとても気持ちよくて楽しかったです。

主演の羅志祥(ショウ)は終始コミカルな演技を魅せていますが,そのためにきちんと研究と練習を尽くしていることが伝わってきます。

ストーリーがどうだとか,毎回なにかと突っ込み所があるだとか,回想シーン多くない?とか,色々な感想がなくもないのでしょうが,そんなことはこの際どうでもよくて,要するに楊丞琳(レイニー・ヤン)が可愛いのですべて許されているわけです。とにかく最初から最後まで寶茱さん(レイニー・ヤンの役名)が怒って泣いて笑って泣いて,あと泣いて。あ,泣いてが多いですね。お陰様で,みているこちらもそりゃもうたくさん泣きましたとも。

テレ玉さん,台湾ドラマ枠を作ってくれてありがとう!(ついでにピンクパンサーも再放送してください。)

 

ところで,このドラマの後半に,逮捕された犯人が警察署内で面会者と接見するシーンがあります。

その面会場所が,日本のような接見室(アクリル板で仕切られた留置人との面会のための専用の部屋)ではないのです。何の仕切りもない普通っぽい部屋で,ソファーに座ってごく普通に話しています。ちょっと離れて警官がひとり立って見ているだけでした。

でも,なにしろコメディタッチのドラマですので,実際はどうなのかが気になります。

ちょうど今,日弁連の委員会で世界各国での接見の条件や接見室の状況などを調査しているところです。台湾も調査対象国に入っていますので,確認できたらこのブログでご報告しようと思います。(注:「関羽に想いを」2014年9月28日参照。) 


4 コメント

魔女メリー・ジェーンの罪と罰

最近,大麻の栽培等による逮捕者が続出しています。

 

 

大麻(=マリファナ)とは,七味唐辛子の中の種で有名になったように,実はただの麻です。

麻は,人間の生活にとって欠かせない植物ですが,あるときは禁圧されて魔女のように扱われます。
 

麻は,吸引すると一般的に気持ちよくなり,大麻取締法が極めて重い刑罰を定めていることから,たとえば覚せい剤と同じようなものだと思われています。

 

しかし,麻は学問的にも法律的にも「麻薬」ではありません。

精神的身体的な依存性はありません。

吸い続けても耐性上昇(次第に摂取量が増えること)はほとんどありません。

麻はそもそも身体に有害ではありません(どれだけ多量に摂取しても致死量すら想定できない)。

中毒症や胎児への影響もなく,犯罪や暴力行動を誘発する薬効もありません。

麻の摂取による人への具体的悪影響は科学的にまだ実証されておらず,お酒やタバコの有害性とは比較にもなりません。

 

覚せい剤等の危険な薬物へのステップになるとか,暴力団等の違法な収入源になるといった批判もありますが,これらは麻を厳しく取り締まっている結果です。

 

むしろ,マスコミなどで危険視されているはずの麻が,全然中毒にならないことを実体験でつい知ってしまい,覚せい剤も同じようなものだろうと考えて破滅する人さえ出てきます。

 

麻を無条件に解禁してよいものかは,私にはわかりません。

 

しかし,私たちの常識とか善悪の観念に基づく規範ほど諸刃の剣となりやすく,新たな魔女を生み出すことがあるのも確かです。

 

 

様々な愛称を持つ麻は,ときに特別な感情を込めて女性の名でこう呼ばれます。

「メリー・ジェーン」と…
 

(『事務所ニュース 2009年2月号』より)


0 コメント

弁護士,インドを行く(その1) ~道路交通法は偉いのか?~

ジャイプールのバザール
夕暮れのジャイプール

ゴールデンウィークに連休をいただいて,10日間ほどインドに行って来ました。

 

 

4月から5月は,インドで最も暑く乾いた季節です。

インド滞在中に確認できた最高気温は46度でした(アグラにて)。

初体験のインドは,私の体重を4kg近くも奪いましたが,五感と心には鮮烈な残像を刻みつけました。

 

 

日本で普通に生活している者にとって,ただインドの道を歩く(あるいは乗り物で進む)ことは,既に劇的な異世界体験です。

ネズミの国のアトラクションよりすごいかも。

 

ニューデリーなど一部の新しい街(道)を除いて,信号や横断歩道も少ないし,あってもあまり守られていません。

けれど,交通量は半端なく多いのです。

歩いて道を渡る時は, “ビー,ビー” と容赦なくクラクションを鳴らして向かってくる洪水のような車やバイクを素手で押しとどめ,縫うようにして対岸にたどり着きます。

念仏必須です。

 

片側2車線道路を,軽自動車2台とオートリキシャと自転車とバイクと頭にでかい荷物を載せた歩行者が同じ方向に並んで,しかし入り乱れつつ進んでいる光景が,至って普通のことです。

しかも,道路に(必ずしも「道ばたに」ではなく)座り込んだ犬や牛や猿やヤギなんかをよけながら進まなければなりません(犬やら牛やらは,全然よけてくれません)。

車線境界線なんて目安にもなりませんし,追い越し禁止の中央線だって平気で無視されます。

私の乗ったタクシーは,「なんかしらんがこっち側は混んでいるから」と言って,高速道路の反対車線を猛スピードで逆走していました。

 

そのせいか,今,世界中で起きている交通事故の6件に1件以上がインドで発生している,とも言われています。

 

 

日本の道路交通法・交通行政には,不合理と思えるような規制もあり,特に交通警察による違反取り締まりの実施方法には,「待ち伏せによる摘発のための摘発(点数稼ぎ)」や「レーダー式速度計測器の誤測定」など,様々な問題があります。

 

それでも,道交法と交通規制が,我が国の道路交通の安全を保つために重要な役割を負っていることは事実でしょう。

サイクルリキシャで熱風を受けながら,「道交法って,意外と偉いのかな?」などと考えました。

 

 

もっとも,インドにも道路交通法(に相当する法律)は当然あるし,違反の摘発も一応されているわけです。

にもかかわらずインドで交通ルールが徹底されないのは,国民性や各種の生活事情(道路を牛が闊歩するとか)によるところが大きいように思います。

 

そうすると,やっぱり日本の道交法が偉いわけでは,ないですね。

 


0 コメント

弁護士,インドを行く(その2)~ガンガーで終活~

ガンジス河に昇る朝日
ガンガーの夜明け

GWにインドを歩き回ってきました。

 

 

インドを代表する風景のひとつ,ヴァーラーナシー。ガンガー(ガンジス河)では,日没後の闇の中で,炎輝き鐘や笛が響き渡るプージャ(祈りの儀式)に魅入られました。

 

夢を見ているかような景色は,ホテルのベッドで見た真夜中の夢につながり,翌早朝には,再びガンガーに抱かれる夢のような景色へ。

日の出とともに小舟に乗り,女神ガンガーに祈りを捧げながら花蝋燭を流し,水辺で沐浴や瞑想をする人々に混じりました。

 

子どもたちが水遊びをしているガート(たくさんある階段状の沐浴場)のすぐ近くでは,遺体を焼く火と煙が絶えません。

あらゆるものが流れ,あらゆるものを包み込む大河の水は,透明度が低く,わずかに緑がかった茶を帯びた色味に見えます。

触れると,温かさのせいか,ほんの少しトロッとした感じがします。

 

……いや,もう,この際言いますが,ガンガーの水に体を浸すと乾いてからもずっとベタベタします。結構なものです。でも,匂いはほとんど感じなかったですね。

 

 

 

ヒンドゥー教徒にとっては,死後,ガンガーに還ることが神への道であり,大きな夢です。

 

一方,最近は日本でも「終活」がささやかなブーム。

故郷の海や川に遺灰を撒いてほしいとか,中にはヒンドゥー教徒でもないのに「ガンガーに流してくれ」と遺言する人もいるようです。

 

遺された側が大変そうに思うかもしれませんが,日本の無闇に高額で複雑な葬儀や墓地・墓石の購入費と比べたら,むしろ簡素で安くつくのかもしれません。

 

 

遺言がないために相続人間に争いを生じる事件,遺言が素人判断で曖昧に作成されているために解釈や有効性に争いを生じる事件は非常に多く,私も日常的に相談を受けています。

 

遺言の作成は,自分のためであると同時に,遺される大切な人たちへの最後にして最大の心遣いです。

誰であれ,弁護士の助言を受けて法律的に有効な遺言を作成しておくことを強くおすすめします。 

 


0 コメント

弁護士,インドを行く(その3)~下痢と入管はインド人も泣かす~

チャンドラヴァルマンの鉄柱
デリー/クトゥブ・ミナールの錆びない鉄柱

インドで体調を崩した私。

 

 

平気な顔をしていた現地の知人に,「気温46度でも,インド人は暑くないの?」と聞いてみました。

すると,「そんなわけナーイ。インド人も暑いヨ。死にそうダヨ~。夜も寝られナイし,ホントは昨日からオナカ下痢ピー。」などと,予想外の泣きが入りました。

インド人も日本人も皆人間,人類皆兄弟。

 

というわけで妙に納得しました。

 

 

ちなみに,その人は最近,日本への入国ビザの申請を却下されたそうです。

日本大使館に却下の理由を聞いても一切教えてもらえず,途方に暮れていました。

 

彼は以前にも来日したことがあり,そのときは何の問題もなく入出国できたし,その後インド国内で問題を起こしたこともないそうです。

日本人の知り合いも多く,日本から彼に支援を申し出る人たちもいるのですが,いったん大使館が不許可にしたものを覆すのは,容易ではありません。

 

 

このケースはインドから日本へ向けた出国手続の段階ですから,私がたまたまインドに滞在中でなければ,出会わなかった場面です。

 

普通,日本で入管事件と言えば,日本へ既に入国している外国人の在留資格の更新や変更,退去強制などの事件を指します。

 

もっとも,こうした日本国内での入管事件も,弁護士が関与することは少ないのが実情です。

入管法の手続自体が専門的ですし,通訳や事前の代理申請などの面で特殊な点が多く,弁護士にとっても取扱いが難しい分野だと言えます。

 

私の場合,司法試験に合格後,司法修習生として弁護士実務を体験した最初の事件が,中国人青年の在留資格に関する入管事件でした。

以来,外国人事件や入管事件に縁を感じて,依頼があれば積極的に受任するようにしています。

 

他方で,外国人による犯罪や不法入国等の刑事事件を弁護人として受任することもあります。残念ながら事件数としては,こちらが圧倒的に多数です。

 

 

せっかく弁護士として外国人事件や入管事件を扱うことがあるのですから,仕事を通じて日本と外国,日本人と世界の人々との平和的な交流に,ほんの少しでも貢献できたら嬉しいと思います。

 

インドの知人に,次は日本で会えるといいのですが。 

 


0 コメント

弁護士,インドを行く(その4)~カーストと教育~

インド農村部の小学校授業風景
インドの小学校を訪問(この後,もみくちゃにされます)

インドのある貧しい村で,もっぱら日本人の献金によって運営されている,とても小さな学校を訪れました。

 

カーストに関係なく,みんな一緒に授業をしているのだそうです。

わーっと駆け寄ってきてくれた子どもたちの笑顔が忘れられません。

 

しかし,この学校にすら通うことができない子どもたちもいます。

 

 

インドにおける最大の困難であり,国際的人権課題でもあるカースト制度(身分制度)。

インド憲法では既に全面廃止されたはずのカーストですが,その影が薄れているのは一部の都市だけです。

インド社会とカーストは,今も不可分一体です。

貧民街で子どもたちが必死に生きようとしている光景を見ると,言いようのない痛みが胸を走ります。

 

 

カーストは産まれた瞬間に決まり,死ぬまで変わることはありません。

個人の努力で這い上がることはできません。

それどころか,今もインドには,カーストの最底辺にすら組み込まれず,人として認められないまま人生を終える人々(ダリット;不可触賤民と訳される)が,日本の全人口よりも多く存在するのです。

 

私には,彼らと他のインド人を見分けることはできません。

もちろん,そのほかのカースト間の違いもほとんどわかりません。

しかし,現地の人には分かるようです。

 

 

そもそもカーストは,輪廻転生観を前提としたヒンドゥー教の制度(ヴァルナ,ジャーティ)が基礎になっています。

 

他方で,「カースト」はポルトガル語起源であり,現在のような固定的身分制度としてのカーストは,植民地支配の中で比較的近年に創出,定着されたものだと考えられます。

ヒンドゥー教の階級制度の成立自体,アーリア人支配等の影響を受けた歴史的産物でもあります。

これは,最近になって,カーストや喜捨などの習慣が西洋的な「チップ」の制度としてインドに定着していったのと同じ構造だろうと,私は考えています。

 

 

 

宗教観の強固な壁は別として,支配層によって人為的に創出された社会システムであれば,人の英知と良心によって変えられるはずです。

 

そのために最も大切なことは,子どもたちへの教育の充実です。

 

私は日本で,弁護士会の委員会活動の一環として法教育に力を入れており,毎年,小学校・中学校・高校などで人権をテーマとした授業や講演会を行っています。

これからも,私にできる範囲で,人が人として生きることの意味や価値を子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。 

 


0 コメント

日本のテレビ報道は,もう少し何とかならないのか。

日本のテレビ報道って,ひどいと思いませんか?

 

 

いわゆるワイドショーはもちろんですが,ニュース・報道番組も本当にひどいです。

 

まず,同じ時間にどこの局でも同じニュースばかり取り上げている。

しゃべっている中身まで同じ。

リモコンのチャンネルボタンが壊れたのかと思います。

 

ソース(情報源)はどれも警察のリークか新聞・雑誌の先行報道,あとYouTubeとか……。

同じ局の朝と昼と夜の違う名前の番組で,同じ映像と同じコメントを流して,翌日もその翌日もいつまでも同じ事件の特集。

 

しかも,難しい政治課題や世界の動向は無視して,偶発的でわかりやすい事件・事故ばかり取り上げる。

みんなで相乗りできる次の話題が出てくるまで,ひたすら同じことの繰り返し。

 

当然ネタが尽きるので,どうでもいい関係者のプラバシーまでほじくりかえす。

小学校時代の作文の内容が事件と何か関係あるのでしょうか。

 

 

何より問題なのは,事件について何の専門性も持たないコメンテーターたちが,間違いだらけの「意見」を平気で垂れ流すこと。

 

もちろん彼らは,意味があろうがなかろうが,正しかろうが間違いであろうが,とにかく決められた時間はカメラに向かってしゃべり続けるのが仕事なわけですから,さぞ大変だろうとは思います。

でも,番組制作側は,彼ら数人分の給料で数十分もの貴重な公共放送電波を浪費して莫大な広告費を稼げるのですから,とっても楽な商売でしょうね。

 

 

最悪なのは,ちっとも専門家ではない解説者です。

特に,法律問題について法律家ではない人に専門家のフリをした解説をさせるのは,やめてほしい。

しゃべるほどに嘘ばかりで,とても聞いていられません。

 

 

法律家と言えるのは,裁判官,検察官,弁護士の法曹三者と,特定分野に関する研究者(大学教授等の学者)だけです。

確かに,現役の裁判官,検察官はマスコミに出ないし,当該分野に精通した弁護士とか理論倒れでなく実務を知っている研究者なんて,そう簡単には探せないでしょう。

 

だからといって,離婚だとか相続だとか交通事故だとか,弁護士であれば誰でも経験しているような法律問題にまで,弁護士や研究者ですらない人たちを解説者にするのは,あまりに安易です。

 

大体,弁護士以外の者が報酬目的で法律事務の取り扱いや周旋を業とすることは,弁護士法違反の立派な犯罪なんです(2年以下の懲役又は300万円以下の罰金)。

法律家でもないのに,法律問題の相談を受けてたくさんの事件を解決している専門家って,それ……。

 

 

世界と日本の代表的ニュースをバランス良く取り混ぜて,2~3倍速でひたすら短く紹介していくような報道番組って,どなたかご存じありませんか? 

 


2 コメント

また,はじめよう。

最近,また読書をはじめました。

 

 

小さい頃から本は好きでしたが,思い返すと,小説を貪るように読み耽っていたのは,せいぜい中学・高校の頃まで。

特にここ最近の数年間は,自分の楽しみのために本を開くということが,ほとんどなくなっていたことに気づいたのです。

 

「好きなはずのことをしなくなっているのは,自分の中の大切な何かを失いかけているからでは!?」と,妙な危機感を持ち,努めてまた読書をするようになりました。

 

 

長いこと「積ん読」していた本や,昔読んでおもしろかった本を段ボール箱から引っ張り出し,しばらく忘れていた楽しい時間を本と共に過ごしています。

図書館もまた利用するようになりました。

 

洋書も読みはじめています。

童心に帰って易しい絵本から順に難しい本へと洋書を次々に多読していくと,子供から大人へと英語で成長し直しているような気分で,意外なくらいのおもしろさです。

 

詩集などは,声に出して朗読するのもまた優雅なもの。

小さい頃から何度も読み返している私のお気に入りは,大手拓次の詩集です。

 

 

少年時代の自分は,興味の赴くまま新しいことを次々にはじめて,ひたすら世界を広げようとしていました。

 

いつのまにかやめてしまった好きなことを,ふと思い出してまたはじめてみると,やっぱり楽しいんですね。

 

 

本当は,ほかにも「また,はじめたい」ことがた~くさんあるのですが,それはまた今度のお話。

 

(『事務所ニュース 2008年2月号』より) 


0 コメント

妖しい法律(その1)~そのミニスカは違法です!?~

よくある痴漢やわいせつ犯の言い訳のひとつ。

 

「被害者の女性がミニスカートで挑発的な格好をしていたので,つい興奮してしまった。」

 

これを弁護人が被害者の落ち度として主張すると,女性に対する性差別になるという議論があります。

女性には,おしゃれを楽しむ権利があり,多少刺激的な服装をしたからといって性被害を受ける理由にはならない。私も,基本的にそう思います。

 

 

 

ただ,日本の法律は必ずしもそうなっていません。

 

軽犯罪法第1条20号は,「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり,ももその他身体の一部をみだりに露出した者」を「拘留又は科料に処する」と定めています。

 

「しり(ヒップ)」はともかく,「もも」も露出禁止なんです。違反したら刑罰。すごい法律です。いつの時代でしょう?

……今ですけど。

 

 

ミニスカ女子高生は摘発されていないようですが,軽犯罪法自体は今も適用されており,警察が市民を摘発する口実として便利に使われることもあります。

 

この法律の制定当時(昭和23年)は,太ももを露出した服装で道を歩くだけでも,見た人が嫌悪の感情をもよおすと考えられていました。たとえ女性が美しい太ももをチラ見せしただけでも,「まぁ,なんてハシタナイ!」「ケシカラン!」と眉をひそめられた時代です。

 

もちろん,現在の価値観では,女性のミニスカは「けん悪の情を催させ」ない,という解釈も成り立ちます。だからこそ,逮捕者が出ていないわけです。

 

 

けれども,その法解釈には問題ありです。

 

だって,綺麗な女性が脚を出すのはオシャレで済まされるけど,男だと見た目が気持ち悪いから「けん悪の情を催させる」とか言ったら,それこそ性差別でしょう。

かといって,女も男も誰でも許される(誰にも適用されない)と解釈したら,刑罰の存在意義を説明できません。

 

そういう法律が今も廃止されていない以上,厳密に言ったら,現在でも「もも」を出して歩いちゃ駄目なわけです。

今でもケシカランと思う人がいる可能性は十分あるんですから。

 

したがって,「ミニスカは違法」と考える余地があることになります。

 

 

もしもミニスカが違法なら,違法に犯人を挑発した被害者側の落ち度を指摘することも,当然許されるはずでは?

 

しかも,軽犯罪法によれば,太ももをめっちゃ露出する服を売った店員さんや,それを娘に買って着せてあげたお母さんも,教唆犯(そそのかした罪)や幇助犯(犯罪の成立を手助けした罪)になっちゃうかもしれないのです(同法3条)。

 

 

もちろん,刑罰の濫用はいけません。

 

「この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない」のです(同法4条)。

 

軽犯罪法は,まさしく自他ともに認める妖しい法律だと言えます。

 

 

ミニスカを違法にするかもしれない法律をそのままにしておくなんて,それこそケシカランと思うのですが。 

 


2 コメント

妖しい法律(その2)~賭博の何が悪いのか?~

ご存じかと思いますが,ギャンブル(賭博、賭け事)をすると捕まります。

 

なぜなら,刑法第186条が,

「賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」

と定めているからです。

 

ただし書による処罰範囲の限定はあるものの,賭博は日本では立派な犯罪なのです。

 

実際,野球賭博などで逮捕される人が有名人にもときどきいますよね。

 

一回ではなく何度も賭け事をしていると,罪が一気に重くなります。

刑法第187条第1項が,

「常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。」

としているからです。

 

 

ちなみに,ヤクザが賭博場を開くような場合は「賭博場開張等図利罪」と言い,「三月以上五年以下の懲役」 という重い罪になります(同条第2項)。

 

つまり,通常の賭博罪や常習賭博罪は,別にヤクザを取り締まるための法律ではなく,一般の人がやる賭け事を取り締まるための法律なのです。

 

市民が賭け事に熱中すると,それを原因として丸儲けする詐欺師が出たり,逆に身を持ち崩して破産したり,家族や他人に迷惑を掛けたり,お金のために犯罪に走ったりする人がたくさん出るので,刑罰で賭け事自体を禁止しているわけです。

 

同じ趣旨で,刑法第187条は,なんと「宝くじ」の「発売」も「取次ぎ」も「授受」もすべて犯罪として取り締まっています(宝くじのことを法律で「富くじ」と言います)。

 

 

でも,……それって,おかしくないですか?

 

 

国営の競馬も競輪も競艇も,立派な賭け事です。

国が賭け事をTVコマーシャルを使ってまで推進して荒稼ぎしているのに,一般人が賭け事をしたら犯罪だなんて,すごく卑怯だと思いませんか?

 

銀行が宝くじを売るのは,何故許されるんですか?

 

これらは,国の収入確保のために,法律に基づいて厳しいルールのもとに運営しているからOKなんだそうです。

 

それなら,普段から税金をきちんと払っている人が,身を持ち崩さない範囲で一定のルールに基づいて賭け事を楽しむのは,どうして犯罪なんでしょうね。

 

 

パチンコもパチスロもそうです。

あれは景品交換ということにされていますが,一般には決して流通しない無価値な景品を隣の別の店(?)で現金に引き替えています。

誰でも知っています。

 

パチンコ破産者も大量に出ており,社会問題になっています。

けれども,警察も検察もパチンコ・パチスロを賭博罪としては扱いません。

 

 

ずるくないですか?

 

 

大人の皆さん,これを子どもたちに対して,堂々と胸を張って説明できますか?

 

貧困問題について積極的な活動をする弁護士は,パチンコ・パチスロの規制を訴え,カジノ法案に反対しています。

 

 

私は,何でも規制や禁止をすればいいとは思いません。

 

大切なのは自己管理であり,平等で公正でわかりやすいルール(法律)です。

そのために,妖しい法律は,直ちに改めるべきです。

 

刑罰法規は,最小限にして明確,かつ,公正,公平でなければなりません。

この場合にまず改めるべきは,刑法の賭博罪のほうです。

そのうえで,賭博全般に関する新しいルールを皆で考えるべきです。

 

 

賭博罪を残したままでカジノの合法化を大まじめに論じるなんて,ナンセンスです。

 

(今回は『浦和法律事務所ブログ』より転載しました。) 

 


2 コメント

妖しい法律(その3)~裏DVD解禁を小声で叫んでみる~

日本では,無修正エロ画像(わいせつ物)を「裏」と呼んで,その頒布や販売目的での所持を重く処罰しています(刑法第175条,「2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料」)。

 

 

今どき,ネットにつなげば,多数の海外サーバーから大量の無修正ポルノ画像・モロ動画を常時ダウンロードし放題であることは,ネットユーザーなら誰でも知っている常識です。

にもかかわらず,今も,裏DVD数枚を客に販売したなどという馬鹿げた罪で逮捕され,刑務所に服役させられる人たちが存在します。

 

 

もちろん,現実の子どもを被害者とする児童ポルノなどは,厳しく取り締まるのも当然でしょう。

しかし,そうではない一般的なわいせつ物の販売等は,いわゆる「被害者なき犯罪」です。

特定の被害者ではなく,広く日本の社会風俗を害するかどうか,その行為者の処罰によって善良な風俗を維持する効果があるのかどうかが問題となります。

 

たしかに,人前で堂々とエロ画像などをやり取りしていれば,観たくない人の目にも入って嫌悪感を覚えさせるでしょうし,子どもにも悪影響を与えかねません。

でも,それならコンビニで売っている「表」のエロ本や,嫌でも勝手に出てくるネット広告のほうを処罰すべきはずです。

 

繁華街の人目につかない裏道の,大人だけが入れる店のそのまた奥のほうで,大人が大人に対して,大人だけが出演する大人向けのDVDを数枚売買したからといって,誰にも迷惑はかかりません。

どうして多額の税金を使ってまで摘発し,今後の人生を奪って刑務所に放り込む必要があるのでしょうか。

 

 

ネット社会においては,商品(物)の流通だけを一部制限しても,わいせつ情報の国家による管理・統制には何の役にも立ちません。

土砂降りの雨の中でのホースによる水まきを規制するようなものです。

 

それどころか,ネット上に規制不可能な大量の無修正エロ情報があふれている現状で,国内で物の販売規制だけをやっていたら,結果的に,国家は刑罰の威嚇によって人々をネット上のエロ無法地帯へと追い立てていることになります。

なんとまぁ妖しい法律でしょうか。

 

 

好むと好まざるとにかかわらず,日本において,市民が個人的に無修正エロ画像・動画を観て楽しむことは,もはや許された趣味の領域になったと言うべきです。

この現実を誰にも止められないでしょう。

 

刑罰によって取り締まるのは,公の場や年齢制限を無視したわいせつ物頒布行為等に限定すべきです。

 


0 コメント

聖天さまと大黒さま

雨に濡れる白紫陽花(あじさい寺)
あじさい寺(能護寺)の白紫陽花

埼玉県熊谷市に妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)という密教寺院があります。

創立は1179年に遡り,御本尊は大聖歓喜天。妻沼聖天は日本三大聖天のひとつだと言われています。

もっとも,日本三大なんとかを一体誰が決めるのかという大問題がありまして,3番目を名乗るところはいくつもあるようですが……。

 

その御本殿・歓喜院聖天堂が,平成15年から8年がかりで修復され,平成24年7月,国宝に指定されました。

本殿の彫刻は,造形・彩色ともに極めて美しく,日光東照宮に勝るとも劣らないことから,埼玉(小)日光とも称されています。

 

 

というわけで,去年の国宝指定からずっと気になって仕方がなかったので,この週末に参拝してきました。

 

 

あいにくの雨模様でしたが,確かに素晴らしい彫刻でした。

中でも有名な,布袋さまと恵比寿さまが楽しそうに碁を打っている場面があるのですが,その横では,杯片手に大黒さま(大黒天)が見守っていました。

 

御本尊の大聖歓喜天は,もともとインドの象頭の神ガネーシャです。

一方,大黒天はインドの破壊神シヴァのこと。

そして,ガネーシャはシヴァの息子なのです。

 

毎日人間たちから願掛けされる福運厄除縁結びの仕事を全部息子に丸投げして,お父さまは気楽にお友達と囲碁遊び中,といったところでしょうか。

 

ちなみに,ガネーシャの頭が象なのは,シヴァが怒りにまかせて息子の頭を切り落としてしまい,それを妻に怒られたため,代わりに象の頭をくっつけたからです。

とんでもないDV親父だこと。

 

 

聖天山の近くには,「あじさい寺」として名高い能護寺もあります。

敷地いっぱいに咲き乱れた紫陽花の彩りが,むしろ雨の中にこそ引き立っていました。

 


0 コメント

浦高で裁判員制度廃止が決まりました。

先日,埼玉県立浦和高校で講演をしてきました。

ご存じ県内有数の進学校です。

 

これは,埼玉弁護士会の「刑事弁護の充実に関する検討特別委員会」で行っている法教育活動の一環として,県内の高校を中心に,刑事弁護や人権についての特別授業をするものです。

私は,こうした法教育活動を毎年いろいろな学校で行っています。

 

 

今回の浦高の授業は2日間に分かれ,1日目の授業で私が刑事裁判について講演し,間をおいて2日目の授業では,刑事裁判に関する議題で生徒たちのディベート大会が開かれ,私はその審査員として講評を行うのです。

なんというか,この時点でもう「さすが浦高」という感じです。

 

私が講演のテーマに選んだのは,「日本の刑事裁判の問題点~裁判員制度で何が変わり,何が変わらなかったか~」でした。

 

講演の中身の話は,別の機会に譲りますね。

とにかく,私自身の意見は控えめにして客観的な解説を心がけました。

 

 

私の講演を受けて,後日のディベート議題は「裁判員制度を廃止すべきか?」でした。

生徒たちはYESとNOに分かれて討論しますが,自分がどちらの立場に立つかは,授業当日の最初のジャンケンで決まります。

つまり,事前の準備はYES・NO両方の立場でしておかなければなりません。

人ごとながら,大変だったでしょうね~。

 

 

さて,今回のディベートの結果は,大差で「YES(裁判員制度は廃止すべき)」側が勝利しました。

(※勝敗判定は生徒全員によるジャッジで決まります。)

 

 

といっても,どうやら最初のジャンケンの時点で,既に勝負は決していたみたいです。

何しろ,ジャンケンに勝つともうガッツポーズ,ジャンケンに負けると海より深~く落ち込んでいましたから。

みんな「裁判員なんて,やりたくない!」という素朴な感覚が強くて,裁判員制度に積極的な意義を見出せなかったようです。

 

 

うーん,そこか……。

 

 

ま,普通はやりたくないし。素直が一番です。

 

現実の法律は,一度出来てしまうと,そう簡単に廃止なんかされてくれません。

世の中は素直じゃないですね。 

 


0 コメント

台湾風かき氷屋さん,はじめませんか?

台湾・五路財神廟からの眺め
五路財神廟(新北市)

今年も台湾に行ってきました。天候にも恵まれて,すごく楽しめました。暑かったけど。

 

台湾訪問は,もう10回以上になります。日本で手に入るガイドブックにはあまり載っていないようなところを訪ねて廻ることが増えました。中でも,廟巡りと夜市巡りと老街巡りは外せません。

 

老街(ラオジエ)というのは,清朝や日本統治時代に造られた古い街並みが保存・補修されていて,時代がかった昔風の商店街として今も賑わっています。埼玉で言うと,「小江戸・川越」みたいなイメージでしょうか。

今回は日程が短かったこともあり,ずっと台北近辺で過ごしましたが,それでも,割と珍しい老街を幾つも訪ねることができました。

 

 

たとえば,石碇老街は,川沿いにへばりつくようにして通路と建物が積層状に連なって続く不思議な構造です(「吊脚樓」と言うそうです)。こぢんまりした老街ですが,石造りの建物が美しい自然の中に溶け込んだ独特の風景で,気持ちだけはとても涼やかになりました(暑いもんは暑い)。

もちろん,皮蛋や青菜(空心菜)や三層肉など,美味しいものでいっぱいでしたよ。

あぁ,こんなことを書いているとまた涎が……。

 

台湾・石碇老街の川沿いの景色
石碇老街(不見天街)

石碇老街からやや台北方面に戻ると,深坑老街があります。こちらは少し観光地化されていますが,その分,整備された赤煉瓦の美しい街並みと活気を堪能できます。

台湾の暑い夏には,かき氷がとにかく美味。しかも,深坑老街にある「阿珠芋圓」のかき氷は,私の大好物の芋圓がモチモチで最高!ってだけはなく,なんと,かき氷と黒糖シロップがおかわり自由なんです!! 一体,何杯食べたことか。

 

台湾・深坑老街の赤煉瓦建築
深坑老街の街並み
台湾・阿珠芋圓のかき氷
阿珠芋圓のかき氷(深杭老街)

日本にはもうほとんど残っていないような日本建築や日本風の街並みが,台湾では大切に保存されて今も現役で使われているのを見ると,なんだかとっても温かい気持ちになります。

……そう。あくまでも気持ちだけで,体はもともと暑くてたまらないわけですが。

 

などと思っていたら,このところの日本の暑いこと暑いこと!

この暑さだったら,そこら辺の道端でかき氷屋さんをやれば絶対売れると思うんですが,見かけませんよね?

もちろん,日本では様々な法規制があって,かき氷屋さんをやるのも決して簡単なことではないのです。

 

台湾風かき氷屋さんの開業なら私が協力しますので,どなたか浦和でやりませんか?


2 コメント

女子小学生と世界平和について議論してみた

埼玉弁護士会の夏休み企画で,毎年,小中学生を対象としたサマースクールを開講しています。以前から所属している「人権のための法教育委員会」の活動ですので,私も企画や準備のお手伝いから当日の講師役まで引き受けます。今年は7月31日,さいたま市内の30名弱の小学校5,6年生たちが参加してくれました。

 

この講座では,子どもたち4~5名のグループをその場で作って,そこに弁護士が1名か2名参加して,一緒に1時間くらいの討論をします。私が参加したグループは,たまたま女の子ばかりでした。

そのグループの話し合いテーマは,
「どうやったら戦争はなくなるのか。どうしたら平和になるのか。」
です。

 

そんな難しいテーマで小学生が弁護士と討論できるのか?

 

……それが,できるんです。それも,結構いけるんです。私は別にM属性ではありませんが,やり込められて思わず嬉しくなることもあります。こんな感じです。

 

 吉 岡:「みんなは,どこか嫌いな国ってあるの?」

 Aさん:「中国と韓国。国旗を燃やすとか,あり得ない。」

 Bさん:「私は中国。無理やり領土を取ろうとしてるし…。」

 吉 岡:「じゃあ,今ここに日本語の話せる中国人と韓国人の小学生の女の子たちがいたら,話すのも嫌? すぐ喧嘩になると思う?」

 Aさん:「喧嘩はしなーい。超~話したい。」

 Cさん:「絶対仲良くなれるよね。わたし,自信ある!」

 小学生一同:「うん,うん」

 吉 岡:「子どものみんなは仲良くできるのに,どうして大人はできないんだろう?」

 Dさん:「だ~か~ら~,大人はすぐ欲をかくからダメなんだよ。立場とか建前とかばっかりで,喧嘩みたいな議論するから,ちゃんとした話合いができなくて仲良くなれないんじゃん。」

 吉 岡:「おっしゃるとおりで……」

 Aさん:「それに,お金が絡むしね。」

 Bさん:「お金もそうだけど,土地(領土)でしょー。」

 吉 岡:「(ちょっと意地悪して)でもさぁ,Bちゃんは領土のことで中国が嫌いなんでしょ。なんで中国の小学生とは仲良くできるわけぇ? おかしくなぁぃ?」

 Bさん:「それ,関係ないし(ぴしゃりと)。領土のことは,戦争じゃなくて裁判みたいので決めたらいいんじゃない?」

 吉 岡:「……(小声で)参りました。」

 

この続きでは,国や私人間の紛争について当事者以外の第三者を介して話し合うことの意義を討論し,ちょっと背伸びして,私から国際司法裁判所の話などもしています。

 

皆さんも,弁護士とこんな楽しい議論をしてみませんか?

子ども向けだけなく,大人向けの出張講座やお茶会などのお呼ばれも歓迎していますので,ご予算は気にせず,是非お気軽にお問い合わせください。 


0 コメント

妖しい法律(その4)~18歳は大人でしょ?~

大人って,何歳のことですか?

 

法律的には,一応,20歳からと考えるのが標準的です。これは,民法が『年齢二十歳をもって,成年とする。』と定めているからです(第4条)。

 

20歳になると,選挙権が与えられます(公職選挙法第9条)。

お酒を飲んでも,煙草を吸ってもよくなります(未成年者飲酒禁止法第1条,未成年者喫煙禁止法第1条)。

有効な契約を結んだり,馬券を買ったりもできますね。

逆に,成年に達するまでは,法律上未成熟であるとみなされて,子どもとして親の親権に服さなければなりません(民法第818条1項)。

 

しかし,現実には,18歳の大学生がコンパでお酒を飲んでいても,誰も注意しないでしょう。法律上はともかく,肉体的にも社会生活のうえでも,もう十分に大人と評価できるはずです。

民法の制定過程をみても,成年を20歳とした具体的根拠はよくわかりません。実のところ「何となく」そう決まったようです。

 

そもそも,昔は数え年12歳とかでも元服しましたし,今でも野郎どもにとっては童貞を捨てれば「大人」でしょうし,女の子が子どもを産める体になると赤飯を炊いて「大人」になったお祝いをするとかしないとか……。

 

法律の話に戻ってみても,バイクは16歳から,自動車でも18歳から免許を取れますね。

18歳未満とHすると処罰されることがありますが(各地の青少年保護育成条例等),逆に言えば,18歳を過ぎていれば相手が未成年者であっても,肉体関係を含めて自由に男女交際できてしまうわけです。

それどころか,親権者が許可する限り,18歳の未成年者が性風俗店で働こうがAVに出演しようが何の罰則もありません。

そもそも,男は18歳,女は16歳を過ぎれば,父母の同意を得て結婚することだってできるのです(民法731条)。

で,結婚した場合は,20歳未満でも成人とみなされます(民法753条)。離婚しても未成年者には戻りません。

結婚して直ちに離婚しても成人のままですから,「16歳で独身の成人女性」も存在します。既に成人ですから,再婚するのも自由。もはや父母の同意すら不要です。

 

ずらずらと書いていくとキリがありませんが,要するにもう「18歳で成人」ということにしたらいいんじゃないでしょうか。そしたら,大体の法律関係と社会的評価が一致して,世の中がかなりスッキリするでしょう。

ちなみに,天皇や皇太子とかは,18歳で成年です(皇室典範22条)。

 

もっとも,20歳以下の18歳とか19歳とかで高額の買い物をできることになってしまうと,近年の消費者保護の流れに逆行するという消極意見もあります。

それはそれで理解もできるのですが,その「保護」って,すごく中途半端じゃないでしょうか。そこだけ言うの?って感じで。

 

年齢に関する法律は,大抵どこかしら妖しいところがあります。

中でも,20歳を成人とする超有名な規定こそ,実は非常に妖しい法律のひとつなのです。

 


0 コメント

妖しい法律(その5)~結婚適齢期の法的真実~

結婚には適齢期という嫌な言葉があるらしく,晩婚化とか結婚氷河期と言われる今の時代には,適齢期の年齢幅も上がってきているようです。

誰がいつ結婚しようがしまいが余計なお世話ですし,その人にとっては結婚したそのときが適齢期でしょ,って思うのですが……。

 

もっとも,それは上限年齢の話であって,下限は別です。

たとえば,イスラム法の世界では9歳の女の子が結婚できたりするところもあるのですが,さすがに国際的には批判を受けることがあります。

要するに,世界のほとんどの国家で,おおむね肉体的に成熟して大人になったと考えられる年齢で一定の線を引き,結婚の下限年齢が定められています。

これを法律用語で「婚姻適齢」と呼びます。

 

前回も書きましたが,日本では「男は,十八歳に,女は,十六歳にならなければ,婚姻をすることができない。」という条文で,婚姻適齢が定められています(民法731条)。

これに反する婚姻は,取り消しの対象になります。

 

どうして男と女で婚姻適齢(結婚の下限年齢)が違うのでしょうか。

 

女性のほうが肉体的成熟が早いからと説明されることもありますが,後付けの屁理屈ですね。

立法に至った経緯から考えられる本音は,「親が自分の娘を一年でも早く(若く)嫁にやれるようにしておくため」なのです。今考えると,時代錯誤な政略結婚や人身売買みたいな遠い世界に感じるかもしれませんが,民法制定時には,若い女性(娘)がその家の財産や商品のように扱われた時代が,まだ終わっていなかったのです。

 

これ,男の側から見たら,「少しでも若い娘を嫁にもらえるようにしておくため」なわけです。「17歳や18歳じゃ嫌だ! 16歳がいい!」という(金持ち)男の欲望に答えられるように法律を作ったのだと,言えなくもありません。

さすがに妖しすぎるでしょ?

 

憲法14条は,法の下の平等を定めています。

合理的な理由もないのに男女で婚姻適齢を差別している民法731条は,憲法14条に反する違憲の法律です。

婚姻適齢は,男女とも同じ年齢にすべきです。

 

だからこそ,18歳を成年として,成人したら婚姻も契約も就職も飲酒も喫煙も肉体関係もすべて自由,選挙権も与え,大人として刑事責任も取らせるようにすればいいのです。

 

逆に,日本国民が成人年齢を20歳のまま維持している間(日本国民の代表である国会が法改正をしない間)は,20歳未満の少年(未成年者)を国家が十分に保護しなければいけません。

少年法だけを取り出して批判するようなことは,間違いです。

大人としての権利を奪っておいて,大人と同じように責任を取れと叫ぶのは,卑怯者のすることです。

 


0 コメント

私は,無実です。

先週いっぱいかけて,強姦致傷事件の裁判員裁判の弁護人として公判を担当していました。被告人は外国人ですので,通訳を介した裁判です。

逮捕後,一貫して無罪を主張し,法廷でも無実を訴えました。

被害者の主張とは真っ向から対立しています。

 

検察官の求刑は,懲役10年。

 

判決は,無罪ではなく懲役6年(未決勾留日数100日を算入)でした。

残念です。被告人は,即日控訴しました。

 

無罪主張が破れ,判決で「反省がない」と非難されたのに,どうして求刑の10年から懲役6年にまで大きく減軽されたのか?

……などなど,書きたいことはたくさんあるのですが,控訴審で無罪を争う未確定事件ですので,この事件の具体的事情は,いずれまたここでご報告したいと思います。

 

 

それはともかく,通訳を介した裁判というのは,実に難しいものです。

 

たとえば,あなたが裁判員に選ばれた裁判で,被告人が,

“I am innocence.”

と言ったとします。

それを通訳人が,

「私は,無実です。」

と訳すか,

「オレは,やってねぇ。」

と訳すかの違いで,あなたの被告人に対する印象は1ミリも影響を受けないと,断言できるでしょうか。

もし印象がほんの少しでも異なってしまったとして,それは被告人に責任のあることでしょうか。

 

そして,驚くべきことに,警察の捜査や刑事裁判でプロの通訳人として仕事をするために,語学力に関する資格は一切不要なのです。

 

私の所属する日弁連の刑弁センター制度改革小委員会では,数年前から司法通訳について研究と立法提言を続けています。

来週の土曜日には,弁護士と通訳人向けのシンポジウムを開催し,私がその司会をする予定です。

それについても,またご報告しますね。 

 


0 コメント

法廷通訳の新世界へ!

昨日,2014年9月6日(土),日本弁護士連合会主催の法廷通訳シンポジウム

「ただしく伝わっていますか? あなたの尋問 ~裁判員裁判時代の通訳人と弁護人の協働のために~」

が開催されました。

 

弁護士と通訳人のみを対象とした非常にニッチな題材の3時間にわたる長時間のシンポジウムです。それほど大規模な宣伝もしていません。主催者側である私たち日弁連委員としても,何人くらいの人が集まっていただけるのかと,正直言って不安でした。

ところが,ふたを開けてみれば,あっという間に会場からあふれ出すほどの人が集まり(本当にあふれたので中継室をご用意しました),同時中継した全国の会場と合わせて300人もの皆様にご参加いただき,大盛況となりました。

参加者の大多数が現役の司法通訳人の方々でした。

 

もちろん,すべては私の華麗なる総合司会ぶりのおかげです(嘘)。

いや,司会をしたのは本当ですが,素晴らしかったのは報告者やパネリストの皆様です。

元裁判官や現役通訳者の方に本音を語っていただけたことも,大変好評でした。

これを機会に全国の通訳人の方々と刑事弁護を扱う弁護士が連携し,法廷通訳を魅力ある専門職とするために,人権感度の低い法務省・最高裁を動かして,司法通訳の資格制度などの法整備を本格的に進めることができるかもしれません。

法廷通訳の新しい時代が,このシンポジウムから始まるような気がします。

 

シンポの中では,裁判で誤訳が問題となったケースや,海外調査報告,通訳に関する様々な研究・実験の結果など,いずれも事前に内容を承知していたとはいえ,当日のアドリブ部分を含めて面白い話がたくさん聞けました。

たとえば,外国人の刑事裁判の冒頭で,

「とても,緊張,して,います。」

と,口の中をカラカラにして絞り出すように語り始めた被告人の言葉を,通訳人が,

「私は,たくさんの人々から注目を浴びています。」

とスラスラ訳してしまったことで,まるで愉快犯のように思われてしまった事例。

もちろん,これは初歩的な誤訳の例として出た話にすぎませんが,わかりやすかったです。

(ちなみに,その通訳人は,“tention”と“attention”を聞き間違ってしまったわけです。)

 

 

でも,会場で一番うけていたのは,代々木公園の隣に事務所を構えている弁護士のデング熱パニック自虐ネタでした。

 

ま,それはそれでよろしいかと。 

 


0 コメント

被疑者国選を逮捕から

2日間の名古屋出張から帰ってきました。

先週金曜日(2014年9月12日)に,名古屋で日本弁護士連合会主催の第13回国選弁護シンポジウムが開かれ,その実行委員の一人として前日準備からずっと参加していました(プロフィールの「公的役職」の項を参照ください)。

決してひつまぶしを食べに行っていただけではありません。食べましたけど。

 

国選弁護シンポジウム(国選シンポ)は,刑事弁護に関する日弁連最大規模の公開シンポで,2年に一度,全国各地で開かれています。今回も,弁護士を中心に600名を超える人々が一堂に会しました。

 

刑事裁判を受ける被告人が国選弁護人を選任できることは,憲法で認められた日本国民の権利です。

しかし,2006年に被疑者国選弁護制度が実施(2004年制定)されるまで,起訴前の被疑者(勾留中の容疑者)が国選弁護人を請求できる制度は,まったく存在しませんでした。

いつまでたっても被疑者の国選弁護制度を作ろうとしない国に代わって,1990年以降,全国の弁護士がお金を出し合い,負担を分け合って当番弁護士制度を作り,ボランティアで被疑者の弁護活動を続けてきました。

被疑者国選弁護制度の立法化は,弁護士会が長年にわたって市民のために要求し続けた結果として,やっと実現したものです。その原動力のひとつが,この国選シンポでした。

 

しかし,今の被疑者国選制度は一定以下の軽い罪を制度の対象外としているため,国選弁護人を選任できない被疑者がたくさんいます。

また,そもそも制度の対象者を勾留後の被疑者だけに限定しているため,逮捕されただけでは国選弁護人を請求できません。

そのため,逮捕されてから勾留されて国選弁護人がつくまで(2泊3日)の間に,厳しい取調べを受けて虚偽の自白をさせられてしまう人もいます。

その隙間を埋めているのは,今でも当番弁護士制度なのです。

 

今年までの日弁連の努力の成果として,来年か再来年には被疑者国選制度が勾留後のすべての事件に拡大される見込みになっています。

しかし,逮捕後すぐに国選弁護人を請求できる制度にしなければ,えん罪が今後も量産され続けます。

今回の国選シンポの副題,「さらに一歩を! 逮捕からの充実した弁護」は,制度改革のために国と戦い続ける全国の刑事弁護人の強い想いの現れなのです。

 

うん,今,良いこと言った。 

 


0 コメント

ろくなもんじゃねぇ

弁護士仲間で飲むことはよくありますし,日弁連の委員会やシンポジウムの後には,全国から集まった猛者たちが飲み会をすることもあります。

弁護士同士の飲み会って,堅苦しくて,つまらなくて,ろくなもんじゃないイメージじゃないですか?

議論好きな人が多いですから,なんでも議論しますね。あと,表に出ます。

 

「東京来ると,蚊に噛まれんの怖いわ。」

「代々木公園そんな広くないでしょ。ていうか,蚊に噛まれないでしょ。刺されるんでしょ。」

「いや,蚊は喰われるじゃないんですか?」

「いやいやいやいや,『刺される』でしょ。裁判員裁判の時代だからね,市民の常識で判断しましょうよ。国民の大多数が『刺される』だって。民主主義的正当性あるよ。」

「データも示さんで大多数とか正当とか,説得力ないわ~。あんなもん,噛んどるに決まっとる。」

「蚊に歯,ないでしょ?。噛めないよ。針を刺すんだよ。」

「針みたいな口しとるだけやろ。ちゃんと口で噛んどるよ。」

「違いますよ。議論が蚊に関する本質を見失ってます。蚊は血を吸うのが本来の目的なんですよ。刺すのも噛むのも,血を飲むためでしょ。だから,食事を意味する『喰う』が一番本質を捉えてるんですよ。喰われるんです。」

「あほか。人間が蚊の立場で本質語ってどうすんじゃ。血を飲まれるのなんか人間の立場からしたら大した問題じゃない。噛まれて痒くなるのが問題なんじゃ。んで,あれは吸う前に麻酔の毒入れてるから痒くなるんじゃ。刺されても,血飲まれても,痒くならんのじゃ。噛みついて最初に毒入れてるから痒くなるんじゃ。だから,『噛む』」。

「噛むという文言で毒を入れる状態を表現しているというのは,文理解釈の域を超えてますね。解釈論としてあり得ないです。」

「なんじゃあ,われぇ。表へ出ろ!」

「あ,ケンカね。じゃあ私,怪我が大きかった方の損害賠償請求の代理人やります。」

「そしたら,俺は後から手を出した方の代理人やる。正当防衛ね。勝ったな。」

「それ,汚ねー。」

「何が汚い? 事案の筋を読めない奴が無能なだけだよ。」

「……ちょっと表へ出ますか?」

「おー。やるか!」

「わしはどっちの代理人でも先に依頼された方をやるで。そのかわり着手金1000な。」

「守銭奴だ,この人。」

「1000円か? 安い弁護士じゃの。」

「あ~ん,こらぁ。まとめて表出んか!」

 

……この後の出来事を関係者から聴取すると,「血を見た」「歴史的惨劇が起こった」「このシンポの存在は日弁連公式記録から抹消された」などという一部本人たちの供述と,「おっさんたちが一同で馬鹿笑いしていただけ」という目撃証人の供述に分かれました。真実は不明です。

というより,果たしてこんな話が本当にあったのか,なかったのか,うーん,どうやら私も記憶が定かではないようです。

 

まぁ,実際,ろくなもんじゃないですね。 

 


0 コメント

関羽に想いを

最近,浦和から横浜へ出張する事件が続いていて,月に1,2回は横浜に通っています。

横浜地裁(家裁)は横浜中華街のすぐ近く。浦和からだと遠い印象はありますが,京浜東北線の関内や石川町が最寄り駅ですので,最速なら片道1時間強で着いてしまいます。

 

横浜中華街と言えば,私が最初に思い浮かべるのは関帝廟です。

 

関帝は関聖帝君の略称で,言わずと知れた三国志の英雄・関羽雲長のこと。死後になって物語を通じて民衆の信仰を集め,歴代王朝より封号を受け続けた結果,清代に至って封ぜられた正式な称号は「忠義神武霊佑仁遊勇威顕護国保民誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝」となりました。

中国・台湾で,もっとも人気を集める神様であると言ってよいでしょう。

 

台湾でも,有名な行天宮(台北)は関帝廟ですし,各地の文武廟は孔子と関帝を祀っています(本来の武神は太公望呂尚ですが,関羽人気のため無常にも入れ替わりました)。そのほか,廟という廟には,必ずと言って良いほど関帝(関公)像があります。

何と言っても武将の神様ですから,台湾の警察とヤクザ(黒社会)は,両方とも熱心に関帝を信仰しているんだそうです。

留置場で警察官とヤクザが並んで関帝に祈りを捧げている場面なんて,想像するとおもしろいですね。

 

そうそう,以前このブログ(「ダラン,だらん,達浪……」2014年4月18日)で書いた台湾の警察での接見室の様子がわかりましたので,ご報告します。

日本と違い,台湾の接見室には仕切りのためのアクリル板なんて無いんだそうです。

その点ではドラマが正解でした。台湾ドラマ,侮り難し。

日本でも少年鑑別所ならアクリル板無しの個室面会が可能なので,それと同じような雰囲気なんでしょうね。

 

ちなみに,武神関羽は,いつの間にか財神(商売の神様)としても信仰されるようになっています。中華街に古くから関帝廟があるのはそのためです。

「算盤(そろばん)は関羽が発明した」などという伝承まであります(史実ではありません)。

 

関帝像は明らかに三国志演義のイメージで創られていますが,真実の関羽はどのような人だったのでしょうか。

演義で美髯公と称された立派な髭は本当のようですが,正史三国志を読むと,赤い顔じゃないし(そりゃそうだ),青龍刀は創作かもしれません(顔良を「刺す」場面があるので,主武器は矛か戟であったと思います)。

 

せっかく横浜に行ってもすぐにとんぼ返りで,中華街に立ち寄る暇はなかなか取れないのですが,その分,車窓から英雄に精一杯の想いを馳せるのでした。

 

 

 

……せめてもうちょっとお金が貯まりますように(祈) 

 


0 コメント

そっちの意味じゃ,ありません

弁護士のよく使う法律用語が,世間一般に使われている言葉と違うことがよくあります。

法律相談などでお話しするときには,できるだけ気をつけて普通の言葉に言い換えているのですが,時々ぽろっとそのまま出てしまいます。

弁護士として,誰にでもわかりやすい話し方を心がけたいですから,一般の方々に伝わりにくい用語の存在に気付いたら,その都度,心にとめておくようにしています。

 

といっても,明らかに難しい言葉の使い方で困るようなことはありません。難しい専門用語ほど,普段から説明し慣れているからです。

たとえば,「瑕疵(かし)」とは,通常は無いはずの欠点や欠陥のことで,傷や過失を意味することもあります。法律の中に「瑕疵担保責任」とか「隠れたる瑕疵」という用語が出てくるので,説明を避けて通れないことがあるのですが,こういう言葉はそれほど問題になりません。

 

困ることが多いのは,読み方だけが普通と違う法律用語や,漢字を見ればすぐにわかるけど普段はあまり使わない言葉,別の言い方が一般的に受け入れられている場合などです。

 

たとえば,「遺言」は,普通に読む場合は「ゆいごん」ですが,法律家は「いごん」と言います。この種の専門用語は「こいつ,弁護士のくせに漢字の読み方も知らんのか」と誤解されることもあり,気をつけなければいけません。

 

耳で聞いただけだと一瞬とまどう言葉の例は,「しりょく」ですね。

これは,勝訴判決の効力や法テラスの審査,国選弁護の説明などで必ずと言っていいほど出てきます。

漢字で書くと「資力」です。文字を見れば,資金力,要するにお金や資産などの経済力があるかどうかだということはすぐに分かります。

ところが,日常会話ではあまり出てこないので,はじめて聞くと分かりにくい言葉です。

 

また,「被疑者」は,より一般的な言葉の「容疑者」に,「接見」は「面会」に言い換えないと,最初はうまく伝わらないことがあります。

 

なんにせよ,打ち合わせでなら,いくらでも説明できます。

恥ずかしいのは,見ず知らずの人にたまたま会話を聞かれて,誤解されてしまうときです。

たとえば,ちょうど西川口駅(川口警察署の最寄り駅)を通過する電車の中での弁護士同士の会話。

 

「そういえば,昨日の夜は西川口で降りて『接見』に行ったんだけどさ。」

「おっ,どうだった?」

「それが,まだ女子高生で,ウブな感じでね。こんなところは初めてなんだって。もちろん,ばっちり『否認』だよ。」

「いいじゃない。やりがいあるでしょ。」

「まぁね。忙しいんだけど,つい『また明日も来るからね』って約束しちゃったよ。疲れてるけど,今日も頑張って帰りに寄るつもり……」

 

この辺りで,はっと気がついたときには時既に遅し。数人から痛い視線を浴びることになります。

 

 

※西川口は風俗店が多いことでも有名です。「石鹸」だの「避妊」だの,電車の中で滅多なことを言うもんじゃありません。

 


0 コメント

真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(1)

ブラック社員には2種類ある

「ブラック企業」ブーム(?)に続いて,今「ブラック社員」という言葉が広まりつつあります。

しかし,「ブラック企業」と違って,「ブラック社員」の定義は,かなり曖昧です。

ブラック社員と呼ばれる存在は少なくとも2種類に分けられ,両者は全く異なります。

 

ブラック社員という言葉の発生の元になったのは,ブラック企業とセットで語られる従業員,言わば「元祖ブラック社員」です。

彼らは,彼ら自身がブラックなのではなく,ブラック企業の中で一生懸命に働いてしまう結果,ほかの普通の社員やアルバイトにブラックな影響を与えてしまう人です。

 

これと正反対なのが,「真のブラック社員」です。

彼らは,ブラック企業ではなく,ごく普通の(ホワイトな)企業の中に潜伏しており,あるとき突然に牙をむいて,自分の会社や他の社員を地獄に落とします。これこそ,本当の意味でブラックな社員です。

 

今のところ,この2種類を世間はまだ区別できておらず,自分が想像する片方の「ブラック社員」についてだけ議論している人が多いようです。

元祖ブラック社員とは?

ちまたで言われる「元祖ブラック社員」とは,ブラック企業で現場の先兵として働く熱心な従業員のことです。

 

彼らは,第三者から見ればブラックとしか思えない企業・経営者の方針に心酔しており,自分の仕事に夢を抱き,会社(ブラック企業)に尽くしています。

そのため,誰よりも彼ら自身が,自己実現に燃えて,心身の限界まで長時間(かつ,場合によっては低賃金で)働きます。通常,彼らはそれが良いことだと信じています。

それと同時に,彼らは現場のリーダーとして,会社のために,自分の部下の社員やパートやアルバイトを,自分と同じように心身の限界まで働かせようとします。そのことに悪意はありません(ここで言う悪意は,「他者に対する害意」のことです)。

 

ただし,彼らの熱意ある仕事の結果として,ごく普通に働きたかっただけのほかの社員やアルバイトは,昇格も昇給もおよそ見込めないのに,長時間・低賃金の労働で酷使され,ぼろぼろになって,いずれ使い捨てられてしまうのです。

こうして,ブラック企業が成立します。

ブラック企業の責任転嫁

本来,彼ら(元祖ブラック社員)を,「ブラック社員」などと呼ぶのは間違いです。

 

確かに,彼らの存在こそがブラック企業を支えています。それは事実ですし,ブラック企業の実態を解明するための指摘としては当たっています。

もとより,ブラック企業の被害者である普通の社員やアルバイトにとっては,この「元祖ブラック社員」たちこそ,自分を酷使した張本人の上司なのですから,憎しみの対象でもあるでしょう。

しかし,自己実現のために必死に働く元祖ブラック社員たちは,本質的に彼ら自身がブラックなのではありません。ブラックなのは,あくまでも企業本体であり,会社経営陣(かなりの確率でワンマン経営者その人)なのです。

彼らのような自己実現に燃えた一部社員を利用して(作り出して),その他大勢の社員・アルバイトを意図的に短期で使い捨てにしようとする特定の企業の経営方針こそが「ブラック」なのです。

悪意(害意)のない元祖ブラック社員たちに責任を転嫁するようなことばかりを言えば,ブラック企業本体やその経営者の責任が曖昧になってしまいます。

 

さて,もうひとつのブラック社員,本当に怖い「真のブラック社員」とは,どういう人たちでしょうか?

次回,「真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(2)」に続きます。

 


0 コメント

真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(2)

前回(真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(1)参照),ブラック社員には大きく分けて2種類あり,そのひとつがブラック企業の熱血従業員である「元祖ブラック社員」だという話をしました。

今回は,もうひとつのブラック社員,本当に怖い「真のブラック社員」についてご説明します。

真のブラック社員はホワイト企業に潜む

今,日本の多くの企業で,もうひとつの形のブラック社員が,静かに,そして着実に広がっています。彼らは,いわば「真のブラック社員」とも呼ぶべき存在です。

「元祖ブラック社員」と違い,「真のブラック社員」が生息するのは,ブラック企業ではありません。ごく普通の(ホワイトな)企業です。大企業か中小企業かを問いません。あなたの会社にも「真のブラック社員」や,その「予備軍」が潜んでいるかもしれません。

このことに気付かず,対処の遅れた企業は,いずれ予想を超えた大ダメージを受け,下手をすれば倒産の危機をむかえることになるでしょう。

真のブラック社員の特徴

「真のブラック社員」は,基本的に,会社に尽くすという発想がありません。もともと,会社の利益のために働くという意識が薄いのです。

したがって,社内での勤労意欲は著しく低く,通常の正社員に期待されるような働き方はしません。出世のための向上心もありません。

しかも,熱心に働こうとする同僚社員たちの足を引っ張ることで,自分の業績の悪さが目立たないよう画策します。

彼らは,与えられた仕事はしませんが,お金を稼ぐことに興味を持っていないわけではありません。むしろ彼らは,自分自身の利益や自己保身について人一倍敏感であり,お金には徹底的に執着します。

 

また,真のブラック社員は,自分が攻撃されたと感じると,逆ギレして,上司や会社に対して,後で述べるような恐るべき反撃を加えます。

会社の利益など眼中にありませんから,自分と自分の利益を守るためであれば,会社の不利益になることでも平気で行います。

しかし,その一方で,真のブラック社員は,決して自ら会社を辞めようとはしません。

会社が彼らをクビにすることも容易ではありません。

 

すべての企業にとっての獅子身中の虫。それが真のブラック社員です。

真のブラック社員の誕生

勘違いしやすいかもしれませんが,「真のブラック社員」とは,単に仕事ができない従業員のことではありません。

また,多くの場合,採用当初からブラック社員なわけでもありません。

もともと仕事に対する意欲が低く,一定の性格傾向のある「予備軍」だっただけの人が,何らかのきっかけで「真のブラック社員」へと変貌するのです。

そして,そのきっかけの多くは,会社や上司の彼らに対する扱い方に注意が足りなかったことに起因します。

 

典型的なきっかけは,上司が同僚らの前で,考えなく「予備軍」の人を叱り飛ばし,彼らのプライドをひどく傷つけてしまうことです。

彼・彼女は,自分の言動や態度を反省する前に,まず「恥をかかされた」と感じます。上司が怒りにまかせて何度指導しても,改善は見られません。むしろ,その上司への恨みだけをつのらせます。

その結果,彼・彼女は,自分のブログや2ちゃんねるなどの掲示板サービス,SNS(TwitterやFacebook,LINEなど)を通じて,自分の会社が社員をいじめる「ブラック企業」であり,自分はパワハラ上司の被害者であると主張します。

そして,ネット上で,上司の悪口や自分の会社に対する徹底的な批判を繰り広げ,従業員の個人情報や会社の内部事情を暴露します。

 

このようにして,「真のブラック社員」が誕生するのです。

 

 

もちろんほかにも,真のブラック社員によるリスク例があります。

次回,「真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(3)」に続きます。

 


0 コメント

真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(3)

前回(真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(2)参照),真のブラック社員の特徴と,典型的な誕生のきっかけについてお話ししました。

今回は,真のブラック社員による別のリスク例や,元祖ブラック社員との比較についてご説明します。

真のブラック社員による顧客情報流出,流用

真のブラック社員のもたらすリスクについて,別の例を見てみましょう。

彼らは,会社内での出世を諦めている分,常に,何か別の楽チンな方法でお金を稼ぎたいと考えています。

個人的にFXやもっと危険なバクチ行為に手を出して失敗したり,会社に内緒で副業をしたりするくらいなら大したことではなく,せいぜい「予備軍」のままにすぎません。

しかし,会社内に彼らを誘惑する甘い環境があると,あるとき真のブラック社員に堕ちてしまうことがあります。

 

たとえば,真のブラック社員は,自分の会社の顧客データをUSBメモリにコピーして,こっそり持ち出します。それを名簿業者に売って,小遣い稼ぎをします。クリックひとつでコピーできるため,なかなか証拠が残らず,犯人の特定が困難です。

もし顧客情報流出が発覚すれば,企業の受ける社会的ダメージは計り知れません。

 

もっとも,こんな初歩的なやり方をするのは,「真のブラック社員」の中でも低レベルな初級者です。

より賢い(悪質な)ブラック社員上級者は,盗んだ名簿データを闇業者なんかに売りません。それではかえって足がつくと分かっているからです。

では,どうするのか?

彼らは,自分が副業で行っているネット通販ビジネスの販路拡大のために,持ち出した顧客名簿を流用してしまいます。最悪の場合,自社の顧客に対して,自社と競合する商品を,自社よりも安い金額で直接売り込みます。

つまり,自社のAという商品を月額5000円で定期購入している優良見込み客に対して,自分が副業で取り扱っているAと同等のライバル商品Bを,自社よりお得な月額4500円で定期購入するよう働きかけるのです。

しかも,彼らは,通販営業のために電話やDM(ダイレクトメール)なんて使いません。盗んだ顧客データの中のメールアドレスだけを抽出し,大量の広告メールを自動送信するのです。お金もかからないし,足もつきにくいからです。

実際,真のブラック社員のこうした巧妙な手口は,会社が原因不明の顧客離れで末期状態になってはじめて発覚する,というこもとあり得ます。

 

自分勝手な理由で上司や会社を攻撃し,ときには自分の利益のためにだけ会社を利用する。

これこそが,企業を食いつぶす「真のブラック社員」の姿です。

「元祖ブラック社員」と「真のブラック社員」の比較

ブラック企業で自己実現のため必死に働く「元祖ブラック社員」と,会社を食い物にする「真のブラック社員」とは,似ても似つかない正反対の存在です。

それでも,類似点を2つほど見出すことができます。

ひとつは,彼らの悪影響が社内(ほかの社員やアルバイトたち)に伝播して,企業全体を蝕むことです。

もうひとつは,彼らに自覚的な悪意がないことです。

 

ひとつめの共通点,伝播性。

まず,「元祖ブラック社員」が,その性質上周囲を巻き込むのは当然です。彼らは,それゆえにこそ「ブラック」と揶揄されるわけです。

一方,「真のブラック社員」の悪影響も伝染します。たとえば,彼らは会社で仕事をするのが大嫌いですから,自己正当化のために周囲の足を引っ張り,社内に自分同様の怠け者集団を形成することで,社内での居心地を良くしようとします。

会社が対策を取らず,何かにつけて「うまくやろうとする」彼らの言動を放置すると,会社への帰属意識や勤労意欲の低下が社内にジワジワと浸透していき,いずれすべての従業員が感染します。

 

では,ふたつめの共通点。自覚的悪意がないとは,どういうことでしょうか。

実は,真のブラック社員がどれほど会社の利益を害する悪事を働いたとしても,当の本人には,必ずしも悪意がありません。ただし,ここで言う悪意とは,「他者に対する害意」ではなく,「本人が悪いと思っているかどうか」です。

真のブラック社員は,自分の行為が他者(会社や上司等)を害する結果になることは,さすがに分かっています。その意味で,他者に対する害意は確実にあります。誰も傷つけるつもりのない元祖ブラック社員とは違います。

しかし,その一方で,真のブラック社員は「自分自身を守るためなら,他人(会社や上司)の利益を犠牲にすることは,正当な行為である」と信じています。そのような考え方をしやすい人であることが,「予備軍」たる条件なのです。

そのため,会社や上司を傷つける行為にも「悪いという意識」(自覚的な悪意)がないのです。

 

 

もちろん,このような「真のブラック社員」が生まれてしまうのには,それなりの理由があります。

次回,「真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(4)」に続きます。

 


0 コメント

真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(4)

前回(真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(3)参照),真のブラック社員による顧客情報流出・流用のリスク例や元祖ブラック社員との違いについてお話ししました。

今回は,真のブラック社員予備軍である「半社会人」について,予備軍から真のブラック社員に変貌する際の心理状況について,ご説明します。

真のブラック社員予備軍は「半社会人」である

いつの時代もそうですが,若者たちは,古い世代と異なる全く新しい感覚で社会に進出します。

もちろん,若者たちをひとくくりに批判するのは,馬鹿げています。「新人類」や「宇宙人」たちだって,今はもう立派な中堅世代でしょう。

新しい感覚の若い人たちが当然にブラック社員予備軍になっているのではありません。ブラック社員予備軍になる一定の傾向を持った人は,昔から存在するし,それは若者に限らないのです。

ただ,真のブラック社員やその予備軍の多くが今の若者世代であることも,どうやら現実です。

 

では,真のブラック社員予備軍になる人たちとは,どんな傾向を持っているのでしょうか。

今二十代以下の世代は,生まれたときからたくさんの家電とIT技術に当然のごとく囲まれています。その中で育った若者たちの一部には,ネット上の友人とリアル(現実世界)の友人との区別が不十分で,ネットとリアルの人間関係が等価値な人がいます。

そこで止まっていれば何も問題は起こりませんが,これは非常に危うい状態です。ちょっとした心の病,ネット依存度の傾き具合によって,リアルとネットの比重が次第に置き換わってしまうからです。

ネットの世界で自己実現を図るようになれば,リアルな世界で人に認められる必要はなくなります。逆に,リアルでうまくいかないことは,すべてネットで解決し,ネットで発散するようになります。

そうなると,現実世界で生きる意欲も力も低下するし,他人との関わり方や生き方がどんどん下手になります。

その結果,もろく傷つきやすくなった自分の心をリアルな人間関係の戦いから守るため,引きこもりになったり,他者に対して極端に攻撃的になったりしてしまいます。

 

こうしたネット依存の例に限らず,適切な人間関係の結び方を学ばずに大人になり,社会に出てきてしまう人たちがいます。

彼らは,まだ社会にうまく適合していない社会人,つまり「半社会人」です。

仕事や人生の知識・経験が足りていない「半人前」とは違います。社会の中で人と関わって生きることが下手なのです。

 

半社会人は,時代を問わず昔から一定数存在しました。

しかし,現代日本の極めて恵まれた生活環境は,世の中に半社会人の割合を劇的に増加させ,質的にも変化をもたらしつつあると思います。ネット社会がそれを加速しています。

なぜなら,リアルな人間関係を結ばずに大人になることが誰にでもできてしまうし,それで何の不自由もなく現実に生きていけるからです。

そして,彼ら半社会人は,真のブラック社員予備軍として,あなたの会社にも必ず紛れ込んで来るのです。

予備軍から真のブラック社員への進化(退化?)

人間関係の構築が苦手な「予備軍=半社会人」が,たとえば,現実世界で上司に激しく怒られたとき,どう感じて,どう行動することになるでしょうか。

 

彼らにとって,人目のある場所での上司からの叱責は,自分への攻撃です。

「もし教育的な指導のつもりなら,個別に呼び出して注意すれば十分じゃないか。こっちは黙って静かに聞いているんだから,大声を出す必要もないだろう。それなのに,上司はわざわざ人前で怒って責めてきた。明らかにイジメだ。」

それが,彼らの合理的思考です。

 

ところが,彼らは,攻撃してくる上司に対して,リアルな世界で直接反論できるだけの対人経験値がありません。そのため,彼らには,上司から一方的に恥をかかされた,同僚や後輩から理不尽に笑われたという,悔しさだけが残ります。

そんなことが積み重なれば,いずれそれは恨みとなって,彼らが得意とする世界,すなわちネットの世界での徹底的な反撃へと結びつくことになるのです。

その瞬間,彼らは予備軍から真のブラック社員へと変貌します。

彼らにとって,面と向かって上司に言い返すことと,ネット上で全世界に向かって上司や同僚たちの悪口を言いふらすこととの間に,特別な違いなどありません。心理的に追い込まれた結果,自分にとって,より「やりやすい方法」で反撃しただけなのです。

 

また,多くがネット依存傾向のある彼らにとって,ネット上に誰でもアクセス可能な状態で公開されている電子データは,すべて「フリー」(いくらでもタダで入手でき,誰でも自分勝手に自由に使って良いもの)だという感覚があります。

したがって,もし会社内のパソコンに,パスワードもかけずに社員なら誰でもアクセスできる状態で顧客データが保存されていれば,それは社員が誰でも勝手に使うことを許された「フリー」の情報だと感じます。(少なくとも自分に対して,そういう言い訳ができてしまいます。)

電子データは,形がなく無限にコピー可能です。たとえ,それが本来は他人のモノであっても,お金や宝石を盗む感覚とは全く違います。

真のブラック社員にとって,自分が利用できる情報を最大限利用するのは単に賢い選択であり,個人の自由です。会社が誰でも利用できるようにしていた顧客データを副業のために使ったからといって,一体何が悪いのか分からない,となるのです。

 

 

では,こうした予備軍の寝た子を起こすことなく,むしろ彼らを積極的にホワイト社員(デキる社員)へと導くための上手な方法がないでしょうか。

次回,「真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(5)」に続きます。

 


2 コメント

真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(5)

前回(真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(4)参照),予備軍=半社会人が真のブラック社員になってしまう心理と背景についてお話ししました。

今回からは,ブラック社員やその予備軍への対処法を考えていきます。

ただし,ブラック社員への対処法と言っても,元祖ブラック社員(ブラック企業で熱心に働く従業員)の場合と真のブラック社員の場合では,対策も視点もまったく異なります。

まずは,真のブラック社員への対処法からみてみましょう。

真のブラック社員の問題行動には,徹底的に対処する

残念ながら「真のブラック社員」として覚醒し,会社に害悪をもたらすようになってしまった従業員に対しては,法律上可能な限りの厳しい対処で立ち向かう必要があります。そうでなければ,会社がつぶれます。

彼らのほうは,自分の行動で会社がつぶれても何とも思いません。悪いことをしているという自覚がないからです。

いったん真のブラック社員としての行動が始まってしまった相手とは,会社と一般社員を守るために,戦うしかないのです。


では,どのように戦うのか。

会社に損害を与える行為に対しては,社内規定に基づく懲戒処分(解雇等)を厳しく適用するほか,状況に応じて,民事上の不法行為に基づく損害賠償請求,さらには名誉毀損や業務上横領,背任罪などの刑事告訴も行うことになります。

そのためには,出来る限り早期に,損害の発生を認識して証拠を確保し,犯人を特定しなければなりません。特に,証拠や証言は,時間とともに忘れられたり揉み消されたりして,後からでは思うように集められなくなります。

絶対に避けるべきなのは,証拠不足のまま犯人を特定したつもりになって,一方的に厳しい処分,不適切な手続による処分をしてしまうことです。

曖昧な証拠で真のブラック社員を処分しようとすれば,逆に彼らのほうから不当解雇等により会社を訴えてくることが十分に考えられます。真のブラック社員は,もともと能力が低いわけではなく,むしろ得意分野での攻撃力や突破力は非常に高い場合があることに注意すべきです。

万が一,裁判で相手の加害行為を立証することができなければ,会社は彼らに対して多額の損害賠償義務を負う危険もあります。

かといって,いつまでもまごついていたら会社の受ける損害は拡大してしまうでしょう。


つまり,真のブラック社員に対しては,損害の発生に気付いた時点で,直ちに犯人の特定と裁判で使えるような証拠の収集に全力を挙げ,損害が拡大しないうちに断固とした法的対応をとるべきなのです。最初の一歩,入り口での対応を間違うと,後で困ったことになります。

特に,ネットでの名誉毀損行為は,書き込みの削除等の対応と同時に,犯人を特定して処分するところまで一挙に持ち込まないと,削除と書き込みのイタチごっこになってしまい,あっという間に被害が拡散する危険があります。

したがって,真のブラック社員の存在に気付いた時点で,すぐに客観的な専門家である弁護士に相談し,その助言を受けながら,労働法規にも配慮した適切な対策を練っていくことが大切です。

会社内に真のブラック社員を抱え込まないための事前防衛

もっとも,真のブラック社員の存在に気付いてから対処しようとするのは,あまりに遅すぎます。

大事なのは,あなたの会社にも,真のブラック社員の予備軍にあたる半社会人が既に入社している可能性はあり,彼らが真のブラック社員に変わってしまうかどうかは,会社や上司の側の対応次第である,ということです。

つまり,事前の対策によって,真のブラック社員を会社に抱え込まないことは十分に可能なのです。


事前防衛策の第1段階は,従業員の採用時に「半社会人」という存在に対して十分な注意を払うことです。

コミュニケーションに問題を抱えた人,利益優先の合理的すぎる思考をする人,何らかの依存症傾向のある人などは,半社会人的要素が強いと言えます。

いったん雇い入れた従業員の解雇処分等に対する法的規制の厳しさと比較して,企業側の採用の自由度は極めて広いことを大切にしてください。

もっとも,本当の意味で「人を見抜く」というのは容易なことではありませんね。採用に慎重になりすぎて有為の人材を雇うことができないのも,本末転倒です。


事前防衛策の第2段階は,会社内の倫理規定や就業規則を細かく整備し,従業員に対して周知徹底することです。同時に,顧客データ等の社内情報の管理者を特定し,管理方法を厳重にします。もちろん,製品・サービスの品質管理を徹底することも重要です。

他方で,管理部門が現場の声をきちんと拾えるようなシステムを構築しておくことで,過度に硬直的でない企業風土を育てられるとベストです。

これらは,企業コンプライアンス(法令遵守)の基礎であるとともに,従業員が会社や自分の仕事の価値を自覚することにつながり,ひいては企業の品格やブランドを内外に確立するための基盤となります。

これらはコーポレートガバナンスの基本的な考え方のはずですが,現実には,よく検討された就業規則等を備えている会社は,決して多くありません。


事前防衛策の第3段階は,リーダー(経営者,幹部社員)の資質向上と社内研修の充実です。とりわけ重要なのは,経営者や上司の側が,リーダーとしての自覚と能力を高める努力を怠らないことです。

加速的に変化する時代,様々な新しい特性と能力をもった社員たちが,それぞれの思いを持って,ひとつの会社に集まっています。

新しい感性を持った自由気ままな若手社員も,少し頭の固いベテラン社員も,若干の問題を抱えていそうな半社会人も,皆それぞれの得意分野と不得意分野が必ずあり,誰もが企業に貢献できる大きな可能性を秘めています。

部下の特性に応じた導き方により,一人一人から最大限の可能性を引き出してあげること,それができるような充実した「チーム」を作り,育て,動かしていくことこそ,会社のトップである経営者と各部門リーダーの役割であり,責任でもあるはずです。

たとえ,真のブラック社員の予備軍たちであっても,リーダー次第でホワイト社員へと育て上げることができます。まずは,その意識転換を図りましょう。

リーダーの高い見識のもと,企業が社会的責任を果たしつつ会社としての利益をきちんと確保することで,従業員も充実するし,株主も顧客も利益を受けることができるのです。それこそ,真のホワイト企業です。


こうした事前防衛策の構築やコンプライアンスの充実などについても,弁護士の専門的知識や経験をどんどん活用していただけたらと思います。

では,いわゆる「ブラック企業」や元祖ブラック社員への対処は,どう考えたらよいでしょうか。

次回,いよいよ「真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(6):最終回」に続きます。


0 コメント

真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(6):最終回

前回(真のブラック社員とは?-企業を蝕む獅子身中の虫(5)参照),真のブラック社員の悪行への対処方法や,予備軍=半社会人をホワイト社員へと育てていくリーダーの役割などについてお話ししました。
今回は,ブラック企業の手先となっている元祖ブラック社員への対策についてご説明して,ブラック社員シリーズは一応の最終回にしたいと思います。

ブラック企業問題の本質は,問題の取り上げ方にある

元祖ブラック社員は,ブラック企業(経営者)の言うままに動いているのですから,これに対処する必要があるのは会社・経営者側ではありませんね。運悪くブラック企業に勤務してしまい,熱心な元祖ブラック社員の同僚や部下という立場になってしまった一般の従業員,パート,アルバイトの皆さんです。
つまり,元祖ブラック社員への対処法とは,労働者側がブラック企業に対してどう立ち向かうか,という話なのです。
「ブラック企業対策」については,既にいろいろな人がいろいろなことを好き勝手に語っていますが,はっきり言って,そのこと自体がブラック企業問題の本質だと思います。
本来,個々人の法的問題(一般的な労働事件)の集合にすぎないことを意図的に社会問題化させた結果,ブラック企業の被害を受けた個々人の救済が後回しにされているのです。

ブラック企業の法律問題とは?

ブラック企業では,元祖ブラック社員の現場指揮のもとで,労働法の規制を無視した長時間残業,休日出勤,有給その他の特別休暇の取得妨害などが,集団的かつ継続的に行われ,しかも,これに従わない従業員に対して強烈なパワハラが行われる結果,最後は自主退職(実質的な不当解雇)に追い込まれます。
それが,特定の企業において,組織的に毎年のように大量に行われていることから,ブラック企業問題が大きく取り上げられました。


しかし,こうしたブラック企業の問題は,一般的な労働法や裁判例に基づく規制・規範への違反が明らかな点ばかりです。
元祖ブラック社員は,自覚の有無にかかわらずブラック企業の共犯者(民事上の不法行為にかかる不真正連帯債務者)となっている可能性はありますが,違反行為の主体は,その「企業」です。
要するに,もともとブラック企業問題とは,特定の企業による常習的な労働法違反行為であるにすぎません。それなのに,何かまったく新しい社会的病理現象が発生しているかのように,世間が騒ぎ立てているだけなのです。

これは,単なる「売春」を「援助交際」と言い換えて流行させてしまったのと同じ構図です。


ブラック企業や元祖ブラック社員に対しては,ほとんどの場合,通常の労働法の知識・経験に基づく一般的な対処を適切かつ緻密に行うことで,十分に対処できます。
そのためには,労働者側で,労働法制の基本をできるだけ学んでおくこと,変だと思ったら早めに労働事件について経験のある弁護士に相談しておき,状況を見て交渉や裁判,労働審判などの正式な依頼をすることが,とても大切になります。

専門家を名乗る非弁護士に注意

このブラック企業問題については,これまで,むしろ弁護士以外の者が中心となって,ある種,売名的にセンセーショナルな取り上げ方が続けられているようです。
その結果,本来の労働事件としての個別対処が置き去りにされたまま「社会問題」化し,政治課題,経済対策などといった視点で構造的な対処法ばかりが語られ続けました。


しかし,そのような大きすぎる視点では,ブラック企業で心身がボロボロになるまで働かされた個々の被害者たちの救済は後回しにされ,無視されてしまいます。
被害者自身も,マスコミ等の論調を見ると,自分の受けた被害が弁護士への相談で対処可能な法律問題だという認識を持てません。そうなると,精神的に追い込まれ,誰の助けも求めないまま自殺する人まで出てきてしまうのです。

 

ブラック企業問題に限らず,本来は弁護士が処理可能な法律問題であるにもかかわらず,弁護士以外の者が先に独占的な関与をしてしまうことによって被害者の法的救済が結果的に遅れてしまうことが,様々な分野で起こっています。最近では,ストーカー問題やDV,離婚問題などの男女間トラブルの分野で多くみられるようです。
行政書士など他の士業の方が,本来本業でないはずの部分まで頑張りすぎてしまう場合もあれば,法的資格と無関係に相談を受けることを商売にしようとする人も,以前より増えているように感じます。
もちろん,法律では解決しきれない社会的問題は存在しますし,法的には救済しきれない被害者がいることも確かです。彼らのためには,法律家以外の人々の様々な手助けが絶対に必要です。
しかし,法的に解決できる問題については,まず最初に「弁護士」の助言を求めておくべきです。法律上の解決を遅らせることは,ただ傷口を広げるだけで,メリットはありません。

取り返しのつかない末期症状になってから弁護士に相談しはじめるのでは,遅すぎます。

 

弁護士以外でも,本当に被害者のために誠実に活動している人たちは,被害者からの相談を決して自分のところだけで止めず,直ちに弁護士へ繋ごうとします。

それをしないで,「弁護士が足りないから自分がやっている」,「弁護士では解決できない」ようなことを言う非弁護士には,くれぐれも注意してください。(もう少し軽い話題ですが,「日本のテレビ報道は,もう少し何とかならないのか。(2014年6月2日のブログ)」もご参照ください。)

 


0 コメント

死者の証人尋問

青森に出張となった。現地での証人尋問である。

証人が高齢で遠方への出張不可能であったため,裁判所外での尋問を行うことが決まった。裁判官や書記官,双方代理人弁護士らが,連れ立って新幹線に乗り込む。


 

事件は,白昼の県道で発生した交通事故であった。

被害者は,声優を目指して専門学校に通い始めたばかりの女性。自転車で道路を横断しようとしたところを,直進してきた加害車両に追突された。ほぼ即死だった。目撃者はない。

加害車両の運転者は,被害女性がスマートフォンをいじりながら,突然フラフラと車道に出てきたと主張した。

たしかに,被害者がスマホのゲームにハマっていたという友人の証言があった。また,現場には被害者のスマホが落ちていた。しかし,事故の衝撃で壊れていて,事故当時に電源が入っていたのかすら分からない。

一方で,加害車両には,衝突までにブレーキをかけたり減速したりした形跡がなく,かつ,被害自転車の横から衝突していた。脇見や居眠り運転の可能性を否定できない。

何より,加害者は任意保険に加入していなかったうえ,これまで一度も真摯な謝罪の態度を見せていなかった。


被害者は,はたしてスマホゲームに夢中だったのか?

加害者は,よけることができなかったのか? 死人に口無しを決め込んでいるだけなのではないか?


被害者の母が法廷で証人に立ち,「もう一度,娘の声を聞きたい。娘に真実を語ってもらいたい」と,泣き崩れながら語った。

法廷の誰もが,ただ沈黙した。


 

そして私は,亡くなった被害者本人の証人尋問を,裁判所に請求した。


無論,裁判官も相手方代理人も,誰もが訝った。

 

「死者の証人尋問など,どうやってやるのですか?」

「恐山のイタコに,亡くなった被害者の口寄せをしてもらいます。ご遺族の希望どおり,是非とも被害者の真実の声を聞いていただきたい。ただし,イタコは皆ご高齢ですから,青森への出張尋問をお願いします。」

 

説得のチャンスなど,万に一つもありそうになかった。だが……。

 

「恐山と言えば,大間の近くですか。そういえば,マグロの美味しい季節ですなぁ。」

なんとも太っ腹で,人間味あふれる裁判官であった。

そして,相手方代理人は,負けず劣らずグルメな人であった。


 

八戸から恐山へと向かう車中,私の胸は高鳴っていった。

これほど予想のつかない,そして,日本の裁判史上前例のない証人尋問に取り組むことは,弁護士として,ある種の快楽である。

青森県恐山
恐山にイタコを訪ねる

……などという妄想を抱きながら,先日,日本三大霊山・恐山への一泊旅行を楽しんで参りました。

大間のマグロも,大変おいしゅうございました。


0 コメント

「結婚事件」と顧問契約の不思議な関係

弁護士というのは因果な職業でして,依頼者の皆様が様々なトラブルや不幸に見舞われることで仕事が生まれています。世の中で「医者と弁護士には関わらないのが幸せ」などと言われてしまうのも,無理からぬところです。

何しろ,おめでたいことや幸せな状況では「事件」になりません。

私はよく,

「弁護士の仕事に『離婚事件』はあっても『結婚事件』は無いですからねぇ。ははは。」

などと笑っております。


もっとも,これはあくまでも冗談であって,本当は正しくありません。


確かに,トラブルが起きれば,そこに弁護士の仕事(法律問題や事件)が生まれます。

しかし,実はトラブルが起きる前にこそ,弁護士の本当の価値があるのです。

トラブルを未然に回避・防止することができる弁護士こそ,真に実力のある弁護士です。

依頼者側となる可能性のある企業でも個人でも,弁護士の助言を早期かつ適切に取り入れることで,賢いリスク管理が可能になります。

そのためには,「かかりつけの医者」と同様に,「かかりつけの弁護士」との継続的で緊密な関係性が必要になってきます。


そこで有用なのが顧問契約です。


企業規模の大小を問わず,果敢に経営戦略に取り組む会社であるほど,多角的戦術がもたらす多面的で新しいリスクに,常にさらされ続けることになります。

であればこそ,特に変動の激しいこれからの時代の成長企業にとっては,かかりつけの弁護士との顧問契約が,効果的な「保険」(セーフティーネット)の役割を果たすようになっていきます。


個人のお客様が弁護士との顧問契約を結ぶケースはまだ多くありませんが,代わりに今後は,生命保険や医療保険と同様,個人の弁護士保険がスタンダード化していくことでしょう。個人事業主や専門職等の個人を対象とした新しい顧問弁護士契約のスタイルが広がる可能性もあります。



ちなみに,「結婚事件が無い」というのも,本当は正しくありません。


他の弁護士に聞いたら誰もが「結婚事件なんて知らん」と言うでしょうが,少なくとも私は,過去に「結婚事件」と呼べるようなご相談を何度か経験しています。

民法第755条には,婚姻届出前にのみ可能な「夫婦財産契約」という特別な制度があるのです。結婚前にできるほとんど唯一のトラブル予防法なのですが,日本では極めて実例が少ないのが現実です。

資産を有する方がこれから結婚しようという場合には,必ず事前にご相談ください。



ん? だとすると,結婚もやっぱり「発生前のトラブル」の一種なのではないだろうか……。


0 コメント

専門家証人が信用できないワケ

マジカルナンバー7(マジックナンバー7)という話を聞いたことがあるでしょうか。

 

人間が複数の対象を同時に短期(短時間)記憶するのは,7個(プラスマイナス2個)が限界だという趣旨の学説のことです。要するに,人が何かの絵や記号や数字をぱっと見せられたとき,一瞬で覚えられるのは5個~9個までだということです。

この説は,比較的最近まで心理学上の常識扱いされていました。

 

 

私が大学で心理学の講義を受けていたときも,マジカルナンバー7についての解説がありました。そのときは割と大きめの教室での授業で,学生が5~60人くらいいたと思います。ひと通りの解説を終えると,教授が「じゃあ,簡単な実験をしてみましょう。皆さん,協力してください。」と言い始めました。

 

  1. まず,教授がランダムな数字をいくつか口にして,学生はそれを頭で記憶します。メモはできません。
  2. 少し別の話を挟んで時間をおいてから,教授が学生に数字を思い出すように指示します。学生は頭の中で数字を再生します。
  3. 教授が先に言った数字をもう一度口にして,学生は自分の記憶が正しかったかどうかを確認します。
  4. 正しく記憶・再生できた学生は,挙手します。

 

この方法で,教授は,数字を5個覚える場合,7個の場合,9個の場合,11個の場合と続けました。5個では7~8割くらいの学生が挙手し,7個では4~5割くらい,9個では1割くらいの学生が挙手しました。11個になったとき,挙手したのは私1人でした。

教授は,「今年は,一人いたか。」とつぶやきました。

 

次に教授は,覚えた数字を逆再生するように指示しました。

さっきまでよりも難易度が高くなり,覚えられる(再生できる)数字の数も少なくなるはずです。

すると,5個,7個ではさっきと同じくらいでしたが,9個では2割くらいの学生が挙手しました。11個になったとき,私を含む4~5人くらいが挙手していました。

教授は,「まさか,さっきより増えるとは……」と,首をひねっていました。

実験の難易度が上がったのに学生の正解率が有意に増えたことが,理論的に説明のつかない現象だったからです。

 

 

しかし,教授には理解できなかったその現象の原因が,私にはすぐにわかりました。考えられる理由は3つありました。

 

第1に,「逆再生」という実験のほうが学生にとって面白そうな内容だったから。

第2に,大教室の隅で寝ていた学生の一部が,目を覚まして途中参加したから。

第3に,一番考えられる理由として,最初の実験の11個のときに学生(私)が1人だけ正解したのを見て,プライドの高い一部の学生が競争心を刺激されたから,です。

 

教授が,マジカルナンバー7という心理学上の学説理論から考えるのではなく,目の前の学生たちの現実の心の動きから考えていれば,それは心理学的にも十分説明のつく結果だったはずです。

現実世界を理論や学問だけで判断するのはやめようと思った瞬間でした。

 

 

訴訟でも,学者や医師,研究者などの専門家が証人になることがあります。証拠物の鑑定をした鑑定人を尋問する場面などが典型的です。

専門家の証言なので,さすがに理論的には正しいことがほとんどです。

しかし,結果は間違っていることがある。あるいは,鑑定人によって結論が分かれてしまうこともある。

間違いの起こる最大の理由は,理論のあてはめに終始して,現実世界での大局的な判断をしていないことです。

 

 

ちなみに,最近の研究では,マジカルナンバー7は間違いで,マジカルナンバー4プラスマイナス1(3~5)が正しいとも言われています。

科学は絶対ではないし,日々進歩(変化)もするのです。

専門家証人が間違えるもう一つの理由は,これです。


0 コメント

アルコール検査もミルクカクテルで

今年も忘年会のシーズンになりました。

弁護士仲間の飲み会はもちろんのこと,顧問先や依頼者の方にお呼ばれすることもあり,毎年この時期はお酒の席が続きます。


私自身は,あまりお酒が得意でない,というかお酒の味が苦手で,ビールや日本酒,焼酎など,まったく飲めません。ただ,根っから甘い物好きのせいか,梅酒や甘いカクテルなら割と飲めるというお子様ぶり。いつも皆様にご迷惑をおかけしております。


以前,あるお店での飲み会で,私が,

「カルアミルク」

「ゴディバミルク」

「マリブミルク」

「抹茶ミルク」

「イチゴミルク」

と,ミルク系のカクテルばかり続けて頼んでいたら,抹茶ミルクのあたりから店員の女の子がちょっと笑いはじめ,イチゴミルクでついに声を出して笑うようになり,ラストオーダーでデザートに「白玉あんみつ」と「チョコバナナパフェ」を頼んだら大爆笑されました。

……だってメニューにあるじゃんよ。


もちろん,デザートは私1人で全部食べました。



ところで,お酒を飲む機会が増えるこの時期,特に気をつけたいのが飲酒運転です。


私は,司法試験合格後の検察修習中に,飲酒検知の実験をしたことがあります。

実験と言っても,要するに,真っ昼間からお酒をガバガバ飲んで呼気検査をするだけなのですが。

それでも,実際に警察が使うアルコール検知器を使いながら,自分の酔いの程度と機器の数値を身をもって体験できるのですから,とても意義深い研修でした。

実は,このときの経験を通じて私は,呼気の測定の際,あることに注意するかどうかで呼気中アルコール濃度の数値が上がったり下がったりすることに気付きました。

これを知っていると,同じ量のアルコールを飲んでいても,数値をやや低めに出すことができてしまいます。


どういうことかというと……おや,誰か来たようだ




うわなにをするやめ


0 コメント

小学生が英語を話せるとロースクールで法的思考力が身につく話

弁護士会で法教育活動に携わっていると,定期的に学校を訪問して学生や子どもたちと触れ合ったり,学校教員の方々とお話ししたりする機会があります。

特に,埼玉弁護士会の法教育の特徴として,小学校での授業や小学生を対象としたイベントが多く,子どもたちと一緒に教室で給食を食べたり,昼休みに校庭で警ドロ(鬼ごっこ)やサッカーをしたりすることは何よりの楽しみです。


小学校に行くと,自分がランドセルを背負っていた頃と比べて,いろいろとおもしろいのですが,特に変わったことのひとつが「英語教育」です。


私自身も,最近は国際人権問題に積極的に関わるようになり,国連の委員会への出席を求められたり,英文の資料に目を通したりすることが増えて,英語力の必要性を痛切に感じています。


確かに,自分自身を含め,日本人の英語音痴は自虐的なほどネタになります。

中学・高校と6年間も英語を学び,英検やTOEICなどの検定試験を何度も受験,大学でも英語科目を履修し,就職してからも自費で英会話学校に通い続け,それでも何故か英語ができない日本人。悲しくもなります。

そのため,教育問題を語る人の多くが,幼少時からの英語教育の重要性を声高に叫び,ついには小学校にも英語の授業が浸透し始めたわけです。


そうして小学校での英語教育が始まって,しばらく経ちます。

どこの小学校に行っても,教室や廊下には,英語のあいさつや英単語の書かれた紙が貼ってあります。英語の授業も週に1,2回は行われているようです。


けれども,そうした小学校での英語の取り組みを通じて,今の小学生が英語を話せるようになったり,英語が得意になったりするという話は一向に聞きません。


当たり前です。


そもそも,中学・高校の6年間の授業でちっとも英語が得意にならなかったのに,同じことを小学校から続けていればきっと英語が得意になるだろう,などと本気で考えるほうがどうかしているのです。

最初から考え方を間違っているとしか,言いようがありません。



実は,司法試験や法曹の世界でも,小学校での英語教育と同じような現象が起こっています。それが,法科大学院(ロースクール)です。


ロースクールができる前,法学部では,大学教授の多くが,大教室で後ろの席には届かないような小声で自分の教科書をただ読み上げているだけ,あるいは,熱心ではあっても実務とまったく関係のない分野で実務ではまったく通用しない外国の学説の紹介に明け暮れるという,くだらない講義をしていました。

そのため,司法試験を受ける学生たちは,仕方なく大学の授業ではなく予備校で法律を勉強する必要がありました。

 

すると,なんと当の大学教授たちが予備校批判を始めました。予備校は暗記中心で,法的に考える力がつかないというのです。

 

その結果,無意味な法学部をそのまま残したうえ,屋上屋を重ねるロースクールがたくさん作られ,同じ法学部の教授たちが,以前と同じような授業をロースクールでも繰り返すようになりました。

彼らによると,法学部で4年間教えて法律を身につけられなかった学生でも,あと2,3年ロースクールで教えれば,本当の法的思考力が身につくのだそうです。


なるほど。

 

これって,中学・高校の6年間では足りなかった英語学習も,小学校から同じようにやっていればきっと話せるようになるだろうという考え方と同じですね。

さすが,教育行政に携わる役人や学者の考え方は,いつも首尾一貫していて立派です。


 

もっとも,ロースクールの場合,法学部以外(他学部)を卒業した学生でも,同じように2,3年で法的思考力が身につくというお約束になっています。


ん? そうすると法学部の4年間はどこにいった?


0 コメント

「角田理論」で,おやすみなさい。

前回(「小学生が英語を話せるとロースクールで法的思考力が身につく話」2014年12月23日),小学校での英語教育について書いていたはずなのに途中からロースクールの話になってしまったので,今回は,英語教育についての続きをもうちょっとだけ。


そもそも語学って,言語そのものを専門的な研究対象とするのでない限り,つまるところ「表現の手段」ですよね。それは,英語でも日本語でも同じです。

また,表現手段を超えて,さらに「思考の道具」として使うためには,かなりの習熟が必要です。脳の中に当該言語による思考回路が出来上がっている必要があります。


普通の小学生だと,まだ国語(日本語)に習熟していませんから,日本人として日本語で思考して,日本語で自分の意思を表現する力が不十分です。どんなに道具の数をそろえたって,空っぽの器からは何も出てきません。


言語の習得において幼少期の経験が役に立つこと自体は,おそらく正しいでしょう。

しかし,公教育においては,まず最初に日本語を母語とした基礎的思考力と表現力を身につけてもらうべきです。これと複数言語の習得を同時に行おうとするなら,そのための特別な生活(家庭)環境と教育的配慮が必須だと思います。

親も周囲も英語を全く話さないのに,小学校で週に数回の授業を行えば英語ペラペラになるなんて,あり得ません。むしろ,英語のために減らした基礎科目の学習量の少なさが,将来の大きな痛手になるはずです。

幼少期の柔軟性に期待をかけるのなら,英語(米語)の習得などと無理を言わず,広く世界中の様々な国や地域の言語・文化に触れる機会を,できるだけたくさん作るといいのではないでしょうか。



ところで,言語と脳の関係では,「角田理論」という興味深い学説があります。

誤解をおそれずに要約すると,世界のほとんどの民族は,言語を左脳,情動を右脳で別々に処理している。合理的思考と感情は,人の脳の働きからして別物なのです。しかし,母音に大きな特徴のある「日本語」を母語として育つと,論理と情動の両方を言語脳(左脳)だけで処理するようになる。その結果,日本においては,論理と情動がミックスされた曖昧で繊細な独自の「日本文化」が形成されたというのです。


だとすれば,幼少期に日本語以外の言語をごちゃ混ぜに詰め込むことは,日本の伝統文化の破壊につながるのかもしれません。

我々が英語を苦手にしているのも,日本人の特殊な脳構造のせいなのでしょうか。


この角田理論から逆に考えると,日本人は他の民族と比較して右脳をあまり使っていないことになります。で,今,思いつきました。

頭の右側を下にして寝転びながら勉強すれば,使っていない右脳に重力で血流が集まって活性化するはず。しかも,右脳につながる左手でテキストを持てば鬼に金棒。これで語学の習得が一気に加速するに違いありません。

よし,これを吉岡理論と名付けよう。


そういえば,お釈迦様も亡くなられるときは,右側を下にして横たわって涅槃に入られたと言います。うん。なんかすごい御利益がありそうじゃないですか。

お釈迦様はインド人だから日本人の脳構造とか全然関係ないけど,吉岡理論は細かいことを気にしないのです。


そうそう,どうせ寝っ転がるんだから,ついでに睡眠学習効果も併用しちゃいましょう。これで朝起きたら英語がペラペラになっているはずです。

素晴らしい。


というわけで,皆様今夜も,おやすみなさい。


0 コメント