連載ブログ「弁護士,インドを行く」【過去の法律夜話】

埼玉・東京エリアを中心に活動する弁護士吉岡毅の本音ブログ「法律夜話」の過去ログです。

こちらのページでは,これまでの法律夜話から,連載記事「弁護士,インドを行く」を通してお読みいただけます。

一番上がインドに関連する最も古いブログ記事で,上から下に向かって順に新しい記事になり,古い記事から最新記事まで順番に読むことができます。


弁護士,インドを行く(その1) ~道路交通法は偉いのか?~

ジャイプールのバザール
夕暮れのジャイプール

ゴールデンウィークに連休をいただいて,10日間ほどインドに行って来ました。

 

 

4月から5月は,インドで最も暑く乾いた季節です。

インド滞在中に確認できた最高気温は46度でした(アグラにて)。

初体験のインドは,私の体重を4kg近くも奪いましたが,五感と心には鮮烈な残像を刻みつけました。

 

 

日本で普通に生活している者にとって,ただインドの道を歩く(あるいは乗り物で進む)ことは,既に劇的な異世界体験です。

ネズミの国のアトラクションよりすごいかも。

 

ニューデリーなど一部の新しい街(道)を除いて,信号や横断歩道も少ないし,あってもあまり守られていません。

けれど,交通量は半端なく多いのです。

歩いて道を渡る時は, “ビー,ビー” と容赦なくクラクションを鳴らして向かってくる洪水のような車やバイクを素手で押しとどめ,縫うようにして対岸にたどり着きます。

念仏必須です。

 

片側2車線道路を,軽自動車2台とオートリキシャと自転車とバイクと頭にでかい荷物を載せた歩行者が同じ方向に並んで,しかし入り乱れつつ進んでいる光景が,至って普通のことです。

しかも,道路に(必ずしも「道ばたに」ではなく)座り込んだ犬や牛や猿やヤギなんかをよけながら進まなければなりません(犬やら牛やらは,全然よけてくれません)。

車線境界線なんて目安にもなりませんし,追い越し禁止の中央線だって平気で無視されます。

私の乗ったタクシーは,「なんかしらんがこっち側は混んでいるから」と言って,高速道路の反対車線を猛スピードで逆走していました。

 

そのせいか,今,世界中で起きている交通事故の6件に1件以上がインドで発生している,とも言われています。

 

 

日本の道路交通法・交通行政には,不合理と思えるような規制もあり,特に交通警察による違反取り締まりの実施方法には,「待ち伏せによる摘発のための摘発(点数稼ぎ)」や「レーダー式速度計測器の誤測定」など,様々な問題があります。

 

それでも,道交法と交通規制が,我が国の道路交通の安全を保つために重要な役割を負っていることは事実でしょう。

サイクルリキシャで熱風を受けながら,「道交法って,意外と偉いのかな?」などと考えました。

 

 

もっとも,インドにも道路交通法(に相当する法律)は当然あるし,違反の摘発も一応されているわけです。

にもかかわらずインドで交通ルールが徹底されないのは,国民性や各種の生活事情(道路を牛が闊歩するとか)によるところが大きいように思います。

 

そうすると,やっぱり日本の道交法が偉いわけでは,ないですね。

 


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弁護士,インドを行く(その2)~ガンガーで終活~

ガンジス河に昇る朝日
ガンガーの夜明け

GWにインドを歩き回ってきました。

 

 

インドを代表する風景のひとつ,ヴァーラーナシー。ガンガー(ガンジス河)では,日没後の闇の中で,炎輝き鐘や笛が響き渡るプージャ(祈りの儀式)に魅入られました。

 

夢を見ているかような景色は,ホテルのベッドで見た真夜中の夢につながり,翌早朝には,再びガンガーに抱かれる夢のような景色へ。

日の出とともに小舟に乗り,女神ガンガーに祈りを捧げながら花蝋燭を流し,水辺で沐浴や瞑想をする人々に混じりました。

 

子どもたちが水遊びをしているガート(たくさんある階段状の沐浴場)のすぐ近くでは,遺体を焼く火と煙が絶えません。

あらゆるものが流れ,あらゆるものを包み込む大河の水は,透明度が低く,わずかに緑がかった茶を帯びた色味に見えます。

触れると,温かさのせいか,ほんの少しトロッとした感じがします。

 

……いや,もう,この際言いますが,ガンガーの水に体を浸すと乾いてからもずっとベタベタします。結構なものです。でも,匂いはほとんど感じなかったですね。

 

 

 

ヒンドゥー教徒にとっては,死後,ガンガーに還ることが神への道であり,大きな夢です。

 

一方,最近は日本でも「終活」がささやかなブーム。

故郷の海や川に遺灰を撒いてほしいとか,中にはヒンドゥー教徒でもないのに「ガンガーに流してくれ」と遺言する人もいるようです。

 

遺された側が大変そうに思うかもしれませんが,日本の無闇に高額で複雑な葬儀や墓地・墓石の購入費と比べたら,むしろ簡素で安くつくのかもしれません。

 

 

遺言がないために相続人間に争いを生じる事件,遺言が素人判断で曖昧に作成されているために解釈や有効性に争いを生じる事件は非常に多く,私も日常的に相談を受けています。

 

遺言の作成は,自分のためであると同時に,遺される大切な人たちへの最後にして最大の心遣いです。

誰であれ,弁護士の助言を受けて法律的に有効な遺言を作成しておくことを強くおすすめします。 

 


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弁護士,インドを行く(その3)~下痢と入管はインド人も泣かす~

チャンドラヴァルマンの鉄柱
デリー/クトゥブ・ミナールの錆びない鉄柱

インドで体調を崩した私。

 

 

平気な顔をしていた現地の知人に,「気温46度でも,インド人は暑くないの?」と聞いてみました。

すると,「そんなわけナーイ。インド人も暑いヨ。死にそうダヨ~。夜も寝られナイし,ホントは昨日からオナカ下痢ピー。」などと,予想外の泣きが入りました。

インド人も日本人も皆人間,人類皆兄弟。

 

というわけで妙に納得しました。

 

 

ちなみに,その人は最近,日本への入国ビザの申請を却下されたそうです。

日本大使館に却下の理由を聞いても一切教えてもらえず,途方に暮れていました。

 

彼は以前にも来日したことがあり,そのときは何の問題もなく入出国できたし,その後インド国内で問題を起こしたこともないそうです。

日本人の知り合いも多く,日本から彼に支援を申し出る人たちもいるのですが,いったん大使館が不許可にしたものを覆すのは,容易ではありません。

 

 

このケースはインドから日本へ向けた出国手続の段階ですから,私がたまたまインドに滞在中でなければ,出会わなかった場面です。

 

普通,日本で入管事件と言えば,日本へ既に入国している外国人の在留資格の更新や変更,退去強制などの事件を指します。

 

もっとも,こうした日本国内での入管事件も,弁護士が関与することは少ないのが実情です。

入管法の手続自体が専門的ですし,通訳や事前の代理申請などの面で特殊な点が多く,弁護士にとっても取扱いが難しい分野だと言えます。

 

私の場合,司法試験に合格後,司法修習生として弁護士実務を体験した最初の事件が,中国人青年の在留資格に関する入管事件でした。

以来,外国人事件や入管事件に縁を感じて,依頼があれば積極的に受任するようにしています。

 

他方で,外国人による犯罪や不法入国等の刑事事件を弁護人として受任することもあります。残念ながら事件数としては,こちらが圧倒的に多数です。

 

 

せっかく弁護士として外国人事件や入管事件を扱うことがあるのですから,仕事を通じて日本と外国,日本人と世界の人々との平和的な交流に,ほんの少しでも貢献できたら嬉しいと思います。

 

インドの知人に,次は日本で会えるといいのですが。 

 


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弁護士,インドを行く(その4)~カーストと教育~

インド農村部の小学校授業風景
インドの小学校を訪問(この後,もみくちゃにされます)

インドのある貧しい村で,もっぱら日本人の献金によって運営されている,とても小さな学校を訪れました。

 

カーストに関係なく,みんな一緒に授業をしているのだそうです。

わーっと駆け寄ってきてくれた子どもたちの笑顔が忘れられません。

 

しかし,この学校にすら通うことができない子どもたちもいます。

 

 

インドにおける最大の困難であり,国際的人権課題でもあるカースト制度(身分制度)。

インド憲法では既に全面廃止されたはずのカーストですが,その影が薄れているのは一部の都市だけです。

インド社会とカーストは,今も不可分一体です。

貧民街で子どもたちが必死に生きようとしている光景を見ると,言いようのない痛みが胸を走ります。

 

 

カーストは産まれた瞬間に決まり,死ぬまで変わることはありません。

個人の努力で這い上がることはできません。

それどころか,今もインドには,カーストの最底辺にすら組み込まれず,人として認められないまま人生を終える人々(ダリット;不可触賤民と訳される)が,日本の全人口よりも多く存在するのです。

 

私には,彼らと他のインド人を見分けることはできません。

もちろん,そのほかのカースト間の違いもほとんどわかりません。

しかし,現地の人には分かるようです。

 

 

そもそもカーストは,輪廻転生観を前提としたヒンドゥー教の制度(ヴァルナ,ジャーティ)が基礎になっています。

 

他方で,「カースト」はポルトガル語起源であり,現在のような固定的身分制度としてのカーストは,植民地支配の中で比較的近年に創出,定着されたものだと考えられます。

ヒンドゥー教の階級制度の成立自体,アーリア人支配等の影響を受けた歴史的産物でもあります。

これは,最近になって,カーストや喜捨などの習慣が西洋的な「チップ」の制度としてインドに定着していったのと同じ構造だろうと,私は考えています。

 

 

 

宗教観の強固な壁は別として,支配層によって人為的に創出された社会システムであれば,人の英知と良心によって変えられるはずです。

 

そのために最も大切なことは,子どもたちへの教育の充実です。

 

私は日本で,弁護士会の委員会活動の一環として法教育に力を入れており,毎年,小学校・中学校・高校などで人権をテーマとした授業や講演会を行っています。

これからも,私にできる範囲で,人が人として生きることの意味や価値を子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。 

 


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這ってでも接見,死にそうでもカレー

私は普段,昼食をほとんど食べません。

食後の満腹感で集中を途切れさせたくないし,たとえ食べるつもりでいても,日中のオンタイムはずっと忙しくしていることが多いので,気がつくと夕方になっていることがしばしばです。


それでも,ちょうど昼を挟んで外出の用事があるときは別です。特に,事務所のあるJR浦和駅周辺を離れると,あまりお腹が空いていなくても,つい美味しそうなお店を物色してしまいます。

旅先と同じで,普段と違う出先の街の知らないお店に入り,まだ食べたことのない味と出会う貴重な機会。有効利用しないと,なんとなく人生を損した気分になりませんか?

実際のところは,外出先からとんぼ返りが普通で,「今日も人生を損した!」と舌打ちばかりしているのですが,ときどきは無理してでもランチタイムを取ります。


弁護士業務において,埼玉県内,さいたま市内のミニ出張・外出仕事の定番と言えば,さいたま地裁・家裁の県内各支部(越谷,熊谷,川越)や簡裁・出張所(大宮,久喜,飯能など)での裁判や調停と,それこそ県内各地にある警察署での接見(面会)です。

そのため,支部裁判所や警察署に行くたびに,何故か周辺をうろうろしてしまう私がいます。

でもって,ついつい目が止まるのは,ラーメンとインドカレーなんです。

これは国内旅行の旅先でもそうです。漁港の街とかに行って,海の匂いを感じながらカレーとナンを食べてたりします。


先日も,時々訪れる警察署の近くで未知のインドカレーのお店を発見してしまい,接見の度に何度も通いました。

……いや,カレーを食べる度に接見(面会)してたのかな?

ランチで食べると,手を洗っても指先がしばらく茶色いままなのが難点ですね。打ち合わせの時,ちょっと恥ずかしい。

インドカレーとナン
接見の合間に食べるインドカレー

私がまだインドに行ったことがなかった頃,日本でふらっと入ったインドカレー屋で,見知らぬ老夫婦に話しかけられたことがありました。何でも,「海外旅行が趣味でインドにも何度か行ったが,カレーはやっぱり日本で食べた方がうまい」とのことでした。

そのときは,そんなものかと思って聞いていましたが,その後,自分でインドに行ってみての感想は,

「カレーはやっぱりインドでしょ!」

です。


2週間弱のインド滞在中,朝食以外では,1回だけ「チャイニーズ」と称する謎の味付けの料理を食べた他は,毎食カレー,カレー,カレー……でした。

が,まったく飽きませんでした。

まぁ,好きだからと言えばそれまでですが,とにかく美味しかったです。

お店それぞれで日本では手に入りにくいようなスパイスをふんだんに使っているからでしょうか。未知の味をたくさん経験できました。


ただ,日本で常識のふっくらと甘いナンは,どのお店でも食べられるというわけではありません。そこは日本のほうがちょっと上,なのかも。

実際,台湾料理だと日本で本場の味に出会うことはほぼ皆無なのに,日本のインドカレー屋さんは,本場の味に近いところが多いです。

カレーは,もはや日本人の国民食だと思います。


 

 

でも,本当のこと言うと,2週間ほどのインド滞在中,確かに毎日のカレーには飽きませんでしたが,お腹を壊して何も食べられなかった日が丸2日間ありました。

しかも,インドで一番楽しみにしていた超々美味しいと評判のお店に行くはずの日。

「這ってでも行くぞ」と心を決めていたのに,宿から一歩も出られませんでした。

……あんときは,死ぬかと思った。


「接見には,這ってでも行くぞ」と懲りずにまた心に決めたところで,お口直しにラッシーをどうぞ。

ラッシー(インドのヨーグルト・ドリンク)
甘酸っぱいラッシーでお口直しを
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