胡蝶蘭が咲かす夢

2017年の独立・開所に際して、たくさんのお祝いのお花をいただきました。

 

あまりに数が多かったので全部を残すわけにはいきませんでしたが、いただいた鉢の中からそれぞれ元気の良い一株ずつくらいを選んで、今も10株くらいの花に、お水をあげ続けています。

 

そしたら、いくつかの胡蝶蘭が、今年も綺麗に咲いてくれました!

 

小さい鉢植え株だと、こんな感じ!!

今年もアネモネ法律事務所に胡蝶蘭が咲きました

ほかにも、新芽や蕾のついている大きな株がいくつかあって、まだまだ楽しませてくれそうです。

 

胡蝶蘭の寿命はとても長いそうなので、これからも事務所と一緒にゆっくり元気に育ってほしいですね。

 

お祝いをいただいた皆さま、あらためまして、ありがとうございます!

 

 

 

私が胡蝶蘭を見ると、いつも思い出すのは「胡蝶の夢」。

 

道教の経典『荘子』内篇の斉物論第二の最後に出てくる有名な説話です。

 

 

あるとき荘周が、チョウチョになってひらひら楽しく飛ぶ夢を見ました。

目が覚めたとき、思いました。

「あれ、もしかして今って、チョウチョの自分が荘周になった夢を見てるのかもよ?」

 

 

実際、私たち人間は、過去の記憶と夢で見た景色を正確に区別することは、本来できません。

 

「そんなことない」と思うかもしれませんが、本当です。

 

区別できるように思えてしまう理由は、いくつかあります。

 

ひとつは、夢に前後の脈絡がないから。

脈絡があるのが現実で、脈絡がないのが夢だと思っているからです。

もし脈絡のある夢を見た場合は、経験の中身では区別できません。

 

もうひとつは、夢で見た景色のほうが曖昧で、その記憶の保持がまた輪をかけて曖昧だから。

しかも、前後の脈絡がないので、余計に内容を思い出しにくいときている。

 

でもこれは、要するに夢のほうはよく覚えてなし、思い出しにくいというだけです。

もしすごくリアルな夢だったら、記憶の鮮度に違いはでません。

 

つまり、日常生活と脈絡のあるリアルな夢を見た場合、その記憶は、過去の経験の記憶とまったく同じです。

唯一区別をつける方法は、夢から覚めた瞬間にどこまでが夢だったのかを判断して、それを記憶しておくことです。

もしそれを忘れて、夢の中身だけが記憶に残った場合、夢の記憶と現実の記憶の区別は、もうつかなくなります。

 

 

 

ちなみに私は、日常と連続した鮮明な夢を見ることが昔からよくあります。

そのため、「あれって現実だっけ? 夢だっけ?」と、今ではもうすっかり分からなくなっている過去の出来事が、実はいくつもあります。

結構、困ります。

 

 

 

何が夢で何が現実か。

 

実は、本当のことって誰にも分からないんですよね。