再度の執行猶予

大多数の刑事裁判(公判での弁護活動)は,実は「被告人が有罪であると認める」ことから始まっている。

無罪を争う事件は,刑事裁判全体の7%前後でしかない。したがって,刑事裁判における弁護人の戦いのほとんどは,有罪を認めつつ少しでも軽い判決を目指す弁護活動となる。これを情状弁護という。

 

たとえ罪を犯したこと自体は確かでも,犯罪として軽微であるとか,犯罪に至る経緯や動機に酌むべき事情があるとか,被害者側にも落ち度があるなどの様々な事情で,犯人を重く処罰することが適切でない事件もたくさんある。

弁護人は,被疑者が起訴前であれば,不起訴起訴猶予により一日も早く釈放されることを目指し,それがダメでも略式命令による罰金刑に収めるように努力する。

もし起訴されて刑事裁判となれば,有罪であっても,被告人が可能な限り軽い罪になるように,できれば執行猶予付きの判決となるよう求める。

 

執行猶予とは,有罪の裁判が確定しても刑務所に入らなくてよいことにする制度である。無事に猶予期間を過ごしたときは,刑の言渡しそのものが効力を失い,将来まったくその刑の執行を受けることがなくなる。

情状弁護では,実刑を免れるために執行猶予の獲得を目指す事件が多い。

 

もっとも,執行猶予には法律上の制限がある。悪質な犯罪者に執行猶予を付けるわけにはいかない。前科のない被告人について,3年以下の懲役・禁錮又は50万円以下の罰金を言い渡す場合に付けるのが基本である。

問題となるのは,執行猶予中に再び罪を犯して有罪判決を受ける場合である。

この場合,原則として執行猶予は付けられない。それどころか,先の判決に付けられた執行猶予は取り消され,後に犯した罪と先に犯した罪を併せた長期の刑を執行される。取り消された執行猶予の分の刑を,通称「お弁当」という。

ただし,執行猶予中の犯行に対して1年以下の懲役・禁固を言い渡す場合に,「情状に特に酌量すべきものがある場合」には,もう一度だけ執行猶予を付けることができる。これを再度の執行猶予といい,極めて例外的な事案に限って認められる。

 

再度の執行猶予は,情状弁護活動において最も獲得が難しい判決である。

無論,無罪を争って勝つこと(無罪判決)も極めて困難であるが,再度の執行猶予の難しさは無罪判決に劣らない。それどころか,ある面では無罪判決を得るより難しいとも言える。

たとえば,警察の初歩的なミスを検察官が気付かずに起訴してしまった場合など,弁護人の活動の結果ではなく,まぐれ当たりのようにして無罪になってしまうことがある。究極的には,弁護人もまったく争っていない事件で,公判中に真犯人が名乗り出てきたために無罪判決となることさえあり得る。

これに対して,再度の執行猶予判決に,まぐれ当たりはない。

被告人は,その事件について懲役刑に相当する罪を実際に犯している。しかも,執行猶予中に再び犯行に及んでおきながら,もう一度刑務所に行かなくてもよいことしてほしいという。そんな都合の良い話がそう簡単に通るはずがない。適切な弁護活動なしに再度の執行猶予は得られない。

 

 

 

Eは,妻子がありながらHと不倫関係になっていた。Hにもまた夫があり,子があった。Hは,Eの妻の高校時代の同級生であり,かつては親友でもあった。EとHの男女関係はずるずると10年以上続いていたが,既にHの心はEから離れていた。

 

Hは何度か別れを告げてEとの縁を切ろうとしていたが,Eはそれを許さなかった。距離を置こうとするHに対して,Eはしつこくつきまとうようになり,ついに警察からストーカー行為として警告を受けた。

それでもEは止まらなかった。Hとの別れを受け入れられず,毎日何十回ものメールや電話を続けた結果,ついに,ストーカー規制法違反の罪で逮捕された。Eの妻は,Hの逮捕によって,はじめてEとHの関係、自分に対する裏切りを知ることになった。

Eは裁判で反省の弁を述べ,3年間の執行猶予付き有罪判決を受けた。Eの妻は,悩みながらもEを許した。

 

実刑を免れたEは,しかし,1か月もしないうちにHへのつきまとい行為を再開した。それどころか,今度はHやHの家族に対する脅迫もはじまった。Eは,半ば病んでいたのかもしれない。

Eは再び逮捕され,今度は私がEの国選弁護人となった。執行猶予中の再度の犯行であり,普通に考えれば実刑(服役)を免れようのない事案だった。

 

もっとも,日常的に民事・家事・刑事のあらゆる種類の事件を取り扱う弁護士の立場から見ると,この事件には,当初から非常に気がかりな点があった。

確かに,Eが繰り返した犯罪行為は許されない。また,HやHの家族に及んだ被害も決して小さくない。

ただ,この事件では,H以上にEの妻も傷ついていた。彼女の苦しむ姿は,弁護人としても見ていられないほどだった。EやHへの複雑な感情,子どもたちや住宅ローンを抱えた今後の生活のことなど,彼女は自分がどうしたらいいのかまったくわからない状態だった。

往々にして刑事裁判は,ただ被告人の罪の重さだけを形式的に決める場になりがちである。そうなれば,必ず忘れ去られるものがある。

もしEが今回の裁判で刑務所に行くことになれば,EやEの妻子,のみならずHやHの家族たちのその後の人生にどういう結果が待ち受けるのか。検察官も,裁判官も,そしてEやHたち事件関係者自身も,そのことをまるでわかっていないように思われた。

 

私は,情状弁護として考えられる限りの努力を尽くした。事案の性質上,できることは最初から限られていたが,私はその弁護活動の中に,ある仕掛けをしていた。誰もその仕掛けに気付かないまま,裁判は,一見して淡々と進んでいった。検察官の論告がなされ,懲役1年の実刑が求刑された。

続けて,弁護人の弁論。そこで私は仕掛けを発動した。ただし,そのとき仕掛けが発動したことは,被告人Eにも,証人に立ったEの妻にも,傍聴人たちにも,一切誰にもわからない。気付くことができるのは,裁判官と検察官だけだ。

私がそれをした瞬間,Eに相場どおりの実刑を言い渡すだけだったはずの裁判は,最後の最後でガラリと雰囲気を変えた。裁判官は突然険しい表情で悩みはじめ,検察官は不安の色を浮かべた。

 

約2週間後の判決言渡し期日,被告人Eに対して,再度の執行猶予を付した判決が言い渡された。

 

Eは,一体何が起こったのかわからないという顔をしていた。検察官は,思わず天を仰いでいた。彼にとっての悪い予想が当たったのだろう。

しかし,この事件はこれでよかった。いや,こうでなければならなかったのだ。

私の抱いた事件に対する懸念は,被告人に対する再度の執行猶予判決によってのみ払拭できるものだった。裁判官は,私の仕掛けによって,その懸念が如何に重大で現実的なものであるかを強烈に意識することになった。その結果,この裁判はEの罪の重さだけを形式的に決める場ではなく,すべての当事者にとって最も不幸の少ない結論を考える場に変わった。

だからこそ裁判官は,再度の執行猶予やむなしとの結論に至ったのだ。

 

 

残念ながら,事案の性質上,私の抱いた懸念や仕掛けの種明かしをここに書くことはできない。

もちろん,仕掛けは何ら違法なことではない。また,経験ある弁護士であれば,ここまで読んで懸念や仕掛けの大筋は想像がつくだろう。それを自ら戦略として立案し,実行して結果に結びつけることができるかどうかの問題だ。

 

刑事弁護人は,常に依頼者にとっての最良の結果を求めて,様々な知識と経験を総動員して自らの弁護戦略を構築し,裁判全体を通して,最後にそれを判決という形で実現しなければならない。