建物明渡(建物収去土地明渡)請求事件

「自分の所有する建物に他人が住んでいて,出て行ってくれない。なんとか追い出して建物を取り戻したい。出ていってもらうときには,建物を賃貸すれば得られるはずだった賃料分の損害も,きちんと払ってほしい。」

 

例えばそんな場合に訴える民事裁判を,建物明渡請求訴訟という。

これに対して,土地の所有者が,不法占拠状態の建物を取り壊して敷地を明け渡せと求める場合は,建物収去土地明渡請求訴訟という。

 

 

この事件では,ある建築家Kが,別れた元妻の所有する家に,別れた後も居座って住み続けていた。

元妻は,Kの酒癖と女癖の悪さに疲れ切って,何年も前に家を出ていた。家を出る時に離婚届を置いて出てきたという。

 

もし,別居の時点で私が元妻からの依頼を受けていれば,こうした方法で離婚しようとすること自体に反対しただろう。

経験上,自分だけがサインした離婚届を置いて家を出た場合,その離婚届が後できちんと役所に提出される確率は,かなり低い。何年も経ってから,「もう,とっくに離婚できていると思っていたのに……」という相談が,圧倒的に多い。

 

ただ,この事件のKは,めずらしく自ら離婚届を提出していた。

理由はいくつかあったが,ひとつが家(自宅建物)の問題だった。

 

この家は,建築家であるK自身が設計して建てた家。ところが何故か未登記であり,登記上は所有者が不明の状態だった。

実は,家の建築費用を出したのは元妻の父であり,建てられた家は元妻名義で登記される予定だった。しかし,自分の設計した家に愛着をもったKが,妻名義で登記することを拒否。そのため,ずっと未登記のままとなっていた。

Kは,妻とさっさと離婚してそのまま家を占拠し続ければ,なし崩し的に家を自分のものにできると考えたのだった。

 

この相談を受けた時,様々な事情から,家の敷地は既に第三者Tの手に渡っていた。

このままでは,家の本来の所有者である元妻が,Tから敷地の不法占拠で訴えられることもあり得る。かといって,Kがそう易々と退去要請に応じるはずがない。建物所有者の立証にも困難がある。

「なんとかして,この家からKを追い出してほしい」という依頼だった。

 

私は,まず元妻の代理人として,Kに対し,内容証明通知による建物明渡請求を行った。

すると案の定,Kは「この家は元から自分の物だから明け渡さない」と主張してきた。

Kに,この主張をさせることに意味があった。

 

私は,直ちにKに対して建物収去土地明渡請求訴訟を提起した。

訴訟の原告は,元妻ではなく土地の所有者Tである。

Tは,元妻の友人だったのだ。

 

焦ったのはKだった。

彼は,元妻が家の所有権を主張して立ち退きを迫ってくるのに対して,家は自分の物だと言い張って明け渡さないつもりだった。

しかし,土地の所有者Tから家の取り壊しや土地の明渡を求められた場合には,家がKの物なら,元妻ではなくK自身が責任を取らなければならない。

逆にTとしては,いきなりKを訴えても,Kから「家は元妻のものだから自分に責任はない」と言い逃れされてしまう危険があった。

Kは,先の内容証明への回答により,今さら「これは私の家ではない」などとは言えなくなっていた。

 

裁判で,Kは反論もままならず,あっという間に判決言渡し期日が決まった。原告Tの勝訴は確実だった。あとはKに対して立ち退きの強制執行をかけるだけだ。

 

 

しかし,この事件はそこで終わらない。

 

判決言渡しのわずか数日前,突然,Kが死んだ。

私を含め,死の報を受けた関係者の誰もが自殺を疑ったが,そうではなく病死だった。

 

判決言渡し前に当事者の一方が死亡すると,訴訟は中断し,受継という特別な手続を経なければならない。受継により相続人が訴訟を引き継ぐのが原則となる。

Kの相続人は,Kと元妻との間の長男だけであった。

 

結局,この訴訟は長男がKを受継して被告となり,原告Tの勝訴判決が確定した。

 

その後,Tは長男に対して,勝訴判決で確定したはずの建物の収去や賃料相当の損害金などの請求を,一切しなかった。

長男は,淡々と家をTに明け渡し,この事件は,それで終わった。

 

 

 

この事件を私に相談してきた人物,元々の事件の依頼者は,最初からTである。

すべて依頼どおりの結果であった。