霧社に献杯

歴史上,日本で一番高い山をご存じですか?



もちろん,富士山……ではありませんよ。

富士山は,一番どころか,二番目ですらありません。



当時,日本国内最高峰として明治天皇により名付けられたその山の名前は,

「新高山」

です。


有名な日米開戦の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」の,あの新高山です(真珠湾攻撃は日本時間で1941年「12月8日」の未明)。公式標高3952メートル。


台湾が日本領だった1985年から1945年の間,台湾最高峰「玉山」が,富士山を超えて紛れもなく日本最高峰でした。

ちなみに,2番目は「次高山」(雪山)です。ちょっとネーミングが安直な気はしますね。



日本と台湾の関係に限らず,国家が他国や他民族を統治・支配しようとすれば,必ず抵抗や軋轢を生じます。


「賽徳克・巴莱(セデック・バレ)」(※繁体字は日本漢字に置き換えています)は,日本時代の台湾における最大の抗日暴動・霧社事件を題材にした台湾映画です。

以前から観たかったのですが,なんせ第1部:太陽旗が144分,第2部:彩虹橋(虹の橋)が132分,合計4時間半以上という長丁場。で,先日やっとのことで,しかし一気に観ました。


霧社事件は,1930(昭和5)年10月27日,セデック(賽徳克)族マヘボ(馬赫坡)集落の頭目モーナ・ルダオ(莫那魯道)率いる約300人の原住民が,霧社(現在の南投県仁愛郷)各地の駐在所を襲い,民族合同で開かれていた子どもたちの運動会を襲撃して,女性や子どもを含む日本人のみ130人以上を殺害した凄惨な出来事でした。

台湾総督府(日本政府)は,直ちに軍隊を派遣し,圧倒的な武力で制圧。反乱に直接加わった6つの集落(社)の人口千数百人のうち,およそ700人が戦死または自死,500人以上が投降または捕らえられました。

対する日本人及び日本に味方した原住民の死者は,いずれも20数人であったとされています。

暴動は同年12月上旬には完全に鎮圧されましたが,その後の歴史も,川中島強制移住や第二霧社事件など,容易には語りきれません。


悲しい歴史ではありますが,あえて誤解をおそれずに言えば,この霧社事件を大きな転機として,日本は台湾統治の在り方を変え,台湾人への差別をなくし,莫大な国費を投じて台湾を豊かにしたとも言えます。

しかしそれは,別の面ではいわゆる皇民化政策でもあり,後の高砂義勇隊へとつながりました。



現代においても,世界中で同じような悲劇が繰り返されています。

殊に,一方的に統治・支配を行っている国が,武装した敵対者をすべて「テロ」と呼んで片付けるのを見聞きするにつけ,人間の変わらぬ愚かさを感じずにはいられません。

過去の日本が霧社事件に多くを学んだように,願わくば現代の日本も「テロとの戦い」に手を貸すことがないようにしてほしいと思います。



「セデック・バレ」は非常に素晴らしい映画でしたが,本編で丁寧に前置きされているとおり,あくまでも史実を脚色しています。

しかしそれでも,歴史的事実に基づく人間の業の描写は,心を抉る巧みさがありました。

この映画を観る日本人,台湾人,台湾原住民が,みなそれぞれにどんな想いを持つのか……。是非一度,モーナたちのように一つの杯で同時に酒を酌み交わしながら,じっくりと語り合いたいものです。


あ,でも私と一緒に飲むときはカルピスサワーとかにしてください。

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