「角田理論」で,おやすみなさい。

前回(「小学生が英語を話せるとロースクールで法的思考力が身につく話」2014年12月23日),小学校での英語教育について書いていたはずなのに途中からロースクールの話になってしまったので,今回は,英語教育についての続きをもうちょっとだけ。


そもそも語学って,言語そのものを専門的な研究対象とするのでない限り,つまるところ「表現の手段」ですよね。それは,英語でも日本語でも同じです。

また,表現手段を超えて,さらに「思考の道具」として使うためには,かなりの習熟が必要です。脳の中に当該言語による思考回路が出来上がっている必要があります。


普通の小学生だと,まだ国語(日本語)に習熟していませんから,日本人として日本語で思考して,日本語で自分の意思を表現する力が不十分です。どんなに道具の数をそろえたって,空っぽの器からは何も出てきません。


言語の習得において幼少期の経験が役に立つこと自体は,おそらく正しいでしょう。

しかし,公教育においては,まず最初に日本語を母語とした基礎的思考力と表現力を身につけてもらうべきです。これと複数言語の習得を同時に行おうとするなら,そのための特別な生活(家庭)環境と教育的配慮が必須だと思います。

親も周囲も英語を全く話さないのに,小学校で週に数回の授業を行えば英語ペラペラになるなんて,あり得ません。むしろ,英語のために減らした基礎科目の学習量の少なさが,将来の大きな痛手になるはずです。

幼少期の柔軟性に期待をかけるのなら,英語(米語)の習得などと無理を言わず,広く世界中の様々な国や地域の言語・文化に触れる機会を,できるだけたくさん作るといいのではないでしょうか。



ところで,言語と脳の関係では,「角田理論」という興味深い学説があります。

誤解をおそれずに要約すると,世界のほとんどの民族は,言語を左脳,情動を右脳で別々に処理している。合理的思考と感情は,人の脳の働きからして別物なのです。しかし,母音に大きな特徴のある「日本語」を母語として育つと,論理と情動の両方を言語脳(左脳)だけで処理するようになる。その結果,日本においては,論理と情動がミックスされた曖昧で繊細な独自の「日本文化」が形成されたというのです。


だとすれば,幼少期に日本語以外の言語をごちゃ混ぜに詰め込むことは,日本の伝統文化の破壊につながるのかもしれません。

我々が英語を苦手にしているのも,日本人の特殊な脳構造のせいなのでしょうか。


この角田理論から逆に考えると,日本人は他の民族と比較して右脳をあまり使っていないことになります。で,今,思いつきました。

頭の右側を下にして寝転びながら勉強すれば,使っていない右脳に重力で血流が集まって活性化するはず。しかも,右脳につながる左手でテキストを持てば鬼に金棒。これで語学の習得が一気に加速するに違いありません。

よし,これを吉岡理論と名付けよう。


そういえば,お釈迦様も亡くなられるときは,右側を下にして横たわって涅槃に入られたと言います。うん。なんかすごい御利益がありそうじゃないですか。

お釈迦様はインド人だから日本人の脳構造とか全然関係ないけど,吉岡理論は細かいことを気にしないのです。


そうそう,どうせ寝っ転がるんだから,ついでに睡眠学習効果も併用しちゃいましょう。これで朝起きたら英語がペラペラになっているはずです。

素晴らしい。


というわけで,皆様今夜も,おやすみなさい。