小学生が英語を話せるとロースクールで法的思考力が身につく話

弁護士会で法教育活動に携わっていると,定期的に学校を訪問して学生や子どもたちと触れ合ったり,学校教員の方々とお話ししたりする機会があります。

特に,埼玉弁護士会の法教育の特徴として,小学校での授業や小学生を対象としたイベントが多く,子どもたちと一緒に教室で給食を食べたり,昼休みに校庭で警ドロ(鬼ごっこ)やサッカーをしたりすることは何よりの楽しみです。


小学校に行くと,自分がランドセルを背負っていた頃と比べて,いろいろとおもしろいのですが,特に変わったことのひとつが「英語教育」です。


私自身も,最近は国際人権問題に積極的に関わるようになり,国連の委員会への出席を求められたり,英文の資料に目を通したりすることが増えて,英語力の必要性を痛切に感じています。


確かに,自分自身を含め,日本人の英語音痴は自虐的なほどネタになります。

中学・高校と6年間も英語を学び,英検やTOEICなどの検定試験を何度も受験,大学でも英語科目を履修し,就職してからも自費で英会話学校に通い続け,それでも何故か英語ができない日本人。悲しくもなります。

そのため,教育問題を語る人の多くが,幼少時からの英語教育の重要性を声高に叫び,ついには小学校にも英語の授業が浸透し始めたわけです。


そうして小学校での英語教育が始まって,しばらく経ちます。

どこの小学校に行っても,教室や廊下には,英語のあいさつや英単語の書かれた紙が貼ってあります。英語の授業も週に1,2回は行われているようです。


けれども,そうした小学校での英語の取り組みを通じて,今の小学生が英語を話せるようになったり,英語が得意になったりするという話は一向に聞きません。


当たり前です。


そもそも,中学・高校の6年間の授業でちっとも英語が得意にならなかったのに,同じことを小学校から続けていればきっと英語が得意になるだろう,などと本気で考えるほうがどうかしているのです。

最初から考え方を間違っているとしか,言いようがありません。



実は,司法試験や法曹の世界でも,小学校での英語教育と同じような現象が起こっています。それが,法科大学院(ロースクール)です。


ロースクールができる前,法学部では,大学教授の多くが,大教室で後ろの席には届かないような小声で自分の教科書をただ読み上げているだけ,あるいは,熱心ではあっても実務とまったく関係のない分野で実務ではまったく通用しない外国の学説の紹介に明け暮れるという,くだらない講義をしていました。

そのため,司法試験を受ける学生たちは,仕方なく大学の授業ではなく予備校で法律を勉強する必要がありました。

 

すると,なんと当の大学教授たちが予備校批判を始めました。予備校は暗記中心で,法的に考える力がつかないというのです。

 

その結果,無意味な法学部をそのまま残したうえ,屋上屋を重ねるロースクールがたくさん作られ,同じ法学部の教授たちが,以前と同じような授業をロースクールでも繰り返すようになりました。

彼らによると,法学部で4年間教えて法律を身につけられなかった学生でも,あと2,3年ロースクールで教えれば,本当の法的思考力が身につくのだそうです。


なるほど。

 

これって,中学・高校の6年間では足りなかった英語学習も,小学校から同じようにやっていればきっと話せるようになるだろうという考え方と同じですね。

さすが,教育行政に携わる役人や学者の考え方は,いつも首尾一貫していて立派です。


 

もっとも,ロースクールの場合,法学部以外(他学部)を卒業した学生でも,同じように2,3年で法的思考力が身につくというお約束になっています。


ん? そうすると法学部の4年間はどこにいった?