引き続き,「第86回・国際人権に関する研究会『LGBTの人権』」からご報告です。
前回,柳沢氏の冒頭の話題をそのまま引用させていただきました。
それは,日本人なら誰でも,「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」(日本人の7%強を占める名字の人々)の知り合いがいるに違いない,という話でした。
ところで,研究会での報告によると,LGBT人口比は現在7.6%程度(ただし,統計上把握できる数字として)とのことです。
「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」よりも,LGBTの人のほうが,多いのです。
したがって,皆さんのすぐ近くに佐藤さんや鈴木さんたちが必ずいるように,LGBTの人が周囲に何人もいるのです。
ただし,皆さんがそれに気づけるかどうかは別です。彼らがそのことをあなたに打ち明けていない可能性は,とても高いからです。
「性(性別)」という概念には,少なくとも,
・体の性(身体的性別)
・心の性(精神的性別)
・アピールする性(性別表現)
・愛する性(性的指向)
という4つの種類があると考えられます。
多数派(ゆえに私たちが「普通」だと言っている状態)は,上の3つが一致していて,愛する性がその反対の性です。
しかし,多数派と同じ「性」を持たない人が,現実には,世の中にたくさんいます。それがLGBT(SOGI)です。
4つの性の概念それぞれについて,別々の男女の自覚の仕方があります。
それだけなく,「中間・中性」(両方,あるいは曖昧で未定・未分化)という場合もあり得ます。
人が自覚する性別の組み合わせは,本当はすごい数なんですね。
そのうえ,自分がLGBTであることに気付く年齢が様々です。
物心ついた頃から違和感を感じている人もいれば,普通に異性を愛して,結婚して,子どもを育てて世に送り出し,熟年期に入った人が,あるとき本当の自分に気付くことだってあります。
つまり,人生の途中で4つの性別のうちのいくつかが変化する可能性もある,ということです。
しかし,LGBTであることをカミングアウト(カムアウト)できるのは,とても意思の強い人か,環境に恵まれた人だけです。
たくさんのLGBTの人々が,性的少数者として差別や偏見にさらされたり,本当の自分を隠して生きることを余儀なくされたりするのは,悲しいことだと思います。
研究会で登壇したLGBTの方々は,LGBTの人々に向けて,
「勇気を出してカミングアウトすべきだ」
などとは,決して言いませんでした。
それが難しい現実を,体で理解しているからだと思います。
しかし,その代わりに,私のようなLGBTでない人々に向けて,
「是非,カミングアウトしてほしい」
という趣旨の言葉がありました。
別に,LGBTになってくれとか,無理に共感や納得をしてくれということではありません。
けれども,その相手がLGBTを「気にしない人」かどうかは,「気にしないよ」と直接言ってもらうまでわかりません。それがわからない限り,LGBTの人は,何十年でもずっと固く身構えてその人と接していかなければなりません。たとえ,その相手が自分の家族でも。
先にLGBTでない人々,つまり,現在多数派である人々の側から,
「私はLGBTに偏見を持たない,差別しない」(=「LGBTフレンドリーである」)
という宣言を聞くまで,LGBTの人々の側から本当の自分を打ち明けることなんて現実には怖くてできっこない,というのです。
その通りだなと思いました。
ノンケであってもLGBTに偏見を持たず支援する人々のことを,「ストレート・アライ」(Straight ally)と呼ぶようです。
支援なんて言ったら,何か特別なことをするような気もしてしまいますが,必ずしもそうじゃないと思うんです。
「LGBTの打ち明け話を聞いても,私は,『だから,どうしたの?』,『別に,いいんじゃない?』って思うよ。」
っていう,その気持ちを,はっきりと口に出して先に宣言しておく。……ただ,それだけ。
たったそれだけのことでも,普段,クローゼットの中に隠れるようにして生きているLGBTの人が,顔を上げて本音を話せる相手を‘一人’増やせるかもしれない。あるいは,カミングアウトまではできなくても,その言葉を聞いたときに心の中がほんの少しだけ楽になれるのかもしれない。
それで,いいんじゃないか。
この世界から,目に見えない属性に基づく偏見や差別をひとつひとつ無くしていく過程では,誰にでもできるそういう小さなことが,とてもとても大事なんじゃないかなと思いました。
私は,LGBTフレンドリーですよ。
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