音のない言葉で心を伝えたい

わたしがまだ小さかった頃(たぶん小学校1,2年生くらい),たまたま一人で見ていたテレビドラマで,耳の不自由な女性に恋をした男が必死に手話を覚えて恋心を伝えようとする話がありました。

子どもでしたが,当時すでに,手話とか聴覚障害とかいったことについての一般的な知識はありました。

ただ,身近にはろう(聾)者がいなかったので,実際に手話で意思を交わすシーンをドラマの中で見たことが,とても印象的でした。


世の中には耳の聞こえない人たちがたくさんいるということ,

そういう人たちは耳が聞こえないためにいつも大変な苦労をしているということ,

耳の聞こえない人は手の動きで会話をするということ,

何より,その人が耳の聞こえない人かどうか見た目では分からないということ,

そのすべてに,子どもながら,ある種の衝撃を受けました。


そのドラマがすごく心に残り,後日,父にねだって本屋で手話の学習書を買ってもらったのを,よく覚えています。

その本が,私にとって最初の語学テキストになり,その後も長く私の本棚に並び続けることになりました。


今もあのときのドラマのいくつかのシーンを,はっきり覚えています。

なんであんなに心に響いたのだろう?



 

……と,深く考えるまでもなく,ヒロインの女性がすごく綺麗だったからに決まってるんですけど。

不純な動機で始めた手話は,ませガキが独学するにはちょっと難しくて,ほとんど覚えられませんでした。



そんな私ですが,手話には「日本手話」と「日本語対応手話」があることをきちんと理解したのは,比較的最近のことです。


手話についてよく知らない方がイメージするのは,おそらく「日本語対応手話」だと思います。

日本語の単語をそのまま手話に置き換えたものと考えてください。その意味で,日本語対応手話は本来の意味の手話(言語)ではなく,日本語の表現方法のひとつにすぎません。

日本語対応手話は,(生来の)ろう者ではなく,中途失聴者や難聴の方々,あるいはそれらの人と意思疎通しようとする健聴者にとって,覚えやすくて便利です。

日本の公立聾学校でも,ほとんどの場合,日本語対応手話が使われているようです。

私が読んでいたテキストも,日本語対応手話でした。


しかし,ろう者は日本語を学習してから手話を覚えるのではありません。それは不可能です。

幼児期までに,音声以外の言語によって思考と意思疎通の能力を獲得したうえで,はじめて音声言語としての日本語も学習可能になります。(それは,健聴者への幼年期英語教育の問題と同じです。まずは第一言語の習得が重要なのです。)

日本のろう者の第一言語は,日本語ではなく「日本手話」です。

日本手話と日本語は,語順や文法もまったく違う,別の言語だそうです。

むしろ,日本手話という独自の言語を(第一言語として)使う方々が,ろう者なのだと知りました。


ろう者は,夢も日本手話で見ると言います。

ろう者への公教育で第一言語である日本手話を使わないのは,明らかにおかしいと思います。

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