DNA鑑定は人の心を測れるか

最近,DNA鑑定に関する事件や専門的研究を取り扱うことが増えています。


ひとつには,私が常に離婚などの男女関係の事件を多数抱えているため,父親と子どもの父子関係を争う事案を扱うことが多いからです。

しかも,以前は高額の費用がかかるために敬遠されがちだったDNA鑑定が,今ではかなり安くなり,民間に普及してきました。適切に行われた鑑定であれば,結果の信頼性も証拠としての価値も,非常に高いと言えます。

その分,離婚を争う両親が安易に子のDNA鑑定に走ろうとする傾向のあることは,やや気になります。子どもが幼いうちはまだ良いのですが,やっていることの意味や目的を理解できる年齢に達した子どもについて行うDNA鑑定は,その結果にかかわらず,子どもの心を大きく傷つけてしまう危険があります。

もちろん,たとえ実子でなくとも,育ての親と子の間に真実の愛情は成立するでしょう。父子間のDNA鑑定を行うことと,その父子の愛情の度合いは,論理的には,まったく別問題です。

しかし,その論理を子どもが理解して受け止められるかどうか,感情的には,やはり別問題なのです。

やむを得ずDNA鑑定を行う場合でも,子どもの心情に対する十二分の配慮が必要です。


こうした家事事件・民事事件に先立って,刑事事件についてDNA鑑定が問題となる場面が激増しました。


強姦事件で精液のDNAから犯人を特定したり,逆に,殺人の凶器に付着していた微量の血痕をDNA再鑑定したことで被告人の無罪が明らかになったりします。

技術の進歩により,採取された試料が極わずかでも鑑定可能な場合が増えました。そして,DNA鑑定に対する科学的信頼から,有罪・無罪の結論に決定的な影響を与える証拠とされることも多くなりました。



しかし,こうしたDNA鑑定には,見落としがちな大問題がいくつもあるのです。


中でも,民事事件・刑事事件に共通する最大の問題は,鑑定の際に用いられる試料(鑑定の対象物)が適切に採取・保管されたものか否かがわからない,ということです。

しかも,1回の鑑定で,大切な試料を警察が全部使い切ってしまい残りがない場合(「全量消費」),弁護側では確認のための再鑑定もできなくなります。


たとえば,父の髪の毛と子の髪の毛のDNAが100%一致しないという鑑定結果が出ていて,かつ,その鑑定方法や鑑定結果が科学的に100%正しくても,血縁上の父子関係が否定できない場合もあります。

なぜなら,その鑑定に使われた髪の毛が,その父子本人の髪の毛ではないことがあるからです。

つまり,鑑定に使われた髪の毛は確かにその父子の髪の毛だったという証明が必要です。

そしてその証明は,科学的な正確さの問題ではなく,試料(鑑定対象物)の採取と保管という極めて人間的な手作業の公正さの問題なのです。


人間の手作業である以上,単純な取り違えミスもあるし,人為的なすり替えや加工(証拠のねつ造)もあり得ます。そのような過程を裁判官が「科学的に信頼する」ことは,そもそも間違いなのです。



このような鑑定に関する様々な問題点について,今,法務研究財団の研究員として調査活動中です。

結果をご報告できるのは少し先のことになりそうですが,難しいながらも面白い研究になってきています。

でも,さすがに真面目な最終報告書に「DNAで愛は測れない」とかいう一章を書くわけには,いかないでしょうね。