大人の昔話(2) ~蟻と蟋蟀~

アリとキリギリスのお話をご存じですか?

知っている? 本当に?


夏の間,アリが必死に働いているときに,自分は歌って遊んでばかりいたキリギリスが,冬になって食べ物がなくなり,アリに助けを求める話ですね。


では,その後は?



日本では,ほとんどの場合,キリギリスを哀れんだアリが食料を分けてあげて,施しを受けたキリギリスも改心し「これからは,きちんと働くぞ」と心に決める,という良い話になっています。

わかりやすいですね。


しかし,イソップ物語の原作では,アリはキリギリスを助けません。


「夏には歌っていたんだから,冬には踊ればいいさ。」


アリは,なかなかに非情なのです。


もちろん,アリにとって,死んだキリギリスは素晴らしい「餌」であることを忘れてはいけません。

アリの最後のセリフは,じゅるじゅると涎を垂らしながら言ったものなのです。

そのため,アリとキリギリスの話を,倹約家の冷酷さを揶揄する寓話と読む人もいます。


ただし,そもそもイソップ物語のギリシャ語原典に,キリギリスは出てきません。

元々は「アリとセミ」の話なのです。

物語がヨーロッパ北部に広がっていく過程で,熱帯・亜熱帯に生息するの昆虫である「蝉」が「キリギリス」に置き換わったのではないかなどと言われていますが,本当のところは分かりません。


セミだとしても,話の筋は,あまり変わらないようにも思えます。

実際,原典では,セミとキリギリスの違いなんて関係なさそうな感じです。


しかし,ちょっと見方を変えると,「セミ」は,今までとはまったく違う大人の哀愁を漂わせることになります。




一般に,セミは短命と言われますが,それは地上に出てからの話。

幼虫時代は数年から十数年にもなり,昆虫の中でも,むしろ長生きなほうです。

なんで長生きできるかというと,とにかく天敵を避けて地下に潜り,木の根っこにしがみついて,ひたすら栄養の少ない樹液だけを少しずつ少しずつ吸いながら,寒い冬を何度も耐えて生き延びるからです。

言っとくけど,これ,よっぽどアリより凄いよ。


しかも,そうして生き延びた先に待っているのは,わずかな夏の,昼夜を問わぬ大合唱と乱交パーティー。

ひたすら交尾に命をかけるその意気込みたるや,セミ,お前ら本当に凄いよ。



アリとセミの物語は,本懐を遂げたセミが,弱り切ってアリに食べ物を乞う場面です。

……このときセミは,自分が死ぬであろうこと,そして,いずれアリの餌になるであろうことを,確実に知っていたはずなのです。


それでもセミは言います。


「俺はすべてに耐えて生きた。この夏のためだけに。そして,夏を歌い切った。やるべきことはすべてやった。もう思い残すことは何もない。……けど,ちょっと疲れたよ。腹が減っちまったのかな。体が動かねぇや。……アリよ,最後に一服だけ分けてくれないか?」


一瞬の輝きのために幾度もの冬に耐え抜き,たった一輪のバラを咲かせ,静かに散っていくセミの生き方。死を覚悟してなお格好を付ける,ハードボイルドな複眼。

大人として,結構,美しいじゃないですか。




ちなみに,どうやら野生のセミは,羽化した時期が秋に近ければ1か月くらい生きるらしいです。

ただ,真夏に羽化したセミは,割と早く死んでしまいます。

なぜなら……



セミは暑いのが苦手だから。


そのアホっぷりが,またどうにも憎めないヤツなのです。