2016年のブログ・全話【過去の法律夜話】

埼玉・東京エリアを中心に活動する弁護士吉岡毅の本音ブログ「法律夜話」の過去ログです。このページでは,2016(平成28)年のブログ全話を通しでお読みいただけます。

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カミングアウト!(1)

2016年1月14日午後6時から,「第86回・国際人権に関する研究会『LGBTの人権』」が日弁連・弁護士会館にて開催され,私も出席してきました。

 

「国際人権に関する研究会」は,日本弁護士連合会が定期的に開催しているオープンな研究会で,興味のある方は誰でも参加できます。毎回テーマを変え,当該分野の研究者の方などを講師にお招きして,国際人権や条約をめぐる諸外国・国際機関の最先端の動きを学んでいます。

日弁連の主催と言っても,実質的には私も所属している国際人権問題委員会で企画運営する行事です。国際人権は,ダイナミックで動きの速い分野ですので,時間の許す限り自分でも参加して,常に新しい知識を補充するようにしています。

 

そうは言っても,日中の業務や会議で疲れ切ってしまうと,つい参加を取りやめて帰りたくなることも多々あります。

意地を張って参加しても,やっぱり寝てしまうとか……。

 

実はこの日も,眠気と闘う気が満々の状態(要は,疲れていて帰りたくてしょうがないけど,自分で参加を決めた以上,とにかく帰らない)でした。

ですが,はじまってすぐに,眠気が吹っ飛びました。

 

久々に(と言っては何ですが),本当におもしろい研究会でした。

 

 

この日は,柳沢正和氏(NGOヒューマンライツウォッチ東京委員会委員)と谷口洋幸准教授(高岡法科大学)が講師をしてくださったのですが,特に柳沢氏のセッションが素晴らしかった!

 

冒頭,簡単な導入の後,いきなり会場から参加者数名が紹介され,そのままパネルディスカッションに突入。

中には素顔を隠す仮面を付けて参加する人までいて,ビジュアル的にも驚きです。

 

以下は,柳沢氏のセッションのネタバレになりますが,LGBTを理解するための比喩として最も知られた話のひとつだと思いますので,どうかご容赦を。<(_ _)>

 

 

 

さて,今これをご覧の皆さんの中に,

「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」

は,おられますか?

 

この法律夜話を100人の方が読んでくださっていると仮定して,そのうち7人くらい,いるはずの計算です。

「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」は,日本人に多い姓の上から6つで,人口比の合計は7%強になります。

 

 

では,皆さんの中で,

「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」

という名字の『知り合いがいる』という方は,どのくらいおられますか?

 

当然,いますよね?

日本人であれば,ほぼ「100%」になるはずなのです。

 

 

ですが,なぜかそうならないのが,LGBTという問題です。

 

 

 

皆さんは「LGBT」(エル・ジー・ビー・ティー)と聞いて,すぐに何のことだか分かるでしょうか?

 

LGBTは,

  • L(レズビアン,女性同性愛者)
  • G(ゲイ,男性同性愛者)
  • B(バイセクシュアル,両性愛者)
  • T(トランスジェンダー,性同一性障害を含む生まれながらの性役割に違和感を持つ人)

の略です。

 

実際には,このLGBT以外にも,多様な性的少数派の人々がいます。

研究会でも,たとえば「女装する男性」の性について,芸能人の例などが話題にされました。

LGBTという用語自体が,もともと異なるカテゴリーをただ並べただけなのですから,いずれ何かに取って代わられる言葉だと思います。

そのため,最近では「SOGI」(ソギ=Sexual Orientation and Gender Identity)という用語が,より価値中立的な表現として好まれつつあるようです。

 

 

先ほどの会場からの参加者の皆さんは,その場で(仮面のお一人を除き)実名や勤務先まで明かしてご登壇くださったLGBTの方々でした。

そんな状態でのぶっちゃけ話が,おもしろくないわけがない!

 

もちろん,ゲイバーがめっちゃ楽しい(らしい)というのとは違いますよ。とってもまじめな研究会です。

 

ともかく,今回の研究会については,せめてそのエッセンスだけでも多くの方にお伝えしたくなりました。

少し長くなりそうなので,中身の続きは次回ご紹介します。

 

 

 

ちなみに,続く第二セッションで谷口洋幸准教授がLGBTに関する国際人権の最新の先例を,すごい勢いで鋭くコンパクトにまとめて講義くださった(らしい)です。

 

けど,一瞬にして寝落ちしてしまい,ほとんど聞いてなかったのは内緒。

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カミングアウト!(2)

引き続き,「第86回・国際人権に関する研究会『LGBTの人権』」からご報告です。

 

 

前回,柳沢氏の冒頭の話題をそのまま引用させていただきました。

それは,日本人なら誰でも,「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」(日本人の7%強を占める名字の人々)の知り合いがいるに違いない,という話でした。

 

ところで,研究会での報告によると,LGBT人口比は現在7.6%程度(ただし,統計上把握できる数字として)とのことです。

 

「佐藤さん,鈴木さん,高橋さん,田中さん,伊藤さん,渡辺さん」よりも,LGBTの人のほうが,多いのです。

したがって,皆さんのすぐ近くに佐藤さんや鈴木さんたちが必ずいるように,LGBTの人が周囲に何人もいるのです。

 

ただし,皆さんがそれに気づけるかどうかは別です。彼らがそのことをあなたに打ち明けていない可能性は,とても高いからです。

 

 

 

「性(性別)」という概念には,少なくとも,

・体の性(身体的性別)

・心の性(精神的性別)

・アピールする性(性別表現)

・愛する性(性的指向)

という4つの種類があると考えられます。

 

多数派(ゆえに私たちが「普通」だと言っている状態)は,上の3つが一致していて,愛する性がその反対の性です。

 

しかし,多数派と同じ「性」を持たない人が,現実には,世の中にたくさんいます。それがLGBT(SOGI)です。

 

4つの性の概念それぞれについて,別々の男女の自覚の仕方があります。

それだけなく,「中間・中性」(両方,あるいは曖昧で未定・未分化)という場合もあり得ます。

人が自覚する性別の組み合わせは,本当はすごい数なんですね。

 

そのうえ,自分がLGBTであることに気付く年齢が様々です。

物心ついた頃から違和感を感じている人もいれば,普通に異性を愛して,結婚して,子どもを育てて世に送り出し,熟年期に入った人が,あるとき本当の自分に気付くことだってあります。

つまり,人生の途中で4つの性別のうちのいくつかが変化する可能性もある,ということです。

 

しかし,LGBTであることをカミングアウト(カムアウト)できるのは,とても意思の強い人か,環境に恵まれた人だけです。

たくさんのLGBTの人々が,性的少数者として差別や偏見にさらされたり,本当の自分を隠して生きることを余儀なくされたりするのは,悲しいことだと思います。

 

 

研究会で登壇したLGBTの方々は,LGBTの人々に向けて,

「勇気を出してカミングアウトすべきだ」

などとは,決して言いませんでした。

それが難しい現実を,体で理解しているからだと思います。

 

しかし,その代わりに,私のようなLGBTでない人々に向けて,

「是非,カミングアウトしてほしい」

という趣旨の言葉がありました。

 

別に,LGBTになってくれとか,無理に共感や納得をしてくれということではありません。

けれども,その相手がLGBTを「気にしない人」かどうかは,「気にしないよ」と直接言ってもらうまでわかりません。それがわからない限り,LGBTの人は,何十年でもずっと固く身構えてその人と接していかなければなりません。たとえ,その相手が自分の家族でも。

先にLGBTでない人々,つまり,現在多数派である人々の側から,

「私はLGBTに偏見を持たない,差別しない」(=「LGBTフレンドリーである」)

という宣言を聞くまで,LGBTの人々の側から本当の自分を打ち明けることなんて現実には怖くてできっこない,というのです。

 

その通りだなと思いました。

 

 

ノンケであってもLGBTに偏見を持たず支援する人々のことを,「ストレート・アライ」(Straight ally)と呼ぶようです。

支援なんて言ったら,何か特別なことをするような気もしてしまいますが,必ずしもそうじゃないと思うんです。

 

「LGBTの打ち明け話を聞いても,私は,『だから,どうしたの?』,『別に,いいんじゃない?』って思うよ。」

っていう,その気持ちを,はっきりと口に出して先に宣言しておく。……ただ,それだけ。

 

たったそれだけのことでも,普段,クローゼットの中に隠れるようにして生きているLGBTの人が,顔を上げて本音を話せる相手を‘一人’増やせるかもしれない。あるいは,カミングアウトまではできなくても,その言葉を聞いたときに心の中がほんの少しだけ楽になれるのかもしれない。

それで,いいんじゃないか。

 

この世界から,目に見えない属性に基づく偏見や差別をひとつひとつ無くしていく過程では,誰にでもできるそういう小さなことが,とてもとても大事なんじゃないかなと思いました。

 

 

 

私は,LGBTフレンドリーですよ。

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クスリも不倫も,やめられない

有名元プロ野球選手が覚せい剤事件で逮捕されました。

 

有名人だと,薬物事件でも不倫・浮気でも解散騒動でも,報道がすぐに大きく,しつこくなりますね。

その本人たちにとっては,自ら人前に出る仕事を選んでいる以上,いわゆる有名税だったり,むしろ好都合だったりするのかもしれません。

けれども,毎日マスコミを通じてそれを見せられる側としては,「またか」と思ってあきれるしかありません。

日本でも世界でも,日々新たな重大問題が起こっているのに,どうして芸能人や有名人のゴシップばかりをトップニュースで追いかけ続けるのでしょうか。

 

 

……などというのはいつもの愚痴でしかなくて,さすがに「覚せい剤」は小さな事件じゃないよと,怒られるかもしれません。

 

たしかに,覚せい剤が極めて有害な違法薬物であることは否定できません。

一体,誰がその違法収入を得て何に使っているのか,という販売組織の問題も大きいです。

できることなら撲滅されてほしいと,心から思います。

 

 

ただ,ですよ。

「頭ではダメだと思っていても,目の前の快楽に負けてしまって,どうしてもやめられない」という状態は,人間なら誰しも,日常的に経験していることです。

実は,人間って,苦痛には想像以上に耐えられるのですが,脳の中に生じる快楽には,ほとんど耐えられないんです。

それが人間の生物としての本能であり,存在の欲求そのものだから。

 

 

たとえば,肺を悪くして苦しいはずなのに,咳き込みながらもタバコをやめられない。

検診の結果が悪かったうえに小遣いも減らされたのに,飲んで帰らずにはいられない。

絶対に太りたくないのに,ケーキを食べてしまう。

ホントは貯金をしたいのに,買い物や遊びで散在してしまう。

……。

脳の中で起こっていることは,みんな覚せい剤の常用と同じなんです。

 

もちろん,覚せい剤には薬理作用としての依存性がありますから,なおさらやめるのが難しくなります。

ですが,本質はそこじゃないんです。

 

よく,仕事や勉強が嫌で遊んでしまう人に対して,「苦しいことから逃げるな」と言いますが,厳密には間違いでしょう。

あれは,「苦しみから逃げている」のではなく,目の前の「楽から逃げられない」だけです。その結果,後々自分が苦しむことになるのを,頭では分かっているのです。でも,やめられない。

 

理屈で言えば,「我慢の先にある喜び」を徹底的に理解することで,耐えられるはずです。

タバコをやめられた際の開放感とか,ダイエットできたときの満足感とか,勉強の成果としての志望校合格,仕事で得られる成功や報酬……。覚せい剤なら,やめられること自体が既に多大な報酬とも言えるでしょう。

けれども,現実に目の前にある快楽を避けることは,人間にとって,そう簡単じゃありません。

残念ながらそれに失敗してしまった人に対して,鬼の首を取ったかように一方的に責め立てるのは,どうかと思うのです。

 

 

 

そもそも,私たちの世界において許されるべきこととそうでないことの区別について,常識を疑って,もう一度よく考えてみてはどうでしょうか。

 

覚せい剤を自分の部屋で自分で使っても,本当にそれだけなら,直接的には誰にも迷惑をかけない。少なくとも,私もあなたも他の誰も迷惑を受けていない。

 

けれども,屋内でも屋外でも,タバコを吸わない人がいる場所でタバコを吸えば,必ず迷惑をかけます。

最低でも副流煙による暴行罪(刑法208条,2年以下の懲役刑等)が成立するはずだし,理屈上は傷害罪(刑法204条,10年以下の懲役刑等)も成立し得る行為です。(ちなみに,覚せい剤の自己使用罪は10年以下の懲役刑です。)

人前での喫煙が現実に処罰されていないのは,そういう迷惑行為をする人があまりにも多すぎて,事実上取り締まりができないからにすぎません(刑法的には,せいぜい違法性阻却事由の有無が問題になる程度と考えられます)。

もし,捜査機関が一念発起して,喫煙の副流煙による暴行罪で誰かを起訴したら,今の日本の法律の下で無罪判決を書ける裁判官は,まずいないでしょう。

極めて微妙な社会常識という幻想の下で,なぜか許されてしまっている行為なのです。

 

あるいはまた,不倫は今の日本では反社会的行為として強く批判されますが,一夫多妻や多夫多妻の国では,「不倫」という言葉自体が,憲法で認められた人間の基本的人権・自由の制限につながる批判とみなされるかもしれない。

 

 

日本での覚せい剤の劇薬指定は昭和24年。取締法ができたのは昭和26年。

それまで覚せい剤は,「ヒロポン」などの商品名で,強壮剤として普通に売られていました。今で言う栄養ドリンク剤のよく効くやつって感じです。

ヒロポンは,あの「サザエさん」の原作にも出てきてますよ。

 

 

社会の常識や倫理なんて,時と場所でまったく変わるものです。

 

ま,だからと言って,覚せい剤に手を出すのが大馬鹿者であることには,何の変わりもありませんが。

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寄り添う心と支援の距離感

先月,一泊で金沢に出張してきました。

「犯罪被害者支援全国経験交流集会」というのが毎年あり,今年は金沢で開催されたのです。私は,埼玉弁護士会の犯罪被害者支援委員会委員として参加しました。

 

1月の金沢ですから,雪景色を期待して(寒さを覚悟して)行ったのですが,残念ながら雪は降らず。

とは言え,寒いことは寒くて,しかも初日は雨,というか完全に嵐で,ずぶ濡れになりました。

それでも,兼六園が夜間ライトアップをしていたので頑張って入ってみたところ,至る所に雪が残っいて,とても風情があるような,それどころではないような……。

 

 

さて,今年の被害者支援交流会のテーマは,「外国人被害者に対する支援活動」でした。

刑事弁護・刑事裁判の観点から制度改革の必要性を指摘される司法通訳の諸問題が,この犯罪被害者支援の分野でも,やっと取り上げられるようになりました。

 

パネルディスカッションで,たまたま外国人被害者ご遺族の担当になったという警察官の方が,面白いことを言っていました。

 

 

彼は,外国人の被害者のご遺族が日本に滞在した数十日間,毎日朝から晩までつきっきりであらゆる手を尽くして支援に努め,最終日には,何もかもできることはすべてやり切ったという気持ちで,ご遺族を空港まで見送りました。

そのとき,不覚にも彼の中で,「ああ,これは感動の別れの場面になるだろうな」という,ある種の予感があったそうです。

 

そして,空港での別れのシーン。

 

ご遺族たちは,何の名残惜しさもなくスタスタと帰って行ったそうです。

 

笑いを交えて語ってくれた話でしたが,そのとき彼の考えたことは,さすがにプロでした。

曰く,

「当たり前じゃないか。被害者やご遺族は,『日本で』殺されたんじゃない。『日本に(日本人に)』殺されたんだ。だから私たちは,日本国として,日本人として,もっともっとできる限りのことをしなければならない。」

そのような思いを,かえって強くしたそうです。

 

 

一方,同じパネラーの通訳人の方から,こんな話がありました。

 

彼女は,捜査通訳人として,被害者のご遺族である外国人の事情聴取を通訳した際の体験として,

「自分なりに,被害者に寄り添う気持ちを精一杯込めて通訳できたのが良かった。」

と,嬉しそうに何度も語りました。

 

残念ながら,こちらは違和感の残る発言でした。

 

もし,外国人被告人の公判を担当した法廷通訳人が,「えん罪を確信していて,無実を晴らそうという気持ちを精一杯込めて通訳した」と述べたら,どうでしょうか。

あるいは,外国人被疑者の取り調べを担当した捜査通訳人が,「有罪の確信(コイツがやったに違いないという気持ち)を精一杯込めて通訳してやった」などと語ったら,さすがにおかしいと思わないでしょうか。

 

通訳人といえども人間ですから,当然,心は動くでしょう。

まして,無罪を推定される立場の被疑者・被告人と違って,被害者やそのご遺族の場合,その人が被害を受けたという事実には疑う余地がない,ということも多いのです。

 

しかし,それでも,プロの通訳人である以上,動く心を抑えて正確な通訳に徹したことにこそ,喜んでほしい。

少なくとも,限界までその努力をしたという体験を語ってほしかったと思います。

 

 

 

同じ司法通訳の問題点について,私は主に刑事弁護の立場から専門的な研究を続けています。

 

金沢行きの少し前,昨年12月には,日弁連主催の「実践 法廷通訳と弁護技術 スキルアップのための研修会」で,司会進行役を努めました。

この研修は,弁護人と通訳人の協働という観点から法廷通訳技術を高めあおうとするもので,一昨年の研修会に続いて,大変な盛況となりました(ご興味のある方は,2014年9月7日のブログ「 法廷通訳の新世界へ! 」も参照ください)。

 

内容的には初歩から中級くらいのレベルの研修でしたが,弁護士が笑っちゃうほど下手くそな実演をしながらの講義で(実演役の先生方,ごめんなさい!),それはそれで印象に残るし,大変面白かったのではないかと思います。

中級までのレベルとはいえ,学術的な研究成果や通訳人倫理などにも触れながらの講義は,学ぶところの多いものでした。

 

それと比べると,外国人犯罪被害者の支援活動の中で語られる通訳問題は,実践と研究がまだ圧倒的に不足していると感じました。

 

 

もちろん,それは仕方のないことなんです。

 

もともと,日本では外国人の刑事裁判が比較的少ないからこそ,予算が回らずに,諸外国よりも司法通訳制度が立ち遅れているわけです。

まして,外国人が被害者になる事件の数なんて,さらに少数もいいところです。

どうしても,制度的に置き去りにされる危険が高いと言えます。

だからこそ,様々な専門家がそれぞれの立場で,積極的な「支援」をすることが必要なわけです。

 

私にできることはごくわずかですが,今後もできる範囲で「支援」を続けていきたいと思います。

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公平な相続とは何か?(1)

相続事件を扱う弁護士の間でよく話題になるのが,「(共同)相続人の不思議な心理」についてです。

 

共同相続人(相続人が複数いる場合)は,ほとんどが親族です。

しかし,弁護士が介入するような相続紛争においては,血を分けた親族同士が,文字通りの骨肉の争いを繰り広げることがあります。

しかも,その立場になったことのない者には想像もつかない形で。

 

最大の特徴は,自分がいくら受け取れるのかではなく,とにかく「きっちり分ける」ことのほうが重視される,という傾向です。

不思議なことに,争われている分割対象財産が数億円規模でも数百万円程でも,その傾向は変わりません。

 

分かりやすく簡略化したモデルで言うと,こういうことです。

 

 

共同相続人としてAさん,Bさん,Cさんがいるとします。分割対象となる遺産は1億円です。

法定相続分は1/3ずつですが,遺言の解釈や寄与分,特別受益などの様々な事情から,Aさんが4000万円,Bさんが3000万円,Cさんが3000万円という案が出ています。

これに対して,Bさんは納得してますが,CさんがAさんに対する不満を述べていて,協議が成立しません。

 

この場面で,AさんがCさんに譲歩して,Aさん3500万円,Bさんが3000万円,Cさんが3500万円ということにしようとすると,たとえCさんが納得しても,今度は何故かBさんが不満を述べます。

Bさんにとって,Aさんの受取額が高くなるのは納得できても,Cさんが自分よりも高くなることは不公平で納得がいかないというのです。

 

それどころか,何故か金額の増えたCさんが拒否することもあります。

Cさんからすると,平等に1/3ずつ分割すべきであって,AさんとCさんだけで多い分を分け合うなんて不公平で許されないというのです。

もちろん,1/3ずつにすると一人につき約3333万3333円ですから,Cさんの取り分はAさんの譲歩案を受け入れた場合よりも減ります。それでも,Cさんの意見は変わりません。とにかく公平に分割すべきだ,という主張です。

 

ときには,本当に1円単位まで不満が出ます。

1/3ずつ平等に分割する案で合意しようとすると1円が余りますね。それを誰が取得するのか?

1円なんて,金額としては誰にとっても本当にどうでもいいことだと,みんなが分かっています。

それでも,たとえばその1円をAさんが取得しようとすると,Cさんは,「なんでAの評価がオレたちより高くなるのか。Aじゃなきゃいけないのか。」と反発します。

 

 

この不思議な相続人の心理を説明できる心理学実験があります。

ただ実験に参加するだけで,ほとんど何もしなくても本当にお金がもらえるという夢のような話です。

 

1回の実験参加者は2名です。

心理学者は,参加者のうち,くじ引きで選ばれた1名に1万円(の権利)を渡し,それをもう1名の参加者と分け合ってもらいます。

2名のどちらがいくらをもらうかは,1万円を渡された参加者が決められます。

もう1名がその決定を承諾すれば,2名とも,決められた金額を受け取ってすぐに家に帰れます。

ただし,もう1名が受け取りを拒否した場合は,2名ともお金を受け取ることが出きず,そのまま家に帰されます。

 

さあ,自分も実験に参加したつもりで,自分がどちらの立場になったときに,どう行動するか,考えてみてください。

 

~ 「公平な相続とは何か?(2)」 へ続く

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公平な相続とは何か?(2)

前回の実験(「 公平な相続とは何か?(1) 」参照)の結果を予測できましたか?

 

 

経済的合理性の観点から客観的に考えれば,金額を自分で決められない方(決められたお金をもらうだけ)になってしまった参加者は,たとえ相手にいくらと決められても,もらえるだけマシです。もらって損はありません。

したがって,どんな分け方を決められても,承諾しないことは自分の損にしかなりません。答えはYESに決まっているはずです。

 

翻って,くじ引きに当たって金額を決められる方の参加者になったら,どうでしょうか。

もちろん,素直に半々にすることもできますが,たとえ自分が多く受け取ると決めても,相手は承諾するしかない立場です。

したがって,自分を多めに決定するのが合理的判断です。

 

 

ところが,この実験の結果,多くの参加者たちは,きっちり半々に分けた5000円ずつを受け取って,喜んで帰りました。

自分を多めにする決定をした参加者も少数いましたが,その場合,もう1名が不公平な決定に不満でほとんど承諾をせず,2名ともお金を受け取れずに帰る結果となりました。

 

 

このように,ある特定の文化の下にいる人間は,経済的合理性よりも公平性を重視する結果,客観的には割の合わないはずの「不合理な決定」を好んで行う傾向があるのです(「公平性(に関する認知)バイアス」)。

実験内容からこの結果を予測できた人は,直感的に「公平性バイアス」の存在を前提に判断できた,常識ある賢明な方だと思います。

 

そしてこれこそ,「相続人の不思議な心理」を解く鍵です。

 

第三者の立場から見れば,相続財産なんて天から降ってきたようなものです。もらえるだけマシじゃないかというのが,経済的合理性に基づく客観的判断のはずです。

しかし,いったん当事者の立場になると,誰でも「公平」という名の目に見えない観念に支配され,一見すると「不合理な決定」を導くのです。

 

もちろん,現実の相続争いはもっと複雑で繊細(ときにはもっと極端)です。

被相続人(亡くなった人)の生前の言動や相続人との関係,共同相続人同士の関係などの様々な事情の下,そもそも当該相続において「公平」とは一体何なのかが争われているのです。決して単純ではありません。

 

けれども,そこにはほぼ間違いなく,人間心理の一つの側面である「公平性バイアス」が存在しているのです。

 

 

 

ところで,この実験はアメリカで行われました(日本で行っても同じ結果になるでしょう)。

しかし,同じ実験を某国のある特定の部族で行った際には,まったく異なる結果になったそうです。

すなわち,かなりの高確率で,決定者は自分に都合の良い割合を勝手に決め,もう一人はその不公平な決定をためらいなく承諾し,2名とも満足して帰っていったのです。

 

彼らの文化の中には,どこの誰が決めたのかも分からない「公平」などという目に見えない観念に価値はなく,目の前のお金を実際にもらえるかどうかだけが問題だったのです。

常識も観念も文化も,特定の時代の特定の場所でしか通用しない幻想にすぎません。

 

 

したがって,もしあなたが,アメリカでの実験参加者の大多数と同様に,人間の「公平性バイアス」の存在を予測して(常識ある賢明な)判断をしたとすれば,それは,無意識のうちに特定の「文化バイアス(文化に関する認知バイアス)」に支配されていた結果である,とも言えるでしょう。

 

人間は,「常識」の幻想からは逃れられないようです。

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誰のために「赦す(ゆるす)」のか

私は刑事事件を専門分野のひとつとして取り扱っているため,刑事弁護人の立場あるいは被害者支援の立場で,常に多数の犯罪事件に関わっています。その中で,特に犯罪被害者の方々と直接向き合うときには,弁護人であるときも被害者代理人であるときも,同じく特別な想いを抱きます。

 

私に限らず,何らかの形で刑事事件に関わる弁護士の想いが一番形になって現れるのは,なんといっても示談の場面でしょう。

刑事事件と向き合うその弁護士の想い(もっと率直な言葉で言い換えれば「真剣さの程度」)によって,示談の形も結果も意味も,大きく変わります。

 

 

法的に「示談」とは,民事上の債権債務の不存在を確認すること(通常,一定の示談金を支払うことで,それ以上の損害賠償請求権を放棄するという約束をすること)です。

示談に付随して,被害届の取下げや告訴の取消しを行うこともあります。

 

それと同じことのようでもあり,違うようでもあるのが,「赦す(ゆるす,許す)」ことです。(より難しい専門用語で「宥恕(ゆうじょ)」とも言いますが,経験豊富な弁護士は,あえてこの言葉を使いません。)

 

 

よく誤解されていますが,被害者は,別に犯人のことをちっとも赦してなくても,示談していいし,お金を受け取っていいし,告訴を取り消してもいいのです。それは被害者の自由ですし,当然の権利でもあります。

そのことをきちんと説明できない弁護士では,せっかくの被害回復の可能性を狭めてしまいます。

また,そういう意味では,「赦し」それ自体は法律問題ではない(法的には不要)と考えられていると言ってもいいでしょう。

 

もちろん,被害弁償や示談などの結果として,犯人の刑罰が軽くなる可能性はあります。

だから,赦していないのに示談するなんて嫌だというのも,人として当然の気持ちです。

示談が刑事罰にどのような影響を与えるのか,あるいは与えないのかを,正確に見通して説明できることが必要です。

 

 

 

しかし,赦すことには,こうした法律上の効果を超えた意味があります。

 

 

私は,被害者が犯罪によって受けた苦痛から回復し,心の傷が修復されていくためには,3本の蜘蛛の糸があると考えています。

 

第1の糸は,「時間」です。

第2の糸は,「赦す」という感情です。

第3の糸は,「謝罪と弁償」です。

 

 

「時間」は,誰にも平等に訪れます。他の何がなくとも,時間だけは被害者の味方になり得ます。

もっとも,あまりに大きすぎる被害では,時間さえ,限りない苦痛そのもののように思えることもあります。

 

「謝罪と弁償」は,犯人側との関係です。それだけに,被害者側が得ようとして得られるとは限りません。

そこでは,刑事弁護人の役割が極めて重要になります。

ただ,仮に得られたところで,それが被害者の心の修復に結びつくとは限りません。

 

「赦し」は,最も困難な道です。ほとんどの場合,それは不必要で不合理で不可能な選択のように思えます。

けれども,赦しは同時に,被害者が,自分で自分を取り戻せる唯一の道でもあります。

 

被害者が,弁護人を通じて示談の申し出を受け入れ,かつ,犯人を赦すということは,すなわち,受けてしまった犯罪被害に対して,自らの意思でひとつの決着をつけたことになります。自分の心の中で,その事件を終わらせたということです。

赦すという行為は,その瞬間には苦しすぎる試練と感じる選択ですが,その後の人生の中で,自らの犯罪被害という経験の意味や重さをまったく変えてしまうことになります。

 

もちろん,なんでもかんでも赦せばいい,赦すべきだなんて話ではありません。そんな簡単なものじゃありません。

特に,もう2本の蜘蛛の糸をつかめないうちに「赦し」の糸だけを選び取れるかと言われれば,それは普通の人には無理でしょう。

 

 

「赦し」は被害者自身だけに選択を許された道であり,第三者から与えられる「癒し(いやし)」ではありません。弁護士がお手伝いできることも,わずかです。

けれども,もしも,適切な示談等の過程を通じて,それに加えて「赦す」という気持ちを持てたとしたら,それは,単に高額の被害弁償金の授受があることよりも遥かに価値のある結果になると思います。

 

実際に私は,赦すことを通じて被害者が自らの力で癒されていく希少な場面に,これまで何度か遭遇してきました。

 

 

赦すのは,犯人のためではありません。自分自身の心と人生の美しい価値を守るために,赦すのです。

 

 

 

最近読んだ本の中に,たまたま,こんな一節がありました。

 

 ~ 自分の幸福のために,相手を「許す」 ~

 あなたをひどい目にあわせた人間を憎んだままでいると,その憎しみにあなたはとらわれ続けてしまいます。あなたの心の傷は,被害者意識というかさぶたの下でずっと膿をもったままになりかねません。

 「許す」とは,実際に起こった事実を受け入れることを意味するのではありません。「許す」というのは,その事実がもたらす不運が,あなたの人生を損なうことを「拒否」することなのです。自分の幸福のために許すべきなのです。

(ドミニック・ローホー/「『限りなく少なく』豊かに生きる」より)

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大人の昔話(3) ~一寸法師と親指姫~

「一寸法師」の物語をご存じですか?

では,「親指姫」はどうですか?

 

知っている? 本当に?

 

それならきっと,一寸法師と親指姫の出会いを想像したことがあるでしょう。

 

 

一寸法師は,御伽草紙(室町物語)にも入れられた,かなり古くから伝わる物語です。

彼は,生まれてから12,3歳まで,わずか一寸(約3センチ)の身長のままだったので一寸法師と呼ばれ,悔しさから京の都を目指し,針を麦わらの鞘に納めて腰に差し,お椀の船に乗って道頓堀から旅立ちます(大阪の法善寺横町に「一寸法師大明神」があるのは,そのせいです)。

京都三条の宰相に「面白いヤツだ」と拾われるものの,その数年後に,宰相の姫を狙った鬼に喰われてしまいます。

すると,鬼の目の中から何度も飛び出して鬼を驚かして(後世有名になった異説では,お腹の中から針で刺して鬼をやっつけたので),鬼の宝だった「打ち出の小槌」を手に入れます。

そして,打ち出の小槌を振って六尺(約182センチ)の大男になり,姫と結婚したうえ帝にも気に入られて,両親を呼び寄せて幸せに暮らすのです。

 

なんか小さいのに頑張って成功したかわいいヤツの話,みたいですね。

 

 

では,アンデルセン童話「親指姫」はどうでしょうか。

 

親指姫は,子のいない夫婦が魔女に頼んでチューリップ(のような花)の種をもらい,その花から生まれた女の子です。

ヒキガエルだのコガネムシだのに次々とさらわれて悲惨な目に遭い,ついにはモグラと結婚させられそうになるのですが,その優しさから,最後の最後で花の国の王子様と出会って幸せになります。

 

 

もしこの二人が出会っていたら,素敵な恋物語が始まったのか?

もしかして,花の国の王子様と一寸法師が親指姫をかけて決闘! なんてことになったでしょうか。

 

 

 

……いいえ,おそらく,そういう展開にはなりません。

 

 

先ほどの一寸法師のお話は,途中,省略しています。

本当の一寸法師物語は,こうです。

 

 

12,3歳のころ京に上って,体の小ささを売りにして宰相家に取り入った一寸法師は,当時まだ9~10歳の宰相の姫に惚れてしまい,いつか姫を奪おうと企みます。

そこで,一寸法師が16歳になったある日,寝ている姫の口元に神棚から盗んだ米粒をくっつけておいてから,泣きながら宰相に訴えました。

 

「私がこれまで何年も働いた給金で必死に蓄えてきた米を,姫君が全部盗み喰ってしまった。一体どうしてくれるのか。」

 

怒った宰相は姫を殺そうとしますが,一寸法師がこれを自作自演で取りなします。

そして,なんだかんだと理由を付けて姫を家から連れ出し,人気のない恐ろしい島へと拉致してしまうのです。

姫が鬼に襲われるのは,このときです。

その島は鬼の住処だったのでしょう。一寸法師は,鬼が「打ち出の小槌」を持っていることも,それを使えば自分の体を大きくできることも知っていたと考えられます。

 

つまり,一寸法師は,数年がかりで練りに練った戦略で,恋慕した姫を合法的に拉致監禁し,次いで,その姫をおとりに使って女好きの鬼をまんまと誘い出したうえ,正義の味方面で正当防衛にかこつけて家(島)から追い出し,その資産(宝)をすべて奪って,結局,狙ったあらゆるものを手に入れたのです。

 

 

なかなか,すごいヤツでしょ?

 

一寸法師とは,大きな肉体的ハンデを持って生まれた者が,サイズに似合わぬ野心と知略と度胸で女と富と地位をすべて手に入れる立身出世物語なのです。

 

 

そのためもあってか,一寸法師は,母親のお腹から普通に生まれてきます。

桃や竹から生まれてくる恵まれたヤツらとは,ワケが違うのです。

 

もちろん,普通と言っても,子どものいなかった老夫婦が神様に願掛けしてできた子どもということになっています。

ただ,それは平均寿命の短かった昔話の時代のこと。

なんと御伽草紙では,母となった「老婆」が一寸法師を神様の力で産んだのが,41歳の時だったとしています。

いや~,全然若いですよね。老婆ってヒドい。現代ならむしろ女盛り,綺麗盛りでしょう。なんなら一番いい感じで…

 

うん,まぁ要するに,一寸法師はめちゃくちゃ体が小さいというだけで,基本的には普通の人間であり,普通の子どもなんです。

「一寸」という縮尺にデフォルメされていますが,元来は超常的な(おとぎの国の)話ではないのです。

 

 

 

これに対して,親指姫は,もともと花から生まれていますので,いわゆる精霊の類です。

一寸法師よりも桃太郎やかぐや姫に近い存在だと言えます。

必ずしもそのせいではありませんが,二人の生きた世界はまったく異なっています。

 

親指姫は,小さな動物や妖精たちの世界で生き,最後は花の(妖精の)王子様と結婚します。

ずっと,自分と同じ小さな(おとぎの)世界で生きるのです。

我々のような普通の人とは交わらない,閉じた世界の物語です。

 

ところが,一寸法師は,小さな体でありながら大きな世界(私たちの普通の人間の社会)で普通の人として生き,最後は打ち出の小槌で体も大きくなって(普通の人になって),普通の社会の価値観の中で大成功するのです。

私たち普通の人が見たり聞いたりできる,普通の世界の物語です。

一寸法師は,身の丈に合った小さな世界で生きることなど,最初からまったく考えていません。

 

 

 

なので,もし一寸法師と親指姫の奇跡的な出会いがあったとしても,素敵な恋の物語が始まることなど一切なかったと言えるのです。

一寸法師は,モグラに求婚されるような貧乏で小さい女には目もくれず,ただただ大きな世界の金持ち姫様を手に入れることに全力を挙げ続けたはずです。

そして,そこまでの強い野心を持っていなければ,厳しいハンデを背負って生まれた一寸法師にとって,立身出世など到底かなわぬ夢のままだったでしょう。

 

 

こうしてみると,ガツガツして自己中心的な一寸法師の生き方は,すごく嫌われそうですね。とてもじゃないけど,今の時代のヒーロー像には合いません。

ただ,一寸法師のような「強烈な野心」が自然に受け入れられていた時代も,かつての日本にはあった,ということです。

なにか,今がちょっと寂しい気もします。

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裁判員の呼び出しを無断欠席すると?

裁判員候補者の「無断欠席」が約4割に達し,最高裁が対策を検討している,という報道がなされています。

 

……う~ん。

言葉どおりの意味でも十分すぎるほど重大問題なのですが,それだけでは済まない突っ込み所が,実はたくさんあります。

 

 

 

皆さん,「裁判員候補者名簿に載った」という裁判所からの通知を受け取ったことがありますか?

 

裁判所は,毎年11月ころ,翌年の裁判員候補者となる人をクジで選び,裁判員候補者名簿というのを作っています。今のところ,裁判員候補者名簿の候補者となるのは,衆議院議員の選挙権を有する人(20歳以上)ということになっています。

ちなみに,2016年の裁判員候補者名簿に載る確率は,有権者454人に1人でした(全国平均)。

これは,あくまでも「候補者名簿」なので,そこに載ったからといって,実際に特定の事件で裁判員に選ばれるとは限りません。

でも,その名簿に載ると,とりあえず「載ったよ!」という通知が来るのです。

 

そこには,調査票というのが一緒に入っていて,裁判所が就職禁止事由や辞退事由などを調べます。

要するに,法律上裁判員になれない人などをあらかじめ排除するわけです。

たとえば,義務教育を終了していない人,禁錮以上の刑に処せられた人,国会議員,知事・市町村長,司法関係者(裁判官,検察官,弁護士など),大学の法律学の教授・准教授なんかは裁判員になれないのです。

 

でも,弁護士や大学教授は民間人であって,普通の感覚を持った一市民にすぎないのですから,何で排除されるのか私には理解できません。

「市民参加の意義に反する」とか何とか理由を付けていますが,弁護士や法律学の教授などの法律の専門家が裁判員になると,判決を書く裁判官たちが都合良く説得できなくなって困るので,はじめから裁判員になれないことにしているだけです。

まったく馬鹿馬鹿しいですね。情けない。

 

 

それはともかくとして,候補者名簿に載って,調査票で排除されなかった人は,特定の事件で裁判員に選ばれる可能性があります。

 

もっとも,この段階でも,またクジがあります。

 

おおよそ裁判員裁判が開かれる6~8週間前になると,裁判員候補者名簿の中から更にクジで「当該事件の裁判員候補者」が選ばれ,裁判所に呼び出されます(文字どおり「呼出状」という書面が送られて来ます)。

呼び出す人数は,事件の内容や規模などによって違います。

裁判が数日で終わる一般的な事件であれば,50~60人くらいを呼び出すことが多いみたいです。

このときには,質問票というのが一緒に入っていて,裁判員として審理に参加することを辞退しなければならないような事件との利害関係だとか,やむを得ない事情だとかがないかどうかを確認されます。

「70歳以上の人」だとか「学生」だとか「重要な用務」だとかの辞退事由があることを裁判所に伝えれば,呼出に応じなくても構いません(呼出が取り消されます)。

また,実際には,呼出には応じたけど,当日,「やっぱり,どうしても辞退したい」と訴えて裁判所に辞退を認められる人が,必ず何人かいます。

裁判官の考え方にもよりますが,辞退事由をかなり緩く認めることが多い印象です。

やる気のない人に嫌々裁判員をやられると,一番最初に困るのは,その裁判員と何日も顔を突き合わせて話をしなければならない自分(裁判官)だからです。

もちろん,検察官も弁護士も被告人も困りますけど,裁判員と直接話をすることがないので,やる気も何もほとんど分からないんです。

 

 

裁判所は,この手続で呼び出され,当日の辞退もなかった人の中から,最後のクジによって裁判員6名と予備裁判員を選びます。

予備裁判員というのは,裁判員が途中で急病とか事故とかになって欠員が生じても,人数不足で裁判を最初からやり直さなくて良いようにするために,裁判員と同じように最初から最後まで裁判を見続けておく人です。

もっとも,ただの予備ですから,議論には参加できないし,判決に影響する評決権もありません。裁判員に欠員が生じない限り,「ただ裁判を一緒に見ているだけ」の人です。

予備裁判員は2名くらい選ばれていることが多いですね。

 

そうすると,たとえば60人呼び出して,選ばれるのは裁判員6人と予備裁判員2人とかです。

残りの人は,そのままお帰りいただく,ということになります。

逆に,選ばれた人は,選ばれた直後に,すぐ裁判員として裁判官と一緒に法廷に座ることになります。

選任手続は,当該裁判の初日の朝から行われているからです(裁判員が裁判所に来なければならない日数を1日でも減らすためだそうです)。

 

 

 

じゃあ,ここで冒頭の報道に戻りますね。

裁判員になるのが嫌だからといって,選任手続に呼び出されたのに無断欠席したら,どうなると思いますか?

 

 

 

実は,正当な理由なく欠席した人には,「10万円以下の過料」という罰則があるのです。

 

 

そこが今まさに大きな問題になっています。

ここまで無断欠席が広がっているのに,罰則の適用例は一件もないからです。

 

 

今は,呼び出された裁判員候補者の約4割が無断欠席という状態です。

この無断欠席率は毎年上昇していて,まったく歯止めがかかりません。

しかも,この数字には,まだトリックがあります。

最初の調査票で排除された人はもちろん,正当な理由があって辞退して呼び出しが取り消された人や,当日なんだかんだと言って辞退が認められた人などは,この4割の中には入っていないのです。

それに加えて,辞退事由が結構緩い。

 

そうすると,無断ではないけど事実上の欠席や選任拒否(辞退)をしている人を全部含めれば,4割どころか,ホントはもっとすごい数になっています。

 

 

 

最高裁は,出席率向上のための取り組みをするそうです。

また,有名タレントを使ったCMとかに多額の税金を垂れ流すんでしょうね,きっと。

 

そんなことしなくても,法律に従って,正当な理由なく欠席した人には「10万円以下の過料」という罰則を適用すればいいと思います。

あっという間に,ほぼ100%の出席率になりますよ。

 

しかし,裁判所にそれはできないでしょう。

なぜなら,裁判所は,裁判員をひたすら「お客様扱い」しているからです。

 

それは,決して「大事にしている」という意味ではありません。

法律の分からない一般市民である裁判員は,慇懃無礼に馬鹿にされているということです。

 

 

日本の裁判員制度の最大の問題は,実は,そこにあるのです。

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専門より実力が問題

TBSのドラマ「99.9 -刑事専門弁護士-」が人気です(でした)。

……最終回の放送後に今さらではありますが。

 

でも,予想以上に人気が出たからこそ,プロの刑事弁護人として今後も無視できないドラマになった,とも言えます。

きっと続編とか映画とかもやると思うんですよね。だって,おもしろかったから。

なにより,キムタクの「HERO」と比べると,だいぶリアルでした。

「HERO」は現実の再現度5%以下でしたが,「99.9」は30%~40%くらいだと思います。

日本の法律ドラマの中では,めずらしく良く勉強して作られた内容でした。

 

 

 

さて,ドラマの中ではともかく現実の日本では,「刑事専門弁護士」(刑事弁護しか扱わない弁護士)は,極めて数少ない存在です。

しかも,数少ない自称「刑事専門弁護士」(刑事専門法律事務所)が,本当の意味で実力のある刑事弁護人であるかどうかは,残念ながら何の保証もないと言えます。

また,専門とは言わないけれども実力のある「本物の刑事弁護人」も,もちろん多くはありません。

そして,「日本の刑事事件は起訴されると99.9%が有罪になる」というドラマのナレーションは,真実です。

 

そうすると,結果としてどうなるか?

 

皆さんの想像の斜め上を行くようなレベルで,日本には「えん罪」があふれているし,その「えん罪」と真っ向勝負できる本物の刑事弁護人は数少ない,ということです。要は,多勢に無勢。

だから国連で,「日本の刑事裁判は中世のようだ」と笑われてしまうんです。

そういう国の刑事裁判では,刑事弁護人の必死の努力にもかかわらず,ちょっと痴漢に間違われただけでも人生が崩壊するほどの悪夢になります。映画「それでもボクはやってない」のように。

 

 

そうなってしまう理由は明らかです。

国選弁護事件の報酬が低すぎるからです。

 

……と,いきなり断言すると,論理の結びつきがわかりにくいですよね。

つまり,こういうことです。

 

日本の刑事弁護のほとんどが,国選弁護事件です。全体の8割~9割が国選です。

なぜなら,ドラマと違って現実の被疑者・被告人やその家族は,私選弁護のための弁護士費用を支払えないことが多いからです。

特に,殺人事件や強盗致傷事件など,死刑や無期懲役が求刑されるような重大事件ほど,その傾向が顕著です。

重大で弁護するのが難しい事件ほど,私選弁護の割合は著しく減少します。

 

そして,国選弁護で国から弁護士に支払われる弁護士報酬は,極めて低額です。時給にしたら数百円以下になってしまうとか,普通です。

それでも,赤字にならずに済んだらマシなほうでしょう。

中でも時間のかかる難解な刑事事件を国選弁護人として引き受けると,真面目に弁護すればするほど,大赤字ということもあります。

ドラマ「99.9」の松潤のような真剣な弁護活動を,もし国選弁護人として続ければ,報酬を得るどころか弁護士自身の貯金を取り崩して生活することになるでしょう。

かといって,重大で困難な事件の多くが国選事件である以上,低報酬の国選事件に自ら挑み続けなければ,刑事弁護人としての本物の実力は養われないのです。

しかも,運が味方しなければ,まず勝てません。頑張っても頑張っても,負け続けるんです。

一体,誰がそんな無茶苦茶な仕事をやりたがるでしょうか。

明らかに「無理ゲー」です。

だから,必然的に刑事弁護は多勢に無勢になり,「99.9%有罪」という現実が日本で固定化したのです。

 

 

 

しかし,そういう圧倒的に不利な状況の中で,弁護士の中でも数少ない奇特な人たち,すなわち「本物の刑事弁護人」たちは,長年にわたり採算度外視で刑事事件に情熱を傾け,知識を蓄え,知恵を巡らし,経験を積んできました。

まさにドラマのとおりに,0.1%の真実を追い求めてきたのです。

 

彼らがそれをなしえたのは,決して,刑事事件を専門にしたからではありません。それでは,誰も食べていけませんでした。

ほかの普通の弁護士と同じように様々な種類の民事事件を多様にこなしながら,その一方で,ただただ正義感のみによって,国選弁護をはじめとする刑事事件に取り組んできたのです。

今でも,それは基本的に変わっていません。

全国に散らばる「本物の刑事弁護人」たちの多くが,文字通りの「刑事専門弁護士」ではありません。

刑事弁護に対する情熱と知識と知恵と経験をすべて備えていますが,刑事事件だけを受任するわけではないのが実情です。

それでも,警察・検察の有する圧倒的な資金力と人海戦術に創意工夫で対抗し,偏見に凝り固まった裁判官の脳みそをほじくり返すために,最後まで「事実」にこだわり続けるのです。

 

ドラマでは,松潤の演じる深山弁護士を「超型破りな弁護士」と紹介していますが,刑事弁護人としては,ごく普通でしょう。

もっとも,刑事弁護人たちは弁護士の中でも変わり者集団であるという意味なら,その通りかもしれませんが……。

 

 

 

実は,「99.9」が刑事弁護のリアルさを残しながらもエンターテイメント性を打ち出せた設定の秘密が,ここにあります。

 

深山弁護士(松潤)のやっている刑事弁護は,脚色はありますが,本物の刑事弁護人がやること,考えることと,それほど変わりません。

ただ,現実にそれをやるためには,私選弁護のための多額の弁護士費用を要するのが普通です。つまり,依頼者が弁護士費用を用意できない限り,私選弁護の依頼は成立しません。

では,国選弁護人でいいかというと,国選では弁護士を依頼者が選べないのです。

そうなると,肝心の深山弁護士がその事件を受任できないことになります。

そこだけはリアルにできないのです。

そのため,ドラマでは,斑目法律事務所という日本有数の巨大ローファームが採算度外視で刑事事件専門チームを新設し,事件の依頼者も事務所も,弁護のための資金力には一切問題がないという非現実的な設定になっているのです。

 

 

刑事弁護は,捜査機関によって見逃された事実を丹念に追求するのが基本です。

その基本をよく押さえた,なかなか見応えのあるドラマでした。

もちろん,見ていて思わず「コラコラ」と言ってしまった突っ込み所はたくさんあったのですが,最終回記念ということで,今回は褒めて終わります。

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Brexitで分かるあなたの資産運用危険度

イギリスが国民投票でEU離脱を決めた結果,世界経済に多大な影響が及んでいます。

日本の株式市場も,今年に入ってから基本的に下降トレンドが続いており,円高も止まらず,もはやアベノミクスの見る影もない状況です。

投資対象の株価や基準価格が下がって大幅な含み損を抱え,不安で気になって仕方がない方や,売るに売れないと困っている方が多いと思います。

投資信託の買い換えを検討している方なども,たくさんおられるでしょう。

 

 

 

……などという話を聞いて,素直に「そうそう」と思った,あなた。

 

あなたの資産運用は,十中八九,間違っています!

今のままでは,将来的に大切な資産を失う可能性があり,とても危険です。

 

もっと安全で快適な,相場の変動に一喜一憂することのない賢い投資方法こそ,あなたに合っています。

 

 

リスクを承知で,趣味として投資をするのであれば構いません。

個人投資家として収益を上げようとするもの自由です。

まだ20代か30代で扶養家族もない方が積極的にリスクを取った資産運用をするなら,むしろ賢い選択をしているかもしれません。

「男は(女は)のるかそるかでしょ」みたいな考え方も,個人的には大好きだったりします。

 

しかし,大多数の方は,そんなワイルドな考え方をしていないはずです。

それこそ,「虎の子の預貯金を,なるべく安全に,かつ,銀行の定期預金よりは多少マシな利率で運用して,できれば老後の年金の足しにしたい」といったような考え方のほうが,常識的ですし普通です。

私が相談を受けるのは,そうしたごく普通の方々からです。

 

それなのに,相談を受ける立場でその人の実際の資産運用状況を見ると,あまりにワイルドな投資をしているのに驚きます。

 

たとえば,雑誌の株式推奨銘柄を一度にたくさん買い込んでいたり,銀行の窓口で勧められた手数料の馬鹿高いラップ口座を契約していたり,証券会社お勧めの信託報酬の高いアクティブ・ファンドに資金の大部分をつぎ込んでいたり,仕組みもよく分からないまま表面利率の高い外貨を組み込んだ複雑な金融商品を買っていたりするのです。

 

大体,金融機関の勧める商品は,金融機関が儲かる商品です。端的に言って,手数料が高すぎる商品ばかりです。

投資信託には,中身は全く同じなのに手数料や信託報酬だけが何倍も何十倍も,ときには何百倍も違うという商品が,何百本という単位で存在します。

それらの9割以上は,そもそも絶対に買ってはいけない金融商品なのです。

その説明を受けることもなく,何も知らずに,言われるままに投資してしまう人がたくさんいます。

 

あなたが儲かるかどうかは,金融機関には関係ありません。

売買した時点で,金融機関に手数料が入ります。

今回のBrexit(EU離脱の賛否を問う英国民投票)問題のように,相場が動いて売り買いがあれば,その分だけ金融機関が儲かります。

 

しかし,今の相場状況で,十分な投資知識も無い人が短期的な売り買いをすることは,私なら決してお勧めしません。

それを勧めること自体,あなたのためのアドバイスになっていません。金融機関のためのアドバイスなのです。

雑誌だって,金融機関からの広告収入で成り立っているのですから,同じことなんです。

 

もっと長期的視野に立って,いつでも安心していられるような,自分にあった資産運用方法を一緒に考えてみませんか。

 

ちなみに,Brexitだろうが何だろうが,相場の変動を常に嬉しく感じられているのが,正しい投資スタイルです。

だって,変動がないとお金は増えないのですから,それを喜べないなら投資のやり方がどこか間違っているのです。

 

 

 

というわけで,私は弁護士として,依頼者の皆様の資産運用に対するご相談にも対応しています。

相続した財産の運用方法であったり,老後や自分自身の相続に備えた安全な資産形成についてだったり,いろいろです。

主に事業者以外で,資産はあるけれども投資経験は少ない個人の方のご相談ですね。

ただ,これは結構,めずらしいと思います。

 

実は,通常の弁護士は,適法な金融商品や投資について正面から業務で取り扱うことなんて,ほとんどありません。

扱うのは大抵,投資とは名ばかりの詐欺に遭ったというような「事件」のほうです。

成年後見人や破産管財人の業務で他人の金融資産を直接扱う場合でも,単なる維持管理か解約・売却による換価処分のみを行うのであって,資産運用は禁じられています。

そのため,その弁護士が個人的に投資を趣味としている場合は別として,資産運用に関する業務上の知識は乏しいのが,弁護士としてむしろ普通のことなのです。

 

逆に,一部の大企業や金融機関等を相手にする企業法務専門弁護士(いわゆる渉外弁護士等)の場合,たとえ金融等の専門的業務知識があっても,インサイダー規制等でその知識を当該業務外で使うことを倫理的に禁じられていたりします。

また,そもそも個人や零細事業者が関わる民事・家事分野の裁判を扱っていないですし,個人向けの個別金融商品に詳しいわけでもありません。

 

そのため,「資産運用についての法律相談に対応できる弁護士」は,日本では,かなり希少なんです。

 

 

……ちょっと,意外かもしれません。

 

でも,自分でお金について誰かに相談することを具体的に考えてみると分かると思います。

おそらく,知り合いや顧問先でもない限り,あえて「弁護士」に資産運用相談をしようとは思わないでしょう。

税理士とか証券マンとかFPとか,それこそ銀行の窓口で相談することなどが多いはずです。

現実には,お金の「使い道」を弁護士に相談する人はとても少ない,ということです。

 

 

けれども,冷静に考えてみると,それはおかしい気がしませんか?

金融であれ不動産であれ,投資の仕組みや取引の制度を作り上げているのは,すべて「法律」なんです。そもそも自由主義経済システムを成り立たせているルールも,要するに法律です。

法律の万能資格である弁護士が資産運用についての十分な知識を持っていないのは,やっぱり変だと思うのです。

 

それに,普通の人が弁護士と関わる場面では,遺産を相続したり交通事故で賠償金を受け取ったりして,高額なお金を手にして持てあますようなことが往々にしてあります。

しかも,弁護士は,顧問契約のある事業者の方に対しては,資金の使い道を含む経営や事業計画上の相談には乗っているのに,同じく顧問契約がある個人のご相談になると,とたんに「個人のお金の使い道はアドバイスできないから,大損をしても私は知りません」というのでは,あまりに冷たいんじゃないでしょうか。

 

逆に,「何でも相談できる」(トータルなアドバイスが期待できる)というのは,他の士業・専門家には不可能で,弁護士だけが実現できる圧倒的付加価値であると思います。

 

 

 

実際のご相談は,個々人の資産状況や投資に対する考え方などを十分把握してから継続的にサポートを行うため,顧問契約を前提とすることが多くなります。当サイトの 顧問契約のご案内 もご覧ください。

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嫌われ者の物語

先日,弁護士会の委員会の仲間たちと趣味の話をしていたとき,ある女性弁護士が「バードウォッチング」だと言い出したので,ちょっと驚きました。

単純にめずらしいからというわけでもなく,自分の子ども時代を懐かしく思い出したからです。

おぼろげですが,小学生のときにクラスで作った文集か何かに,自分の趣味を「バードウォッチング」と書いた記憶があります。

 

 

昔から鳥が好きで,小さい頃から鳥類図鑑を眺めたりしていました。

それで,どうしても自分で鳥の写真を撮りたくて,お小遣いを貯めてニコンの一眼レフカメラと望遠レンズを買い,休日には自転車で野鳥が多いという森まで遠出して,蚊に刺されながら小鳥を狙って撮っていました。

今思い出すと,森というか,ちょっとした雑木林なんですけどね。

 

で,問題なのは……,鳥って,すぐ逃げるんですよ。

当たり前ですけど(笑)。

 

「バードウォッチング」なら鳥を「見れば」いいのですから,望遠鏡(双眼鏡)で遠くからじっと見ていればいいわけです。双眼鏡なら,それなりのものがすぐ手に入ります。

ところが,鳥の「写真を撮りたい」となると,カメラと望遠レンズが必要です。

 

望遠レンズと言っても,当時のものは200ミリを超えればそこそこの性能です。憧れたのは,プロも使うようなサンニッパ(300ミリ/f2.8)とかゴーゴーロク(500ミリ/f5.6)とかなのですが,レンズが巨大なうえに価格も巨大で,すぐあきらめました。

それでも私は,小学生にしてはかなり頑張って,ニーニッパ(200ミリ/F2.8)で勝負していました。

でも,200ミリって……。

頑張って近づいて撮ったはずの鳥が,豆粒のように小さい……。

しかも,非デジタルの銀塩カメラですから,現像代がまたバカになりません。

残念ながら,趣味としては長続きしませんでした。

 

今はコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)でも500ミリどころか1000ミリ以上の超望遠が気軽に使えますし,何千枚と撮りためてから自宅でじっくり選んで手軽にプリントできるのですから,本当に便利になったものです。

 

 

 

鳥の写真を撮ろうと思った直接のきっかけは,「ウッド・ノート」という漫画でした。

主人公の高校生・唐須一二三(からすひふみ)はハシブトガラスの九郎を飼っていて(一緒に暮らしていて),九郎は九官鳥のようにちょっと言葉を話したりするので,それがすごく可愛いというか,小憎らしいというか。

以来,カラスが好きです。

 

委員会の仲間たちとの話でもカラスのことが話題になりましたが,カラスの頭の良さは格別です。言葉を覚えることも,本当にあります。

また,今では怖いとか気色悪いというイメージのついてしまった嫌われ者のカラスですが,もともとは美しい鳥です(ハシブトガラスは,ちょっとでこっぱちでユーモラスな顔ですが,ハシボソガラスは凜としています)。

日本女性の黒髪の理想の美しさを表現する「濡烏」(ぬれがらす)という言葉は,カラスの青みを帯びた漆黒の羽色を指しています(烏羽色とも言います。)

 

さらに,カラスは世界各地の神話で,神の使いとされています。

 

ギリシャ神話で,カラスは,太陽神アポロンに仕え,白銀色に輝く羽を持ち,美しい声で人の言葉を話す頭の良い鳥でした。

ところが,あるときカラスがアポロンの妻コロニスの浮気を密告したことから,アポロンはコロニスを矢で射殺してしまいます。

その後,我に返ったアポロンはカラスを恨み,美しい羽と声を奪って天界を追放しました。

以後,カラスの羽は真っ黒に染まり,低く醜い声で鳴くことしかできなくなったというのです。

 

そんな話を知ったら,嫌われ者のカラスを見る目が,少し優しくなる気がしませんか?

……カラスに限らず,どんな嫌われ者にも,知られざる物語がきっとあるんです。

 

 

これを書いていて,ウッド・ノートの作者小山田いくさんが今年の3月に亡くなられたことを知りました。

また,小山田さんが,たがみよしひささん(こちらも漫画家)の兄だということも初めて知って,二度驚きました。

 

この夏,久しぶりに「ウッド・ノート」を読み返したいと思います(長く絶版でしたが,今は復刻されています)。

 

 

皆さんも,夏休みに,とっくに忘れていた昔の趣味を,ちょっと思い出してみてはいかがですか?

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無料相談の真実

以前,この『法律夜話』のブログに「弁護士の法律相談料は,占い師の見料と同じだ」という話を書いたのですが(「法律相談,わかんねェだろうナ。いぇ~い。」参照),おもしろい観点だと評価してくださる方と,「んなわけねーだろ!」と怒る方(弁護士)に分かれました。

 

占い師との比較はともかく,法律相談料については,ご相談者側にも弁護士側にも色々な意見があるようです。

特に,最近は「無料相談」をする弁護士や法律事務所が増えてきて,ご相談者の皆様も,まずは無料で相談できるところを探すという方が多くなってきたように思います。

 

やっぱり,30分5000円とか1時間1万円とかいった料金は,決して安くはないですよね。

 

でも,ご相談者の方に「高い」と感じさせてしまうのは,弁護士の法律相談技術の不足という場合もあります。

専門性の高い弁護士による適切な法律相談を受けることにより,相談だけで事件を解決できてしまったり,解決へのヒントが得られたりすれば,決して法律相談が「高い」とは感じないはずです。

 

 

一方,確かに無料相談は増えていますが,実は「無料」にも2種類あります。

 

1つは,弁護士にとっても本当にタダ働きになるような無料相談です。ご相談者はもちろん,ほかの誰からも費用が払われません。

 

弁護士が,ボランティア活動として法律相談をすることはあります。顧客サービスとしての無料相談もあります。それは一向に構いません。

しかし,職業,仕事としての本来の法律相談は,ボランティアでも単なるサービスでもありません。それ自体がプロフェッショナルな技術なんです。

すべての(初回)法律相談を無料にしている弁護士や法律事務所もありますが(弁護士以外の士業でも同じですが),当然,その相談から事件を受任できない限り収入に結びつきません。

そういった無料法律相談は,途中で「これは受任につながらない」と分かってしまった時,はたしてどうなるのでしょうか?

……時々,こういった鋭い質問を受けます。

 

私自身は,無料だろうが何だろうが相談を引き受けた以上,最後の最後まで真剣に回答します。「事件に区別なし」は,私の弁護士としての原点のひとつですから(「3つのルール」参照),断言できます。言えば言うほど嘘っぽくなるのでこれくらいでやめときますけど,本当です。

そして,私が信頼を寄せる仲間の弁護士たちなら,たぶん同じように考えるだろうと思います。だから,無料が全部ダメなんてことはありません。

なので,それほど気にしなくてもいいんじゃないでしょうか?

 

……でも,私自身はとっても疑り深い性格なので,もし自分が本当に困って弁護士に相談する立場になったとしたら,知らない弁護士がタダ働きでやっているような法律相談なんて,怖くて受けられないかもしれません。

 

 

もう1つの無料相談は,ご相談者が無料なだけで,弁護士には相談料が入ってくるタイプです。

地域や組織などによって違いますが,今の埼玉の場合,市役所や区役所での相談とか弁護士会での相談などの一定割合が,ご相談者は無料でも弁護士には後から費用が支払われるタイプの無料相談です。

法テラス(日本司法支援センター)の民事扶助制度を利用した無料相談の場合も,これに当たります(法テラスから弁護士に相談料が払われます)。

この場合は,無料相談とは言いながらも,弁護士による助言行為が専門的技術として一定の評価を受けています。相談で事件を受任しなくても,それは変わりません。

先ほどの鋭い質問に,誰でも堂々と「大丈夫!」と答えられるわけですね。

 

もし私だったら,同じ無料相談なら,せめてコチラを選ぶかなぁ。

 

 

……ただ,通常のご相談者にとっては,その無料相談で弁護士に費用が払われているかどうかなんて,まったく分かりません。

しかも,こういうタイプの(弁護士に報酬の入る)無料相談の割合は,今,どんどん減ってきています。

一般の方々は無料相談に2種類あるというカラクリを知りませんから,同じように弁護士の法律相談を受けられるなら,無料がいいと思うのは当然です。

 

けれども,弁護士が増えて選択肢が増えてきた結果,どの弁護士のどういう相談を受けてどういう結果になるか,すべてご相談者の自己責任ということになりかねないのです。

真実を知らないまま選択を誤ることがないように,十分気をつけてください。

 

 

 

ちなみに,弁護士にはお医者さんのような国民の税金をつぎ込んだ保険制度がありませんから,法律相談が高すぎるというのは,本当は間違いです。

皆さんが風邪でお医者さんにかかって,30分の待ち時間,初診料込み3割負担で計3000円を支払ったとすると,実際には,たった3分の診察でも医療費は1万円です。

30分5000円の法律相談とは,比べものにならないくらい高いのです。

 

 

また,これも最近ですが,「弁護士保険」が少しずつ広がってきています。

今はほとんどが交通事故の任意保険の特約ですが,ついに一般民事事件の弁護士保険も出てきました。

私も,これまでに弁護士保険制度を利用したご相談や受任を実際に行っています。

まだ多少使いにくい部分もありますが,利用価値の高い制度です。

 

ただ,弁護士保険制度には,保険契約時は気付きにくい大きなリスクがあります。

それは,保険会社は弁護士費用を払ってくれるだけで,適切な弁護士を探してくれるわけではない,ということです。

LACなどの弁護士会を通じた紹介制度等もありますが,基本的には名簿順に名前を教えてくれるだけなのです。

本当に自分に合った良い弁護士を探そうと思ったら,その都度,ご自身で見つけ出して,法律相談して,契約しないといけません。

 

この面倒とリスクを避けられる唯一の選択肢が,自分の顧問弁護士を持つことです。

 

 

かかりつけの医師を持つように信頼できる顧問弁護士を持ち,また,保険を使うよりもずっと気軽に「無料」で質の高い法律相談を受けられる……。

そんな自分だけの顧問弁護士というスタイルが,もっともっと世の中に広がっていくといいなと思います。

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秋田に古代日本を訪ねて

埼玉弁護士会の犯罪被害者支援委員会委員として参加した「第19回 犯罪被害者支援全国経験交流集会」の裏報告です。

前回は金沢でしたが,今回は秋田まで行ってきました。

 

交流会の真面目なご報告は事務所の公式ブログでしておりますので,大人の法律夜話では,もう少し人間くさいお話をいたします。

ご期待に添えますかどうか……。

 

 

 

 

それでは,こちらをご覧ください。

奈良時代の先進的施設です

はてさて,これはいったい何でしょうか?

 

この建物は,奈良時代(8世紀中頃)のものが再現されています。

天平宝字4年(西暦760年)ごろ,「秋田城」と呼ばれていた官庁地区の一画です。古代の風を感じたくて,秋田市街からバスで少しだけ足を伸ばしてきました。

 

当時の秋田城は,出羽国の国府が置かれた政治拠点であり,北海道にまで及ぶ蝦夷の人々を従えた軍事拠点であるとともに,大陸の渤海国(中国の東北部にあった国)から日本への使者を迎える交易と外交の一大拠点でもありました。

再築されている奈良時代の城門構えも,こんな感じで,なかなかのものです。

秋田城の城門

最初の建物に戻りますね。

 

この建物を使ったのは,現地の日本人や蝦夷ではなく,もっぱら渤海国などから受け入れた外交使節たちであったと想像されています。

 

質素ですが,しっかりとした造りで,中は3つの個室に分かれています。

ちゃんと個室に分かれています。

そろそろ,お気づきでしょうか?

 

個室内には,二本の板を渡した大きな穴と水瓶,柄杓,そして何本かの木の棒が備えられています。

終わったら柄杓で水を流します

 

 

 

 

ことが済みますと,柄杓で水を流し,備え付けの木の棒で後始末します。

 

木の棒は「籌木」(ちゅうぎ,ちゅうぼく)と言われ,使い捨てではありません。とってもエコなのです。

 

別名,クソベラ……。

 

 

 

えー,すごい名前が出てきまして,これ以上の深入りはもう避けますが,何でも「ほじくって使う」らしいですが(まったく避けてないですが),要するに個室水洗トイレです。

 

そう思って建物を見ると,3つの個室から外に向かって水が流れる構造になっているのが分かると思います。

傾斜の内部では木製の配管が埋め込みでつながっており,最後には受水槽の上澄みだけが自然に沼に流れ込むという豪華仕様です。

渤海国の使節たちは,どういう気持ちでこのトイレを使っていたのでしょうか。

リアル版「テルマエ・ロマエ」の世界が,奈良時代の秋田の地で繰り広げられていたのかもしれません。

 

秋田城自体は10世紀の中頃から後半頃までの歴史がありますが,水洗トイレが使われていたのは8世紀の終わりから9世紀のはじめ頃までだったようです。

 

 

 

ちなみに,トイレのことを厠(かわや)と言いますが,その語源も実は「水洗トイレ」です。

しかも,こちらの水洗トイレは何と「全自動」で,その歴史は奈良時代よりも遥かに古いんですね。

 

まず,川の流れに板を渡し,次に,その上でイタします。

すると,自動的に川がすべてを水に流してくれるというわけです。

これを,「川屋」(かわや)と呼んだそうです。

 

 

 

以上,人間のクサいお話でした。

だから何だと言わず,どうぞ水に流してくださいませ。

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トランプ・リスク

米国の大統領選挙が佳境に入りました。

 

当初,トランプ候補がこれほどの嵐を巻き起こすとは,なかなか予想できなかったのではないでしょうか。

だって,普通に見たら,ちょっとえらそうで下品なおじさんですよね。

せいぜいほめても,親分肌で頼りがいがあって,ものすごい大金持ちで,やたらとジョークを飛ばすおもしろい人,といったところでしょうか。

その彼が,約半数の米国民から今も大統領候補として支持されています。日本人には理解しにくい現実です。

 

株式・金融市場では,トランプ候補が大統領になったらアメリカ経済(ひいては世界経済)に革命的な混乱が起こるかもしれないと不安視されており,トランプ氏の支持率が下がると,「トランプ・リスク」が下がったと喜び,それで株価が上昇したりしています。

もしトランプ大統領が誕生すれば,ヒトラーの再来だと危惧する人もいます。

 

もっとも,じゃあクリントン候補がいいのかというと,けっしてそうではないでしょう。

実際,「クリントンさんなら最高だね」なんていう話,日本では聞いたことがありません。

 

 

 

日本の場合,「内閣総理大臣は,国会議員の中から国会の議決で,これを指名する」(日本国憲法67条1項)とされています。

国民が首相(総理大臣)を直接選ぶことは,できません。

日本で首相公選制を実現するには,憲法改正が必要です。

 

「リーダーを自分たちで選べないから,国民が政治に興味が持てないんだ」

という意見も,根強く主張されています。

だからこそ憲法改正すべき,という意見もあります。

 

つまり,そういう意見の人にとっては,

「大統領を自分たちで選べるアメリカが,うらやましい!」

「クリントンとトランプ,どちらかを好きに選べるなんて,なんて贅沢なんだ!」

というわけですね。

 

 

……あれ? もしかして何か違います? でも,そのはず,ですよね?

 

 

 

日本で首相公選制をやっても,出てきた候補者に対して,アメリカのような信頼や熱狂は生じない可能性が高いでしょう。

いや,生じたとしたら,かえって怖いと思いませんか?

トランプ候補のジョークに,日本中で熱狂したいですか?

 

 

正確に言えば,アメリカ大統領選挙は間接選挙です。有権者である国民が選ぶのは選挙人(実際に特定の候補者への選挙権を持つ人)であって,候補者その人ではありません。

ただ,選挙人が自分の支持する候補者を事前に発表しているので,結果的に候補者本人への投票(直接選挙)と同じことになっているだけです。

 

つまり,日本でも,すべての国会議員候補者が首相として支持する人をあらかじめ明言した状態で総選挙を行えば,米国の大統領選挙とほぼ同じ状況は作れます。

国民の側が政治に対して強い意思を持ちさえすれば,いくらでも実現できるでしょう。

アメリカをうらやましがる必要も,憲法改正の必要もありません。

 

 

私たちはつい,何でもいいから国民が選べるようにすれば,政治(指導者)がもっと国民の声を聞いてくれるのではないかと単純に考えがちですが,それは違います。

国民が選べるということは,その人に対して,より大きな権力を与えるということです。

そして,国民が選んだからと言って,選んだ後もずっと国民の言うとおりにさせられるとは限りません。

むしろ逆です。

選んだ以上,後は任せる(好きにさせる)という色彩が,より強くなります。

 

国民の側で政治への関心が低く,それでなくても政(まつりごと)を御上(おかみ)に任せっぱなしにしがちな国民が,一度に一人の人間に権力を与えてしまうことは,極めて危険です。

選ぶだけなら一瞬です。選んだ後にこそ,長く,辛抱強く,関心を向け続ける必要があるんです。

 

日本のように,御上任せの結果として行政府(内閣,官僚組織)が暴走しやすい傾向にある国では,国家権力をなるべく分割して,暴走しないよう相互抑制を効かせ,選挙などを通じて国民が権力間のバランスを常に維持していくことが非常に効果的です。それが結果的に,権力から国民を守ることになります。

それこそ,日本国憲法の定める三権分立(国会,内閣,裁判所)の統治機構です。

憲法をよく知れば知るほど,意外なほど「よくできている」ことが分かるはずです。

 

 

今,日本は選挙に行かない人が,すごく多いですね。とても残念なことです。

 

私の身勝手な印象ですが,普段,政治に関心が無い,選挙に行かない人ほど,

「自分で首相を選べるわけでもないし,投票してもどうせ何も変わらないから,選挙にはいかない」

「内閣総理大臣を選べるんなら,選挙に行ってもいい」

などと,よく口にされるように思います。

 

もし,そうした私の印象が正しいとしたら,首相公選制になったとき,普段は政治に何の関心も持たない有権者が首相に選ぶのは,一体どういう人でしょうか?

そして,その人に絶大な権力を与えてしまった後,一時の熱狂を忘れた有権者は,長期間,辛抱強く,その人の政治行動に関心を向け続け,権力を国民の監視下に置くことできるでしょうか?

 

今後,日本国民の政治への関心と責任感が高まり,投票率が70%とか80%とかになって,それでも選挙後の公約違反が絶えなかったりして国民の多数が首相公選制(あるいはそれに近い形の総選挙)を強く求めるようになれば,日本の民主主義は,新しい,本物の時代に入るでしょう。

 

しかし,今のように投票率が低い状況で(低いからこそ)議論されるような首相公選制の意見は,「まやかし」の匂いがプンプンします。

 

 

 

さて,日本では,どちらかというとトランプ候補が悪玉で困った人扱いです。

けれども,私は,クリントン候補の勝利こそ,日本や世界に本当の危機を引き起こすきっかけになるのではないかと思っています。

 

彼女が大統領になったとき,否,なるとすればその前の今この瞬間にも,それは,もう既に始まっているはずです。

 

だって,大富豪のプレーヤーが最強札のジョーカー(Joker:ジョークを言う人)を出しても負けてしまうってことは,その時,もう既に「革命」は起きているはずだと思うんですよね。

……「トランプ」だけに。

 

 

 

 

 

 

※ 一応,蛇足の解説を入れておきますと,トランプの「大貧民」ゲームではジョーカーが最強のカードですが,4枚以上のカードが同時に出て「革命」の起きた状態では,カードの強さの順序が逆転し,ジョーカーが最弱のカードに変わります。

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弁護士が専門分野に悩んでライラライ

弁護士として,皆さんから最も多く受ける質問なのに,実は最も答えにくい質問というのがあります。これです。

 

 

 

「先生のご専門は?」

 

 

 

この質問,日本の弁護士の圧倒的多数は,うまく答えられません。

 

……などという話をすると,今度は,

 

 

 

「え!? なんで専門分野を答えられないの? 嘘でしょ? ないの?」

 

 

 

とか言われたりして……。

 

 

 

嘘じゃありません。

 

医師と異なり,弁護士は専門分野に分かれていません。

特定の分野の特定の弁護士を除くと,多くの弁護士は「何でも屋」です。

 

 

医師の世界でも,大学病院などの専門分野に特化したお医者さんと対比して,地域に根ざして近所の住民の病気を何でも看てくれるお医者さんを,「町医者」と呼ぶことがありますね。

同じように,地域住民の法律問題を何でも取り扱う弁護士を「町弁」と呼んでいます。

そして,それが弁護士の多数派です。

 

何でも取り扱う町弁が,あえて専門分野を尋ねられると,非常に答えにくいのです。

 

(ちなみに,特定の分野の代表格は,国際取引や大企業相手の仕事しかしない渉外企業法務系の弁護士です。私たち庶民が彼らを肉眼で見ると目がつぶれるという言い伝えがありますので,決して関わらないようにしましょう。)

 

 

 

 

「でも,最近は○○専門という弁護士や法律事務所のホームページも多いじゃないか」

 

 

 

と思われるかもしれません。

 

その通りです。

 

だって,自分で「専門」を名乗ることは誰にでも出来ますから。

 

「専門」を名乗るだけなら,別に裏付けとなる知識や経験は必要ないのです。

いつでも誰でもすぐにでも可能です。

実際,弁護士になったばかりの新人や,まだ経験の少ない若手の集まった法律事務所が,「○○専門」というホームページを同時にいくつも立ち上げてウェブで集客することが,今は当たり前になっています。

 

そういう問題があるので,日弁連では全国の弁護士に対し,原則として「専門」という表記や広告を避けるよう指導しています。

もちろん,取扱分野をあえて狭く限定して実績を積んでいるとか,弁護士としての実務経験に即して特定の分野での優位性に十分な理由があるなら,「専門」を名乗るのに何も問題ありません。大切なのは,常に勉強し続ける姿勢です。若手だろうが何だろうが,特定の分野だろうが幅広い分野だろうが,努力し続ける者なら,いずれ本物の専門性を獲得します。

ただ,そういった根拠ある専門性の有無を誰が保障してくれるのか,顧客側にその判断ができるのかが,大きな問題になります。

 

 

ここ法律夜話は,話の分かる大人のためのブログなので,思っていることをそのまま書きます。

 

弁護士以外の人が弁護士の専門性を適切に判断するのは,現時点で,ほぼ無理だと思います(分かる場合もありますが,常に分かるわけではないという意味で)。

いくつもの弁護士のHPを見比べてみるほど,余計にそう思います。

特に,弁護士や法律事務所の比較サイトは,まったく使い物になりません。

 

そして,続けてこうも考えるのです。

 

 

 

「私も,法律以外の分野で商品や取引先や専門家を選ぼうとするとき,同じようにホームページや比較サイトを頼って探したり比較したりしているけど,それって,その分野のプロ中のプロの立場から見ると,きっと,ものすごく不適切で,あてずっぽうで,危険な選び方をしているんだろうなぁ……。」

 

 

 

本当に信頼できる専門家を探すというのは,誰にとっても難しいですね。

弁護士だって(弁護士が別の分野の専門家を探すときだって)同じなんです。

この分野ならこの人と思う知り合いがいればいいのですが,大抵は,必要になったときにはじめて,場当たり的に,「どうしよう,どこにしよう,誰にしよう……」と,右も左も分からず悩みながら,おっかなびっくり探すんです。

怖いことです。恐ろしいことです。

おぉ神よ。彼を救い給え!

(ライラ ライラ ライラ ライ……)

 

 

 

本物の専門家を真剣に探している皆様に,どうすれば適切に自分の専門性を伝えることが出来るのか?

これからもずっと悩みながら,この法律夜話や事務所ホームページ等での情報提供の仕方について,工夫していきたいと思います。

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お茶から覚せい剤成分が検出される本当の理由

12月19日,覚せい剤使用疑惑(覚せい剤取締法違反容疑)で再逮捕されていた歌手のASUKAさんが釈放されました。

覚醒剤反応が出たと報道された尿については,「尿の代わりにお茶を入れた」ということでした。

警察発表によると,「本人の尿と確認できなかった」ために,嫌疑不十分で不起訴となったそうです。

 

この事件,私のような刑事弁護を専門的に取り扱う弁護士にとっては,おおよそ何が起こったか想像が付いてしまいます。

ところが,一般の方には理解しがたい点や「常識(?)」に反する内容が多いため,ネット上はもちろん,マスコミ報道でも様々な誤解や憶測が流れています。

 

私自身は,ASUKAさんの弁護をしたわけでもないし,具体的に今回の事件の真相についてコメントできる立場にはありませんので,あくまで一般論としてですが,身近な方からよく質問される疑問を分かりやすく解説しておこうと思います。

 

 

1)「尿の代わりにお茶を出した」という弁解の疑問

 

「尿の代わりにお茶を出すワケがない」とか,「本当だとしたら,そんなことを考えつく時点でおかしい」とかいった意見が多いようですね。

しかし,「採尿の際に,警察の目を盗んで,尿の代わりにお茶を提出したから,陽性反応(覚せい剤を使っているという反応)が出るわけがない」という話は,実のところ何年も前から覚せい剤事件の被疑者・被告人の間でよく使われている,有名な弁解方法のひとつなんです。

私もこれまでに何度か聞かされました。

 

こうした弁解には流行・廃りがあって,ある特定の時期には,別々の事件なのに同じ種類の弁解ばかり出てくる傾向にあります。なぜかというと,留置場や刑務所の中では,「最近,○○という弁解で釈放された(無罪になった)やつがいるらしい」というまことしやかな情報が流れるからです。

そして,この数年で一番流行っている弁解が,「尿の代わりにお茶」なんです。警察に捕まった人でも,取調べ中などにお茶は飲めるからです。

もちろん,この手の話は,ほとんどが嘘情報です。そんな弁解だけで,釈放(無罪)になんかなりません。

刑事弁護は,それほど簡単なものではないのです。

 

ただ,逮捕されたことのある人なら,留置中にどこかで「尿の代わりにお茶」という話を聞いていてもおかしくないわけです。

ですから,「自宅」で尿の任意提出を求められた場面でなら,自分では思いつかなくても,たまたま知っていたのでそのとおりにやってみたということは,あり得ます。

 

 

2)お茶から覚せい剤反応が出たことへの疑問

 

実際に尿の代わりでお茶が提出されたとして,お茶から覚せい剤反応が出ることがあるのでしょうか?

これについては,マスコミ報道でも,かみ合わない(間違った)議論ばかりなされていますね。正しくは,覚せい剤使用の反応が出るという結果を,2つの意味に分けて議論しなければいけないのです。

 

第1に,科学的意味から言えば,お茶から覚せい剤の成分が検出されることはありません。

テレビでわざわざ実験してみるまでもない。当たり前です。アホくさい。

ちなみに,お茶に覚せい剤そのものを混ぜても,ここでいう陽性反応とは違った結果になります。

正確には,覚せい剤成分を検出するのではなく,覚せい剤を使用した結果を成分検出するからです。

 

第2に,法律的意味から言えば,お茶から覚せい剤成分が検出されることは,あり得ます。

あり得るんです!

考えられる可能性は無数にありますが,現実によく起こり得るのは,次の3つのパターンです。

a.混入(誰かがお茶に反応成分を入れた,成分の付着した未洗浄の容器を使った,など)

b.取り違え(鑑定に際して,別人の尿と取り違えて検査した,など)

c.虚偽記載・偽造(覚せい剤反応は出ていないのに出たかのような鑑定書を書いた,など)

これらすべてについて,警察(検察)の故意と過失の両方があり得ますし,現実にも過去に何度もありました。

鑑定は科学的ですが,鑑定をするのは人ですから,こういうことは常に起こり得るのです。常識には反するかもしれませんが。

 

 

税金を使った捜査で,こういう馬鹿げた疑問が生じないようにするためには,証拠の採取と保管,そして保管した証拠が開封されて鑑定し終えるまでの状況が,ビデオ撮影などによって記録化されること(「証拠採取と鑑定の可視化」),鑑定資料の残りを適切に保存して再鑑定を保証すること,再鑑定が保証されていない鑑定の証拠能力を一律に否定すること,などが法律できちんと定められる必要があります。

 

けれども,現状では,警察の内規により尿鑑定の残りはすべて廃棄することとなっています。(「提出された尿が微量だったから再鑑定できなかった」という警察発表の報道がありましたが,真っ赤な嘘です。常に捨てているから,再鑑定なんて,したくてもできないのです。)

 

ですから,こうした疑問のどれかを否定できない捜査状況になってしまったとしたら,それは単純に,何度も問題を起こし続けているのにまったく反省のない警察,検察が悪い,ということなのです。

 

 

 

しかし,この事件の影響で「尿の代わりにお茶を出した」などと弁解する被疑者・被告人が今まで以上に増えるのかと思うと,本当に困りますね……。

警視庁さんが,刑事弁護人の無理ゲーな仕事をまた増やしてくれました。

 

 

それでは皆様,素敵な新年をお迎えください。

また来年も,よろしくお願いいたします。

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