日々の徒然のブログ【過去の法律夜話】

埼玉・東京エリアを中心に活動する弁護士吉岡毅の本音ブログ「法律夜話」の過去ログです。

こちらのページでは,これまでの法律夜話から,日々の徒然を書き記したブログ(法律や裁判などとほとんど関係のない記事や連載記事以外,要するに「その他」の記事全部)をまとめてお読みいただけます。

一番上が最も古いブログ記事で,上から下に向かって順に新しい記事になり,古い記事から最新記事まで順番に読むことができます。

2014年

4月

13日

嫌われ杉子の一生

スギ花粉の季節がやって来ました。

気づけば花粉症になってから15年も経っています。花見のうれしさが鼻紙のうらめしさに変わって久しいです。
 

そんなこともあって,数年前から携帯型の超小型空気清浄機を使っています。

首からストラップで胸元にぶらさげておくと,小さな本体からマイナスイオンが吹き出して,自分の顔の周囲だけホコリや花粉をはじき飛ばしてくれるんだそうです。

屋外や歩行中では全然ダメですが,室内でのデスクワーク中だと,それなりに効果があるような気がします。

花粉の季節だけでなく,警察の接見室などは非常に埃っぽいので,一年を通してこれがあると助かります。

 

ただ,周囲の視線はやや気になります。

 

空気清浄機だとすぐにわかる人は少ないですから,胸元に怪しげな黒い箱状の物体がぶら下がっているのを見ると,それが何なのか気になって話に集中できなくなることもあるみたいです。

よく間違われるのは携帯灰皿とか携帯音楽プレーヤーですが,私はスモーカーではないし,イヤホンがついていないのでどうも違う……などと考え込むようで。
 

一番困るのは,録音機だと勘違いされることです。

 

残念ながら,弁護士は「市民から嫌われている」という自覚が必要な職業です。

ドラマなどの間違ったイメージが流布しているせいもあって,弁護士は悪人の味方だとか,お金をもらえばどんな証拠でも作り出すとか,冗談のような話を本気で信じ込まれていることがあります。

 

あるとき,思いもかけない人から「弁護士さんだから,どうせ会話は全部録音しているんでしょ?」と胸元の空気清浄機を指さして言われてしまい,それ以来,身につけるのをためらうようになってしまいました。

弁護士はそんなことしませんよ~。

 

  『嫌われる 花粉の気持ちに なってみる』

 

(『事務所ニュース 2009年2月号』より)

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2014年

6月

02日

日本のテレビ報道は,もう少し何とかならないのか。

日本のテレビ報道って,ひどいと思いませんか?

いわゆるワイドショーはもちろんですが,ニュース・報道番組も本当にひどいです。

 

まず,同じ時間にどこの局でも同じニュースばかり取り上げている。しゃべっている中身まで同じ。リモコンのチャンネルボタンが壊れたのかと思います。ソース(情報源)はどれも警察のリークか新聞・雑誌の先行報道,あとYouTubeとか……。同じ局の朝と昼と夜の違う名前の番組で,同じ映像と同じコメントを流して,翌日もその翌日もいつまでも同じ事件の特集。

しかも,難しい政治課題や世界の動向は無視して,偶発的でわかりやすい事件・事故ばかり取り上げる。みんなで相乗りできる次の話題が出てくるまで,ひたすら同じことの繰り返し。

当然ネタが尽きるので,どうでもいい関係者のプラバシーまでほじくりかえす。小学校時代の作文の内容が事件と何か関係あるのでしょうか。

 

何より問題なのは,事件について何の専門性も持たないコメンテーターたちが,間違いだらけの「意見」を平気で垂れ流すこと。

もちろん彼らは,意味があろうがなかろうが,正しかろうが間違いであろうが,とにかく決められた時間はカメラに向かってしゃべり続けるのが仕事なわけですから,さぞ大変だろうとは思います。でも,番組制作側は,彼ら数人分の給料で数十分もの貴重な公共放送電波を浪費して莫大な広告費を稼げるのですから,とっても楽な商売でしょうね。

 

最悪なのは,ちっとも専門家ではない解説者です。特に,法律問題について法律家ではない人に専門家のフリをした解説をさせるのは,やめてほしい。しゃべるほどに嘘ばかりで,とても聞いていられません。

 

法律家と言えるのは,裁判官,検察官,弁護士の法曹三者と,特定分野に関する研究者(大学教授等の学者)だけです。

確かに,現役の裁判官,検察官はマスコミに出ないし,当該分野に精通した弁護士とか理論倒れでなく実務を知っている研究者なんて,そう簡単には探せないでしょう。だからといって,離婚だとか相続だとか交通事故だとか,弁護士であれば誰でも経験しているような法律問題にまで,弁護士や研究者ですらない人たちを解説者にするのは,あまりに安易です。

大体,弁護士以外の者が報酬目的で法律事務の取り扱いや周旋を業とすることは,弁護士法違反の立派な犯罪なんです(2年以下の懲役又は300万円以下の罰金)。法律家でもないのに,法律問題の相談を受けてたくさんの事件を解決している専門家って,それ……。

 

世界と日本の代表的ニュースをバランス良く取り混ぜて,2~3倍速でひたすら短く紹介していくような報道番組って,どなたかご存じありませんか? 

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2014年

6月

10日

また,はじめよう。

最近,また読書をはじめました。

 

小さい頃から本は好きでしたが,思い返すと,小説を貪るように読み耽っていたのは,せいぜい中学・高校の頃まで。

特にここ最近の数年間は,自分の楽しみのために本を開くということが,ほとんどなくなっていたことに気づいたのです。

「好きなはずのことをしなくなっているのは,自分の中の大切な何かを失いかけているからでは!?」と,妙な危機感を持ち,努めてまた読書をするようになりました。

 

長いこと「積ん読」していた本や,昔読んでおもしろかった本を段ボール箱から引っ張り出し,しばらく忘れていた楽しい時間を本と共に過ごしています。図書館もまた利用するようになりました。

 

洋書も読みはじめています。

童心に帰って易しい絵本から順に難しい本へと洋書を次々に多読していくと,子供から大人へと英語で成長し直しているような気分で,意外なくらいのおもしろさです。

 

詩集などは,声に出して朗読するのもまた優雅なもの。

小さい頃から何度も読み返している私のお気に入りは,大手拓次の詩集です。

 

少年時代の自分は,興味の赴くまま新しいことを次々にはじめて,ひたすら世界を広げようとしていました。

いつのまにかやめてしまった好きなことを,ふと思い出してまたはじめてみると,やっぱり楽しいんですね。

 

本当は,ほかにも「また,はじめたい」ことがた~くさんあるのですが,それはまた今度のお話。

 

(『事務所ニュース 2008年2月号』より) 

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2014年

7月

06日

聖天さまと大黒さま

雨に濡れる白紫陽花(あじさい寺)
あじさい寺(能護寺)の白紫陽花

埼玉県熊谷市に妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)という密教寺院があります。創立は1179年に遡り,御本尊は大聖歓喜天。妻沼聖天は日本三大聖天のひとつだと言われています。

もっとも,日本三大なんとかを一体誰が決めるのかという大問題がありまして,3番目を名乗るところはいくつもあるようですが……。

 

その御本殿・歓喜院聖天堂が,平成15年から8年がかりで修復され,平成24年7月,国宝に指定されました。

本殿の彫刻は,造形・彩色ともに極めて美しく,日光東照宮に勝るとも劣らないことから,埼玉(小)日光とも称されています。

 

というわけで,去年の国宝指定からずっと気になって仕方がなかったので,この週末に参拝してきました。

 

あいにくの雨模様でしたが,確かに素晴らしい彫刻でした。中でも有名な,布袋さまと恵比寿さまが楽しそうに碁を打っている場面があるのですが,その横では,杯片手に大黒さま(大黒天)が見守っていました。

 

御本尊の大聖歓喜天は,もともとインドの象頭の神ガネーシャです。一方,大黒天はインドの破壊神シヴァのこと。そして,ガネーシャはシヴァの息子なのです。毎日人間たちから願掛けされる福運厄除縁結びの仕事を全部息子に丸投げして,お父さまは気楽にお友達と囲碁遊び中,といったところでしょうか。

 

ちなみに,ガネーシャの頭が象なのは,シヴァが怒りにまかせて息子の頭を切り落としてしまい,それを妻に怒られたため,代わりに象の頭をくっつけたからです。とんでもないDV親父だこと。

 

聖天山の近くには,「あじさい寺」として名高い能護寺もあります。

敷地いっぱいに咲き乱れた紫陽花の彩りが,むしろ雨の中にこそ引き立っていました。 

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2014年

8月

05日

女子小学生と世界平和について議論してみた

埼玉弁護士会の夏休み企画で,毎年,小中学生を対象としたサマースクールを開講しています。以前から所属している「人権のための法教育委員会」の活動ですので,私も企画や準備のお手伝いから当日の講師役まで引き受けます。今年は7月31日,さいたま市内の30名弱の小学校5,6年生たちが参加してくれました。

 

この講座では,子どもたち4~5名のグループをその場で作って,そこに弁護士が1名か2名参加して,一緒に1時間くらいの討論をします。私が参加したグループは,たまたま女の子ばかりでした。

そのグループの話し合いテーマは,
「どうやったら戦争はなくなるのか。どうしたら平和になるのか。」
です。

 

そんな難しいテーマで小学生が弁護士と討論できるのか?

 

……それが,できるんです。それも,結構いけるんです。私は別にM属性ではありませんが,やり込められて思わず嬉しくなることもあります。こんな感じです。

 

 吉 岡:「みんなは,どこか嫌いな国ってあるの?」

 Aさん:「中国と韓国。国旗を燃やすとか,あり得ない。」

 Bさん:「私は中国。無理やり領土を取ろうとしてるし…。」

 吉 岡:「じゃあ,今ここに日本語の話せる中国人と韓国人の小学生の女の子たちがいたら,話すのも嫌? すぐ喧嘩になると思う?」

 Aさん:「喧嘩はしなーい。超~話したい。」

 Cさん:「絶対仲良くなれるよね。わたし,自信ある!」

 小学生一同:「うん,うん」

 吉 岡:「子どものみんなは仲良くできるのに,どうして大人はできないんだろう?」

 Dさん:「だ~か~ら~,大人はすぐ欲をかくからダメなんだよ。立場とか建前とかばっかりで,喧嘩みたいな議論するから,ちゃんとした話合いができなくて仲良くなれないんじゃん。」

 吉 岡:「おっしゃるとおりで……」

 Aさん:「それに,お金が絡むしね。」

 Bさん:「お金もそうだけど,土地(領土)でしょー。」

 吉 岡:「(ちょっと意地悪して)でもさぁ,Bちゃんは領土のことで中国が嫌いなんでしょ。なんで中国の小学生とは仲良くできるわけぇ? おかしくなぁぃ?」

 Bさん:「それ,関係ないし(ぴしゃりと)。領土のことは,戦争じゃなくて裁判みたいので決めたらいいんじゃない?」

 吉 岡:「……(小声で)参りました。」

 

この続きでは,国や私人間の紛争について当事者以外の第三者を介して話し合うことの意義を討論し,ちょっと背伸びして,私から国際司法裁判所の話などもしています。

 

皆さんも,弁護士とこんな楽しい議論をしてみませんか?

子ども向けだけなく,大人向けの出張講座やお茶会などのお呼ばれも歓迎していますので,ご予算は気にせず,是非お気軽にお問い合わせください。 

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2014年

9月

20日

ろくなもんじゃねぇ

弁護士仲間で飲むことはよくありますし,日弁連の委員会やシンポジウムの後には,全国から集まった猛者たちが飲み会をすることもあります。

弁護士同士の飲み会って,堅苦しくて,つまらなくて,ろくなもんじゃないイメージじゃないですか?

議論好きな人が多いですから,なんでも議論しますね。あと,表に出ます。

 

「東京来ると,蚊に噛まれんの怖いわ。」

「代々木公園そんな広くないでしょ。ていうか,蚊に噛まれないでしょ。刺されるんでしょ。」

「いや,蚊は喰われるじゃないんですか?」

「いやいやいやいや,『刺される』でしょ。裁判員裁判の時代だからね,市民の常識で判断しましょうよ。国民の大多数が『刺される』だって。民主主義的正当性あるよ。」

「データも示さんで大多数とか正当とか,説得力ないわ~。あんなもん,噛んどるに決まっとる。」

「蚊に歯,ないでしょ?。噛めないよ。針を刺すんだよ。」

「針みたいな口しとるだけやろ。ちゃんと口で噛んどるよ。」

「違いますよ。議論が蚊に関する本質を見失ってます。蚊は血を吸うのが本来の目的なんですよ。刺すのも噛むのも,血を飲むためでしょ。だから,食事を意味する『喰う』が一番本質を捉えてるんですよ。喰われるんです。」

「あほか。人間が蚊の立場で本質語ってどうすんじゃ。血を飲まれるのなんか人間の立場からしたら大した問題じゃない。噛まれて痒くなるのが問題なんじゃ。んで,あれは吸う前に麻酔の毒入れてるから痒くなるんじゃ。刺されても,血飲まれても,痒くならんのじゃ。噛みついて最初に毒入れてるから痒くなるんじゃ。だから,『噛む』」。

「噛むという文言で毒を入れる状態を表現しているというのは,文理解釈の域を超えてますね。解釈論としてあり得ないです。」

「なんじゃあ,われぇ。表へ出ろ!」

「あ,ケンカね。じゃあ私,怪我が大きかった方の損害賠償請求の代理人やります。」

「そしたら,俺は後から手を出した方の代理人やる。正当防衛ね。勝ったな。」

「それ,汚ねー。」

「何が汚い? 事案の筋を読めない奴が無能なだけだよ。」

「……ちょっと表へ出ますか?」

「おー。やるか!」

「わしはどっちの代理人でも先に依頼された方をやるで。そのかわり着手金1000な。」

「守銭奴だ,この人。」

「1000円か? 安い弁護士じゃの。」

「あ~ん,こらぁ。まとめて表出んか!」

 

……この後の出来事を関係者から聴取すると,「血を見た」「歴史的惨劇が起こった」「このシンポの存在は日弁連公式記録から抹消された」などという一部本人たちの供述と,「おっさんたちが一同で馬鹿笑いしていただけ」という目撃証人の供述に分かれました。真実は不明です。

というより,果たしてこんな話が本当にあったのか,なかったのか,うーん,どうやら私も記憶が定かではないようです。

 

まぁ,実際,ろくなもんじゃないですね。 

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2014年

12月

15日

アルコール検査もミルクカクテルで

今年も忘年会のシーズンになりました。

弁護士仲間の飲み会はもちろんのこと,顧問先や依頼者の方にお呼ばれすることもあり,毎年この時期はお酒の席が続きます。


私自身は,あまりお酒が得意でない,というかお酒の味が苦手で,ビールや日本酒,焼酎など,まったく飲めません。ただ,根っから甘い物好きのせいか,梅酒や甘いカクテルなら割と飲めるというお子様ぶり。いつも皆様にご迷惑をおかけしております。


以前,あるお店での飲み会で,私が,

「カルアミルク」

「ゴディバミルク」

「マリブミルク」

「抹茶ミルク」

「イチゴミルク」

と,ミルク系のカクテルばかり続けて頼んでいたら,抹茶ミルクのあたりから店員の女の子がちょっと笑いはじめ,イチゴミルクでついに声を出して笑うようになり,ラストオーダーでデザートに「白玉あんみつ」と「チョコバナナパフェ」を頼んだら大爆笑されました。

……だってメニューにあるじゃんよ。


もちろん,デザートは私1人で全部食べました。



ところで,お酒を飲む機会が増えるこの時期,特に気をつけたいのが飲酒運転です。


私は,司法試験合格後の検察修習中に,飲酒検知の実験をしたことがあります。

実験と言っても,要するに,真っ昼間からお酒をガバガバ飲んで呼気検査をするだけなのですが。

それでも,実際に警察が使うアルコール検知器を使いながら,自分の酔いの程度と機器の数値を身をもって体験できるのですから,とても意義深い研修でした。

実は,このときの経験を通じて私は,呼気の測定の際,あることに注意するかどうかで呼気中アルコール濃度の数値が上がったり下がったりすることに気付きました。

これを知っていると,同じ量のアルコールを飲んでいても,数値をやや低めに出すことができてしまいます。


どういうことかというと……おや,誰か来たようだ




うわなにをするやめ

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2014年

12月

28日

「角田理論」で,おやすみなさい。

前回(「小学生が英語を話せるとロースクールで法的思考力が身につく話」2014年12月23日),小学校での英語教育について書いていたはずなのに途中からロースクールの話になってしまったので,今回は,英語教育についての続きをもうちょっとだけ。


そもそも語学って,言語そのものを専門的な研究対象とするのでない限り,つまるところ「表現の手段」ですよね。それは,英語でも日本語でも同じです。

また,表現手段を超えて,さらに「思考の道具」として使うためには,かなりの習熟が必要です。脳の中に当該言語による思考回路が出来上がっている必要があります。


普通の小学生だと,まだ国語(日本語)に習熟していませんから,日本人として日本語で思考して,日本語で自分の意思を表現する力が不十分です。どんなに道具の数をそろえたって,空っぽの器からは何も出てきません。


言語の習得において幼少期の経験が役に立つこと自体は,おそらく正しいでしょう。

しかし,公教育においては,まず最初に日本語を母語とした基礎的思考力と表現力を身につけてもらうべきです。これと複数言語の習得を同時に行おうとするなら,そのための特別な生活(家庭)環境と教育的配慮が必須だと思います。

親も周囲も英語を全く話さないのに,小学校で週に数回の授業を行えば英語ペラペラになるなんて,あり得ません。むしろ,英語のために減らした基礎科目の学習量の少なさが,将来の大きな痛手になるはずです。

幼少期の柔軟性に期待をかけるのなら,英語(米語)の習得などと無理を言わず,広く世界中の様々な国や地域の言語・文化に触れる機会を,できるだけたくさん作るといいのではないでしょうか。



ところで,言語と脳の関係では,「角田理論」という興味深い学説があります。

誤解をおそれずに要約すると,世界のほとんどの民族は,言語を左脳,情動を右脳で別々に処理している。合理的思考と感情は,人の脳の働きからして別物なのです。しかし,母音に大きな特徴のある「日本語」を母語として育つと,論理と情動の両方を言語脳(左脳)だけで処理するようになる。その結果,日本においては,論理と情動がミックスされた曖昧で繊細な独自の「日本文化」が形成されたというのです。


だとすれば,幼少期に日本語以外の言語をごちゃ混ぜに詰め込むことは,日本の伝統文化の破壊につながるのかもしれません。

我々が英語を苦手にしているのも,日本人の特殊な脳構造のせいなのでしょうか。


この角田理論から逆に考えると,日本人は他の民族と比較して右脳をあまり使っていないことになります。で,今,思いつきました。

頭の右側を下にして寝転びながら勉強すれば,使っていない右脳に重力で血流が集まって活性化するはず。しかも,右脳につながる左手でテキストを持てば鬼に金棒。これで語学の習得が一気に加速するに違いありません。

よし,これを吉岡理論と名付けよう。


そういえば,お釈迦様も亡くなられるときは,右側を下にして横たわって涅槃に入られたと言います。うん。なんかすごい御利益がありそうじゃないですか。

お釈迦様はインド人だから日本人の脳構造とか全然関係ないけど,吉岡理論は細かいことを気にしないのです。


そうそう,どうせ寝っ転がるんだから,ついでに睡眠学習効果も併用しちゃいましょう。これで朝起きたら英語がペラペラになっているはずです。

素晴らしい。


というわけで,皆様今夜も,おやすみなさい。

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2015年

1月

31日

次の旅は何処へ

先日,近しい人を亡くしました。

いずれ遠からずと覚悟していたことでしたが,それでも別れの痛みは心に刺さります。


 

彼から,とてもたくさんのものをもらいました。

彼の死は,さらに多くのことを教えてくれました。

 

もはや伝えられない感謝と,取り戻せない日々への後悔。

ふと立ち止まる一瞬の時間に,現実感を奪われそうになります。

 

弁護士として多忙を極める中,翌日からすぐに仕事に没頭できたことは幸運でもありました。


 

苦しみばかりの病院の検査で,「体の中に(人工関節などの)金属がありますか?」と聞かれて,「男なんだから,あるに決まってるだろう。」と股間を見て,看護婦さんを困らせた人。


ケンカをすると,「ほっといてくれ。」「しょうがねえだろ。」「いいんだよ。」しか言わなかった人。

でも日記には,「ありがたい。」「迷惑をかけたくない。」と書き残していた人。


 

日記の最後の行には,静かに死を受け止める彼の豊かな感性が輝いていました。


 

 

「又 違う景色が見られるかな…。」

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2015年

3月

30日

音のない言葉で心を伝えたい

わたしがまだ小さかった頃(たぶん小学校1,2年生くらい),たまたま一人で見ていたテレビドラマで,耳の不自由な女性に恋をした男が必死に手話を覚えて恋心を伝えようとする話がありました。

子どもでしたが,当時すでに,手話とか聴覚障害とかいったことについての一般的な知識はありました。

ただ,身近にはろう(聾)者がいなかったので,実際に手話で意思を交わすシーンをドラマの中で見たことが,とても印象的でした。


世の中には耳の聞こえない人たちがたくさんいるということ,

そういう人たちは耳が聞こえないためにいつも大変な苦労をしているということ,

耳の聞こえない人は手の動きで会話をするということ,

何より,その人が耳の聞こえない人かどうか見た目では分からないということ,

そのすべてに,子どもながら,ある種の衝撃を受けました。


そのドラマがすごく心に残り,後日,父にねだって本屋で手話の学習書を買ってもらったのを,よく覚えています。

その本が,私にとって最初の語学テキストになり,その後も長く私の本棚に並び続けることになりました。


今もあのときのドラマのいくつかのシーンを,はっきり覚えています。

なんであんなに心に響いたのだろう?



 

……と,深く考えるまでもなく,ヒロインの女性がすごく綺麗だったからに決まってるんですけど。

不純な動機で始めた手話は,ませガキが独学するにはちょっと難しくて,ほとんど覚えられませんでした。



そんな私ですが,手話には「日本手話」と「日本語対応手話」があることをきちんと理解したのは,比較的最近のことです。


手話についてよく知らない方がイメージするのは,おそらく「日本語対応手話」だと思います。

日本語の単語をそのまま手話に置き換えたものと考えてください。その意味で,日本語対応手話は本来の意味の手話(言語)ではなく,日本語の表現方法のひとつにすぎません。

日本語対応手話は,(生来の)ろう者ではなく,中途失聴者や難聴の方々,あるいはそれらの人と意思疎通しようとする健聴者にとって,覚えやすくて便利です。

日本の公立聾学校でも,ほとんどの場合,日本語対応手話が使われているようです。

私が読んでいたテキストも,日本語対応手話でした。


しかし,ろう者は日本語を学習してから手話を覚えるのではありません。それは不可能です。

幼児期までに,音声以外の言語によって思考と意思疎通の能力を獲得したうえで,はじめて音声言語としての日本語も学習可能になります。(それは,健聴者への幼年期英語教育の問題と同じです。まずは第一言語の習得が重要なのです。)

日本のろう者の第一言語は,日本語ではなく「日本手話」です。

日本手話と日本語は,語順や文法もまったく違う,別の言語だそうです。

むしろ,日本手話という独自の言語を(第一言語として)使う方々が,ろう者なのだと知りました。


ろう者は,夢も日本手話で見ると言います。

ろう者への公教育で第一言語である日本手話を使わないのは,明らかにおかしいと思います。

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2015年

4月

17日

弁護士恋愛講座(1) 歩き方に御注意を!

男女の相性を誰でも正確に判断する方法があったらいいな,と思いますよね?


私の場合,弁護士という職業柄,もしそういう便利な方法があれば離婚やDVなどの無益な男女問題を減らせるのになぁなどと,世の中のために常に必死で考え続けているわけです。

決して自分のためとかではありませんよ。いや,そんな,まさか。


えー,そして,長年の経験と観察と研究を積み重ねた結果,男女の相性を決定づける特徴的な要因を発見しました。



実は,末永く仲の良い夫婦や心の通じ合っているカップルは,


ごく自然に,歩く速さが似ている


のです。



あれ? 割とつまらないですか?


確かに,早足の人はせっかちさん,ゆっくり歩く人はおっとりタイプ……,そんな程度の話では,当たり前すぎて誰も気にしないかもしれません。

ですが,これにはもう少し深い意味があります。

歩く速さ(歩き方)は,その人の性格や健康状態,何より「人生に対する態度」「生きることへの向き合い方」を象徴しているからです。



ごく簡単に言って,早足同士,ゆっくり同士の似た者タイプは,短期的に恋愛感情が燃え上がることは多くありません。似ているタイプの場合,自分にとって刺激が少ない相手ですから,最初はむしろ恋愛対象外であることが多いのです。

しかし,もともと人生の歩み方が似ている二人ですから,一度何かのきっかけで距離を縮めると,一緒に(人生を)歩くことがとても楽に感じる関係を築けます。生き方の波長が合いやすいということです。その結果,自然と,深く長い付き合いになっていきます。

結婚はもちろん,友人の延長のような,ほかほかとした恋愛関係に向いています。


これに対して,早足とゆっくりの差が顕著なほど,タイプの違う相手から強い刺激を感じやすく,急激に惹かれてしまうことがあります。いわゆる大恋愛をしやすいです。

けれども,もともと生き方の違う二人が長く一緒に過ごそうとすれば,どちらかが,あるいは,お互いに生きるペースを相手に合わせるための努力が必要です。

ちょっとした好き嫌いの違いに目をつぶるのと違って,本質的な人生との向き合い方が違うのですから,ずっと一緒に生きようとしたら結構大変です。

最初から分かっていればいいのですが,後になって相手と自分との生き方の違いに気付くと,一気に恋から醒めてしまうことも多いようです。

不倫に代表されるような,危険で秘密な火傷する恋に向く関係でしょう。

ただ,もし既に結婚しているなら,離婚には十分気をつけてください。



……これ,本気で役に立ちますってば。



もっとも,歩く速さで異性に惚れる人なんていませんから,これだけだと,惚れた後の相性診断の話で終わりです。

ところがこれは,今まで自分が好きになった相手と自分の歩く速さの違いを思い出してみることで,自分の恋愛タイプも分かるんです。


歩くスピードの違う人にばかり惚れていたなら,あなたは情熱的な恋愛を求める人。あなた自身が,熱しやすく冷めやすいタイプでもあります。そろそろ新しい出会いが必要かもしれません。


同じ速度で歩く人に自然と惹かれていたようなら,あなたはきっと家庭的な愛情を求めています。そんなあなたに合う人は,気付きにくいかもしれませんが,きっともう,すぐ近くにいるはずです。



……やっぱりこれ,結構すごくないですか?


調子に乗って,不定期連続講座の第1回目っぽいお題にしてしまいました。

そのうちまた,世の中のためになりそうな恋愛法則を発見したらご紹介しようと思います。


繰り返しますが,私はあくまでも世の中の困難な男女問題に立ち向かうことで社会正義を実現しようという弁護士法1条の崇高な目的のために研究しているだけですので,なんかの下心とかは一切ございませんので,どうぞ誤解の無きようにお願いいたします。

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2015年

6月

02日

県庁の花

私の職場である浦和法律事務所は,さいたま市浦和区のど真ん中,JR浦和駅と埼玉県庁(さいたま地方裁判所)のちょうど中間地点,いわゆる県庁通り沿いにあります。


埼玉県庁には,花時計や桜の大樹があり,特に桜の季節は一面がピンク色に染まるような綺麗さです。

ただ,桜はすぐに散ってしまうので(それがいいのですが),ちょっとだけ物足りなく思っていました。


すると,数年前に県庁の裏手が緑化工事されることになり,今はイワダレソウ(岩垂草)などの緑や花が一面に広がっています。柔らかい小径と日当たりの良いベンチがあって,散歩やひなたぼっこに最高の場所になりました。

……と言っても,見ながら通り過ぎているだけで,一度もベンチに座ったことがないんですけど。


このイワダレソウは何故か一度すっかり枯れて,見る影もない根腐れ状態になったことがあり,これはもうダメじゃなかろうかと思ったのですが,その後,完全に復活しちゃいました。

 

今はこのとおりです。

埼玉県庁裏手の岩垂草
県庁に咲く花:イワダレソウ

いやぁ,いいですよね~。



しかし,大規模な緑化工事をしている時は,険しい顔つきで工事現場を眺めながら,

「無駄な税金を使いやがって! こんなもん,誰が頼んで,誰が喜ぶんじゃ。」

「緑化工事? ほっとけば雑草が生えて勝手に緑化するわ,ボケ!!」

などと散々悪態をついていた心の狭い男が,今では微笑みを浮かべてイワダレソウを眺めながら,

「いやぁ,いいですよね~。」

とか言っちゃって,いい気持ちになって歩いているんですから,緑と花の力はすごいっス。



そういえば昔,「県庁の星」という映画があって,織田裕二と柴咲コウがいい味を出していましたが,埼玉県庁には星のように輝く人がどのくらいいるでしょうか。

星にまでなれなくても,せめて県庁の裏手に咲く花のように,市民の心を癒やすお手伝いを心がけてほしいものです。


ちなみに,埼玉県の花はイワダレソウではなく,サクラソウですが。

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2015年

7月

30日

大切なものは何?

3つの言葉を,人が大切だと思っている順番で表現してみる……(by Hu MacLeod)。


すると,こうなるみたいです。


 love you.



ま,これが普通の人なんですよね。




この話を聞いて,考えました。

もし,


 Love you.


だったら?



……きっと愛にあふれた聖人,仏様のような人でしょう。

いつかそうなりたいと,心から思います。




じゃあ,


I love You.


だったら?



これだときっと,ストーカーですね。



……と言おうかと思ったけど,真実のストーカー心理って,実際はこうなんです。



 love you.


そのことに自分では気付かないとき,人はストーカーになります。

これはDVも同じです。


もちろん,広い意味での心理作用は,犯罪をしてしまう人って,みんなそういう状態だと言えます。

ただ,ストーカーやDVの場合は,恋愛対象であったはずの特定の相手(You)がいるので,あたかも自分は相手のことを想っているかのように錯覚しやすい,という特徴があるんですね。


感情をクルッと裏返しにするだけで,人は聖人にも犯罪者にもなります。




この話の元ネタ(一番上の「I love you.」)を書いたのは,ヒュー・マクラウドというイラストレーター兼マーケッター兼いろいろやってる人。

ある日,ニューヨークのバーで飲みながら暇つぶしにあることをし始めた結果,信じられないような大成功を収めた人です。


あることって何でしょう?



名刺をクルッと裏返しにして,そこに思いつくままの落書きをし続けたのです。

ただそれだけ……。



あなたも,思い切って自分の何かをクルッと裏返してみると,もしかしたら人生が変わるかもしれませんよ。

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2015年

8月

07日

大人の昔話(1) ~兎と亀~

有名な「ウサギとカメ」の昔話をご存じですよね。

「もしもしカメよ,カメさんよ」の童話イメージが強くて,つい日本の昔話のように思えますが,もともとは「イソップ物語」の輸入品です。


『歩みののろさを兎から馬鹿にされた亀は,競走での勝負を挑みます。

やはり兎は圧倒的に速く,余裕をかまして途中で昼寝。

兎が寝過ごす間に,亀はゆっくりと着実に進み続け,遂には先にゴールして勝利!』

という物語ですね。


では,この話の主役は誰だと思いますか?


昔は,ウサギだったようです。

明治時代の国語の教科書には,ズバリ「油断大敵」という題名で,このウサギとカメの物語が載っていました。自信過剰や油断を戒める教訓を読み取るわけです。


しかし,最近では,どちらかというとカメが主役とされています。

真面目にコツコツと頑張る人が最後には勝つというようなメッセージを受け取るんですね。



私は,いずれの解釈も間違いだと思います。


もし,ウサギを主人公だと考えるなら,油断以前の問題です。

だって,ちょっと冷静に考えてください。こいつ(ウサギ)は,人格(ウサギ格)がゆがんでいますよ。

ウサギは,意味も無くカメを誹謗中傷してわざと逆上させ,前後の見境のなくなったカメが苦し紛れに勝てるはずのない勝負を挑んで来たとみるや,そのくだらない勝負に嬉々として応じています。これは,勝って当然の勝負に勝ち,カメの「のろまさ」を公衆の面前で暴き立て,ここぞとばかりにカメを思いっきり馬鹿にしてやろうという企てです。カメに対して,計画的に徹底した精神的追い込みをかける「イジメ」そのもののやり口です。

この話から,「ウサギは油断さえしなければ勝てて万歳だったね」なんていう教訓を読み取る人は,どうかしてるんじゃないでしょうか。


また,もしカメを主人公だと考えるなら,カメはただのアホです。

だってそうでしょう。カメが挑んだ勝負に,客観的な勝ち目がありましたか?

いいえ。勝てるわけがありません。

カメは利口で,ウサギがきっと油断するに違いないとプロファイリングで読んでいたのでしょうか?

いいえ。ウサギが油断しても,それだけではカメは勝てません。

たとえ昼寝をしても,それでもカメが勝てるとは限りません。

ウサギが「たまたま寝過ごしてしまった」から,カメは偶然に勝てたんです。

カメは,ウサギが油断することまではプロファイリングできても,昼寝してしまうとか寝過ごしてしまうかどうかなんて,まったくのウサギ次第。カメにはコントロールできない事情です。

カメは,怒りにまかせて勝てる見込みのない勝負を挑み,たまたま勝ってしまっただけなのです。

勝てるはずのない勝負を挑んでも真面目に頑張ればきっと勝つに違いないなんて,そんな大嘘を教え込んじゃいけませんね。



では,カメはどうすればよかったのでしょうか?






カメはウサギに対して,水泳(潜水)で勝負を挑むべきでした。


 

これは,特に中小企業のビジネス戦略における極めて重要なヒントを含んでいます。

敵を知り,己を知る。自分の強みを活かし,敵の弱い(いない)ところで勝負する。

それができれば,必ず小よく大を制するでしょう。



ただし,カメがウサギに一服盛ったという可能性も,私としては捨てきれないところです。

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2015年

8月

31日

大人の昔話(2) ~蟻と蟋蟀~

アリとキリギリスのお話をご存じですか?

知っている? 本当に?


夏の間,アリが必死に働いているときに,自分は歌って遊んでばかりいたキリギリスが,冬になって食べ物がなくなり,アリに助けを求める話ですね。


では,その後は?



日本では,ほとんどの場合,キリギリスを哀れんだアリが食料を分けてあげて,施しを受けたキリギリスも改心し「これからは,きちんと働くぞ」と心に決める,という良い話になっています。

わかりやすいですね。


しかし,イソップ物語の原作では,アリはキリギリスを助けません。


「夏には歌っていたんだから,冬には踊ればいいさ。」


アリは,なかなかに非情なのです。


もちろん,アリにとって,死んだキリギリスは素晴らしい「餌」であることを忘れてはいけません。

アリの最後のセリフは,じゅるじゅると涎を垂らしながら言ったものなのです。

そのため,アリとキリギリスの話を,倹約家の冷酷さを揶揄する寓話と読む人もいます。


ただし,そもそもイソップ物語のギリシャ語原典に,キリギリスは出てきません。

元々は「アリとセミ」の話なのです。

物語がヨーロッパ北部に広がっていく過程で,熱帯・亜熱帯に生息するの昆虫である「蝉」が「キリギリス」に置き換わったのではないかなどと言われていますが,本当のところは分かりません。


セミだとしても,話の筋は,あまり変わらないようにも思えます。

実際,原典では,セミとキリギリスの違いなんて関係なさそうな感じです。


しかし,ちょっと見方を変えると,「セミ」は,今までとはまったく違う大人の哀愁を漂わせることになります。




一般に,セミは短命と言われますが,それは地上に出てからの話。

幼虫時代は数年から十数年にもなり,昆虫の中でも,むしろ長生きなほうです。

なんで長生きできるかというと,とにかく天敵を避けて地下に潜り,木の根っこにしがみついて,ひたすら栄養の少ない樹液だけを少しずつ少しずつ吸いながら,寒い冬を何度も耐えて生き延びるからです。

言っとくけど,これ,よっぽどアリより凄いよ。


しかも,そうして生き延びた先に待っているのは,わずかな夏の,昼夜を問わぬ大合唱と乱交パーティー。

ひたすら交尾に命をかけるその意気込みたるや,セミ,お前ら本当に凄いよ。



アリとセミの物語は,本懐を遂げたセミが,弱り切ってアリに食べ物を乞う場面です。

……このときセミは,自分が死ぬであろうこと,そして,いずれアリの餌になるであろうことを,確実に知っていたはずなのです。


それでもセミは言います。


「俺はすべてに耐えて生きた。この夏のためだけに。そして,夏を歌い切った。やるべきことはすべてやった。もう思い残すことは何もない。……けど,ちょっと疲れたよ。腹が減っちまったのかな。体が動かねぇや。……アリよ,最後に一服だけ分けてくれないか?」


一瞬の輝きのために幾度もの冬に耐え抜き,たった一輪のバラを咲かせ,静かに散っていくセミの生き方。死を覚悟してなお格好を付ける,ハードボイルドな複眼。

大人として,結構,美しいじゃないですか。




ちなみに,どうやら野生のセミは,羽化した時期が秋に近ければ1か月くらい生きるらしいです。

ただ,真夏に羽化したセミは,割と早く死んでしまいます。

なぜなら……



セミは暑いのが苦手だから。


そのアホっぷりが,またどうにも憎めないヤツなのです。

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2015年

10月

05日

風水を極める

榛名神社(群馬県高崎市)に行ってきました。

これで何度目かのお参りになります。


歴史上の確実な初出は延喜式神名帳(927年)ですが,第31代用明天皇(585~587)の時代には既に創建されていたとも言われます。最近では関東屈指のパワースポットとして有名です。


パワースポットなどという根拠不明の軽薄な横文字は本当のところあまり好きじゃないのですが,そのほうが伝わりやすい時代なので,仕方ないですね。


古い表現で言うと,風水上の龍穴(天地の気が集中する場所)に位置すると思われ,神域に求められる様々な条件を満たした神社です。細く長い参道に滝や巨岩などの見所も多く,厳かというよりは,むしろ柔らかい空気感のある素敵な場所だと思います。

双龍門から榛名神社に参拝
双龍門と鉾岩(榛名神社)

ところで,皆さんは「風水」について,どのくらいご存じでしょうか。

よく知られているのは,西に黄色を置くと金運がアップする,とかのアレですね。


そういった日本のグッズ商法に伴う風水の知識がまったくの嘘とは言いませんが,本来の風水の姿とは,かけ離れたものです。賢い消費者は騙されてはいけません!


風水の別名は「地理(地理風水)」。これと対になる言葉(分野)は「天文」です。


歴史上の出発点を正確に述べることは誰にもできませんが,さかのぼれる限りで見た風水と天文は,古代人が地上(地球)と天体(宇宙)を詳細に観察することによって発展させた学問であって,国家経営の指針そのもの(今で言う「占い」)でした。


風水が国家によって都市計画のために使われると,それは都の選定と築営の基礎知識となりました。

風水による都市計画は,古代の中国王朝や日本の平城京・平安京などの都に用いられ,さらには江戸を引き継ぐ現代の東京も,明らかに風水によって守られています。

さらに,風水が権力者一族(個人)の繁栄のために使われるようになると,それは城(屋敷)や墓所の設計図となりました。

こうして,主に家に使われるために進化した風水が陽宅風水,墓所に使われるために発展した風水が陰宅風水です。

日本で流行っている風水グッズは,この陽宅風水の上澄みを集めて作られた,言わば「風水おもちゃによる箱庭療法」みたいなものです。



真の風水は,天文や符呪,仙道,道教の教えと複雑に絡み合い,今も様々な流派に別れながら密かに伝承されています。

中でも,ある一派では,道士となるための全伝を求める弟子に対して,師が,

「孤(孤独)」

「夭(夭逝・短命)」

「貧(貧困)」

のいずれかを選ばせます。

弟子は,深遠な智慧と強大な力を得る代わりに,いずれかの一生涯の毒(呪い)を引き受けるのです。


あなたなら,どれを選びますか?




まだ若かった私は,三日三晩,激しく悩んだ末に……3つのどれも怖くて選ぶことができず,泣く泣く道士となることを諦めました。

そして,紆余曲折の末,なぜか弁護士になったのです。



そんな私は今,家の中のあちこちに何やら小さくて派手な色のかわいらしい飾りが年々増殖していくので大変困っています。

だって,とりあえず金運と恋愛運と健康運グッズは外せないじゃないですか。あと……。


いや,もうこれは消費者被害だな。効果無いし。いつか訴えてやるっ。

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2015年

10月

31日

京都でDNAと舞妓さんを研究

久しぶりに京都への出張がありました。


日弁連法務研究財団の研究の一環として龍谷大学で行われる法科学研究会に出席し,DNA鑑定について勉強してきました。


で,難しいことはおいといて,京都と言えば舞妓さんなわけです。


綺麗ですよね~。可愛いですよね~。





……たぶん。

いや,だって舞妓さんの素顔って,ほとんどわかんないじゃないですか。


女性の着物姿は,それだけでもう300%くらい素敵になるわけですけど,舞妓さんの場合,そういうのとはちょっと違うと思うんです。

しつこいですけど,素顔はほとんどわからないんで。

すっごく近くでまじまじと顔を見たらわかるのかもしれませんけど,まあ普通はそういうことはできなくて,なんとなくの雰囲気に初めから負けているわけです。(何の勝負をしているのだろうか?)


つまり,舞妓さんというのは,お化粧やお着物に立ち振る舞い,それと鈴の鳴るような声で話される独特の言い回しが,全体としてとても美しいわけで,素顔はそうでもない……じゃなくて,どうでも良い……いや違う,そう,言わば「謎を秘めている」わけです。



と,そんなふうに夢を失い,ひどく冷めた思いを抱いていたときが,私にもありました。



しかし!


彼女は違った!!

京都の舞妓さん……かもしれない美女?
京都の美しい舞妓さんです!?

美しいというのはこういうことなのでしょうか。

写真では十分に伝わらないと思いますが,ホントに綺麗でした。

これもDNAの問題なのでしょうか。


思わず,ほしくなりました。

「いくらですか」と聞きたくなりました。




誤解しないでください。

この表現で何も問題ないのです。


なぜなら,彼女には,美しい素顔とは別の謎と秘密があるから……。






彼女は,ロボット(というか人形)なんです。

英語で話しかけると,英語で天気予報を教えてくれます。


う~ん,残念。

本物の舞妓さんだと,やっぱりアップでこういうわけには……おっと,そこまでだ!

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2015年

11月

23日

テロかゲリラかゲレツか

今日,11月23日午前10時ころ,靖国神社の男性用公衆トイレの個室に爆発物が仕掛けられ,爆発があったとのことです。天井に穴が空いていたとか。

ちょうど新嘗祭のはじまる時刻でもあり,連休中で家族連れなど人出も多く,賑わっていた時でした。


靖国という場所柄,犯人像については,言わずもがな日本国民の多くが同じ想像をするでしょう。


そのことがとても残念だし,また,とても怖いことだと感じます。




私たちは普段,通り魔的な事件を見聞きする度に,「防止する方法がないから怖いよね」といった話をします。マスコミの論調もそうです。


けれども,何か事件があったときに国民の誰もが「同じ想像」をしてしまう状況こそ,実は,通り魔なんかよりも,ずっと怖いことなのではないでしょうか。



フランスのテロ事件を機に,今,ヨーロッパを中心とした諸国で無差別テロへの恐怖が高まっています。

日本は欧米を支援して実質的にイスラム国と戦闘している状態にあるのですから,日本で同様の恐怖感が高まっていないことのほうが不思議です。

テロと戦う国になるということは,そういうことです。


誰が犯人であれ,今回の靖国爆発事件を起こした者にとって,フランスのテロ事件がひとつの心理的きっかけであった可能性が極めて高いと思われます。

そういう意味で,この事件は,フランスのテロ事件と軌を一にするものと言えるでしょう。


ところが,マスコミの多くが,今回の靖国爆発事件を「ゲリラ事件」と報じています。

どうして「テロ事件」でないのでしょうか?



これはおそらく,警察発表を鵜呑みにする日本のマスコミの報道姿勢の結果です。

なぜなら,日本の警察発表では,対人攻撃をテロ,対施設攻撃をゲリラと呼んで区別することがあるからです。

今回,爆発したのが公衆トイレであって,人的被害が出ていないことから,警察はこれを「ゲリラ事件」として記者発表した可能性が高いのです。


しかし,通常の用語では,「ゲリラ」は「遊撃」の意味であり,少数で奇襲等を行う戦法・戦術(またはその部隊)を指します。なので,日本の警察用語は不適切です。

そもそも,今回の靖国爆発事件が対施設攻撃だったのか,対人攻撃であったのか,まだわからないのではないでしょうか。(時限式の発火装置が見付かっているとの報道が事実であれば,対人危害を排除していたとは言いにくいですね。)

マスコミには,もっと言葉に気を遣って,主体的で責任ある調査と報道をしてほしいと思います。




もっとも,今回の靖国での事件を「テロ」だと報道するとしたら,それはそれで馬鹿馬鹿しいように思いますね。



「ゲリラ」という表現は本来の意味が異なるので少し気になりましたが,では何と表現すべきなのか?

本当のところ難しい……というより,その区別には意味が無いと考えます。


何がテロで,何が戦争で,何が虐殺行為で,何が単なる犯罪なのか,それを誰が決めるのか,それが決まると何か違いがあるのか。



そこに,何も違いはないはずです。



「テロ」との戦いで遠距離から巡航ミサイルを大量に撃ち込んで兵士と民間人をまとめて殺す行為も,やっぱり同じ「テロ」でしょう。

それは,犯罪でもあり,戦争でもあり,虐殺でもあります。違いはありません。


個人であれ,組織であれ,国家であれ,誰がどうやっても,それは,ただただ下劣なだけの行為だと思います。

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2015年

12月

13日

地球温暖化は本当か!?

日本時間の12月13日未明に,パリで開催中のCOP21(国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)において,新たな温暖化対策の枠組み(「パリ協定」)が採択されました。


地球環境のために,各国が利害を調整して立ち向かおうと合意することは,大変素晴らしいことです。



ただ,世の中は善人の善意だけで成り立っているわけではありません。

表面的な報道だけで直感的に良し悪しを安易に決めつけてしまうことには,慎重でありたいと思います。



たとえば,地球温暖化問題にしても,温暖化の主な原因を人為排出の二酸化炭素に求める通説的見解に対して,様々な科学的批判がなされており,それに対する通説からの反論,再批判,再反論……というように,延々と繰り返されているのが現状です。

地球規模での気候変動としては,むしろ寒冷化に向かっており,ごく近い将来(たとえば2030年頃など)には氷期に入るといった説も,根強く主張されています。


つい最近も,温暖化による海面上昇の犯人だったはずの南極の氷が,減るどころか,むしろ増えていたという観測結果が発表されて話題になりました。ご存じでしょうか?



もちろん,その観測結果に対しても,陸氷と海氷の増減率の違いとか,海氷形成のシステム分析とかで専門的な議論がまだ続いており,南極の氷は増えているから温暖化は嘘だという考えも,早計なのでしょう。

しかし,私も含めて科学の専門家でない一般人の多くは,南極の氷が溶けて海面が急上昇しているという報道や報告をこれまで繰り返し聞かされていて,それこそが温暖化の証拠であり,かつ,温暖化による地球環境破壊のシンボルであると受け止めてきたはずです。

それがそもそも嘘だったとしたら,温暖化説の出発点からもう,あやしく感じてしまいますよね。



温暖化対策の枠組みは,少なくとも年間1000億ドル(約12兆円)以上というすさまじい金額を巡る国家規模の駆け引きですから,その実態は,汚染された工業廃水よりもドロドロとしたものなのかもしれません。

二酸化炭素の排出量をお金に換えるための排出権取引など,その典型です。


ただし,二酸化炭素を主原因とする地球温暖化説が本当であるとしても,あるいは,嘘や間違いであるとしても,いずれにせよ私たち人間の営みが,今この瞬間にも地球環境に対して巨大な悪影響を与えているであろうことは,否定しようのない事実だと思います。




二酸化炭素を主原因として地球温暖化が進んでいるかどうかは,本当のところ私にはよくわかりません。


けれども,二酸化炭素等の温室効果ガスを大量に排出することが環境への悪影響を招くことは,直感的に理解できます。原子力問題だって,そうです。

「何とかしなきゃ」と思うのは,ものすごく自然な善意なんだと思います。

大切なのは,私たち個々人と,その集合体である各国家が,地球環境を我が事として考え,協力していくことですよね。


……そして,もしそうだとすると,多くの人が,そもそも温暖化が本当なのかどうか科学的に議論されていることすら知らずに,「排出規制が合意できて良かったね」と手放しに喜んでいるとしたら,それで果たして環境を「我が事」として真剣に考えていることになるのかな? と,やっぱりちょっと慎重になってしまうのです。




目に見えていることが真実とは限らないし,善意が善行になるとも限りません。


それでも,もし人の善意が無ければ,世の中は決して良くならない。


この社会を支える土台や根っこの部分で,私たちひとりひとり心の中のちっぽけな「善意」が積み重なっていくことで,世の中は,必ず少しずつ良くなっていく。

それだけは,間違いないはずです。

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2016年

4月

24日

大人の昔話(3) ~一寸法師と親指姫~

「一寸法師」の物語をご存じですか?

では,「親指姫」はどうですか?

 

知っている? 本当に?

 

それならきっと,一寸法師と親指姫の出会いを想像したことがあるでしょう。

 

 

一寸法師は,御伽草紙(室町物語)にも入れられた,かなり古くから伝わる物語です。

彼は,生まれてから12,3歳まで,わずか一寸(約3センチ)の身長のままだったので一寸法師と呼ばれ,悔しさから京の都を目指し,針を麦わらの鞘に納めて腰に差し,お椀の船に乗って道頓堀から旅立ちます(大阪の法善寺横町に「一寸法師大明神」があるのは,そのせいです)。

京都三条の宰相に「面白いヤツだ」と拾われるものの,その数年後に,宰相の姫を狙った鬼に喰われてしまいます。

すると,鬼の目の中から何度も飛び出して鬼を驚かして(後世有名になった異説では,お腹の中から針で刺して鬼をやっつけたので),鬼の宝だった「打ち出の小槌」を手に入れます。

そして,打ち出の小槌を振って六尺(約182センチ)の大男になり,姫と結婚したうえ帝にも気に入られて,両親を呼び寄せて幸せに暮らすのです。

 

なんか小さいのに頑張って成功したかわいいヤツの話,みたいですね。

 

 

では,アンデルセン童話「親指姫」はどうでしょうか。

 

親指姫は,子のいない夫婦が魔女に頼んでチューリップ(のような花)の種をもらい,その花から生まれた女の子です。

ヒキガエルだのコガネムシだのに次々とさらわれて悲惨な目に遭い,ついにはモグラと結婚させられそうになるのですが,その優しさから,最後の最後で花の国の王子様と出会って幸せになります。

 

 

もしこの二人が出会っていたら,素敵な恋物語が始まったのか?

もしかして,花の国の王子様と一寸法師が親指姫をかけて決闘! なんてことになったでしょうか。

 

 

 

……いいえ,おそらく,そういう展開にはなりません。

 

 

先ほどの一寸法師のお話は,途中,省略しています。

本当の一寸法師物語は,こうです。

 

 

12,3歳のころ京に上って,体の小ささを売りにして宰相家に取り入った一寸法師は,当時まだ9~10歳の宰相の姫に惚れてしまい,いつか姫を奪おうと企みます。

そこで,一寸法師が16歳になったある日,寝ている姫の口元に神棚から盗んだ米粒をくっつけておいてから,泣きながら宰相に訴えました。

 

「私がこれまで何年も働いた給金で必死に蓄えてきた米を,姫君が全部盗み喰ってしまった。一体どうしてくれるのか。」

 

怒った宰相は姫を殺そうとしますが,一寸法師がこれを自作自演で取りなします。

そして,なんだかんだと理由を付けて姫を家から連れ出し,人気のない恐ろしい島へと拉致してしまうのです。

姫が鬼に襲われるのは,このときです。

その島は鬼の住処だったのでしょう。一寸法師は,鬼が「打ち出の小槌」を持っていることも,それを使えば自分の体を大きくできることも知っていたと考えられます。

 

つまり,一寸法師は,数年がかりで練りに練った戦略で,恋慕した姫を合法的に拉致監禁し,次いで,その姫をおとりに使って女好きの鬼をまんまと誘い出したうえ,正義の味方面で正当防衛にかこつけて家(島)から追い出し,その資産(宝)をすべて奪って,結局,狙ったあらゆるものを手に入れたのです。

 

 

なかなか,すごいヤツでしょ?

 

一寸法師とは,大きな肉体的ハンデを持って生まれた者が,サイズに似合わぬ野心と知略と度胸で女と富と地位をすべて手に入れる立身出世物語なのです。

 

 

そのためもあってか,一寸法師は,母親のお腹から普通に生まれてきます。

桃や竹から生まれてくる恵まれたヤツらとは,ワケが違うのです。

 

もちろん,普通と言っても,子どものいなかった老夫婦が神様に願掛けしてできた子どもということになっています。

ただ,それは平均寿命の短かった昔話の時代のこと。

なんと御伽草紙では,母となった「老婆」が一寸法師を神様の力で産んだのが,41歳の時だったとしています。

いや~,全然若いですよね。老婆ってヒドい。現代ならむしろ女盛り,綺麗盛りでしょう。なんなら一番いい感じで…

 

うん,まぁ要するに,一寸法師はめちゃくちゃ体が小さいというだけで,基本的には普通の人間であり,普通の子どもなんです。

「一寸」という縮尺にデフォルメされていますが,元来は超常的な(おとぎの国の)話ではないのです。

 

 

 

これに対して,親指姫は,もともと花から生まれていますので,いわゆる精霊の類です。

一寸法師よりも桃太郎やかぐや姫に近い存在だと言えます。

必ずしもそのせいではありませんが,二人の生きた世界はまったく異なっています。

 

親指姫は,小さな動物や妖精たちの世界で生き,最後は花の(妖精の)王子様と結婚します。

ずっと,自分と同じ小さな(おとぎの)世界で生きるのです。

我々のような普通の人とは交わらない,閉じた世界の物語です。

 

ところが,一寸法師は,小さな体でありながら大きな世界(私たちの普通の人間の社会)で普通の人として生き,最後は打ち出の小槌で体も大きくなって(普通の人になって),普通の社会の価値観の中で大成功するのです。

私たち普通の人が見たり聞いたりできる,普通の世界の物語です。

一寸法師は,身の丈に合った小さな世界で生きることなど,最初からまったく考えていません。

 

 

 

なので,もし一寸法師と親指姫の奇跡的な出会いがあったとしても,素敵な恋の物語が始まることなど一切なかったと言えるのです。

一寸法師は,モグラに求婚されるような貧乏で小さい女には目もくれず,ただただ大きな世界の金持ち姫様を手に入れることに全力を挙げ続けたはずです。

そして,そこまでの強い野心を持っていなければ,厳しいハンデを背負って生まれた一寸法師にとって,立身出世など到底かなわぬ夢のままだったでしょう。

 

 

こうしてみると,ガツガツして自己中心的な一寸法師の生き方は,すごく嫌われそうですね。とてもじゃないけど,今の時代のヒーロー像には合いません。

ただ,一寸法師のような「強烈な野心」が自然に受け入れられていた時代も,かつての日本にはあった,ということです。

なにか,今がちょっと寂しい気もします。

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2016年

7月

09日

Brexitで分かるあなたの資産運用危険度

イギリスが国民投票でEU離脱を決めた結果,世界経済に多大な影響が及んでいます。

日本の株式市場も,今年に入ってから基本的に下降トレンドが続いており,円高も止まらず,もはやアベノミクスの見る影もない状況です。

投資対象の株価や基準価格が下がって大幅な含み損を抱え,不安で気になって仕方がない方や,売るに売れないと困っている方が多いと思います。

投資信託の買い換えを検討している方なども,たくさんおられるでしょう。

 

 

 

……などという話を聞いて,素直に「そうそう」と思った,あなた。

 

あなたの資産運用は,十中八九,間違っています!

今のままでは,将来的に大切な資産を失う可能性があり,とても危険です。

 

もっと安全で快適な,相場の変動に一喜一憂することのない賢い投資方法こそ,あなたに合っています。

 

 

リスクを承知で,趣味として投資をするのであれば構いません。

個人投資家として収益を上げようとするもの自由です。

まだ20代か30代で扶養家族もない方が積極的にリスクを取った資産運用をするなら,むしろ賢い選択をしているかもしれません。

「男は(女は)のるかそるかでしょ」みたいな考え方も,個人的には大好きだったりします。

 

しかし,大多数の方は,そんなワイルドな考え方をしていないはずです。

それこそ,「虎の子の預貯金を,なるべく安全に,かつ,銀行の定期預金よりは多少マシな利率で運用して,できれば老後の年金の足しにしたい」といったような考え方のほうが,常識的ですし普通です。

私が相談を受けるのは,そうしたごく普通の方々からです。

 

それなのに,相談を受ける立場でその人の実際の資産運用状況を見ると,あまりにワイルドな投資をしているのに驚きます。

 

たとえば,雑誌の株式推奨銘柄を一度にたくさん買い込んでいたり,銀行の窓口で勧められた手数料の馬鹿高いラップ口座を契約していたり,証券会社お勧めの信託報酬の高いアクティブ・ファンドに資金の大部分をつぎ込んでいたり,仕組みもよく分からないまま表面利率の高い外貨を組み込んだ複雑な金融商品を買っていたりするのです。

 

大体,金融機関の勧める商品は,金融機関が儲かる商品です。端的に言って,手数料が高すぎる商品ばかりです。

投資信託には,中身は全く同じなのに手数料や信託報酬だけが何倍も何十倍も,ときには何百倍も違うという商品が,何百本という単位で存在します。

それらの9割以上は,そもそも絶対に買ってはいけない金融商品なのです。

その説明を受けることもなく,何も知らずに,言われるままに投資してしまう人がたくさんいます。

 

あなたが儲かるかどうかは,金融機関には関係ありません。

売買した時点で,金融機関に手数料が入ります。

今回のBrexit(EU離脱の賛否を問う英国民投票)問題のように,相場が動いて売り買いがあれば,その分だけ金融機関が儲かります。

 

しかし,今の相場状況で,十分な投資知識も無い人が短期的な売り買いをすることは,私なら決してお勧めしません。

それを勧めること自体,あなたのためのアドバイスになっていません。金融機関のためのアドバイスなのです。

雑誌だって,金融機関からの広告収入で成り立っているのですから,同じことなんです。

 

もっと長期的視野に立って,いつでも安心していられるような,自分にあった資産運用方法を一緒に考えてみませんか。

 

ちなみに,Brexitだろうが何だろうが,相場の変動を常に嬉しく感じられているのが,正しい投資スタイルです。

だって,変動がないとお金は増えないのですから,それを喜べないなら投資のやり方がどこか間違っているのです。

 

 

 

というわけで,私は弁護士として,依頼者の皆様の資産運用に対するご相談にも対応しています。

相続した財産の運用方法であったり,老後や自分自身の相続に備えた安全な資産形成についてだったり,いろいろです。

主に事業者以外で,資産はあるけれども投資経験は少ない個人の方のご相談ですね。

ただ,これは結構,めずらしいと思います。

 

実は,通常の弁護士は,適法な金融商品や投資について正面から業務で取り扱うことなんて,ほとんどありません。

扱うのは大抵,投資とは名ばかりの詐欺に遭ったというような「事件」のほうです。

成年後見人や破産管財人の業務で他人の金融資産を直接扱う場合でも,単なる維持管理か解約・売却による換価処分のみを行うのであって,資産運用は禁じられています。

そのため,その弁護士が個人的に投資を趣味としている場合は別として,資産運用に関する業務上の知識は乏しいのが,弁護士としてむしろ普通のことなのです。

 

逆に,一部の大企業や金融機関等を相手にする企業法務専門弁護士(いわゆる渉外弁護士等)の場合,たとえ金融等の専門的業務知識があっても,インサイダー規制等でその知識を当該業務外で使うことを倫理的に禁じられていたりします。

また,そもそも個人や零細事業者が関わる民事・家事分野の裁判を扱っていないですし,個人向けの個別金融商品に詳しいわけでもありません。

 

そのため,「資産運用についての法律相談に対応できる弁護士」は,日本では,かなり希少なんです。

 

 

……ちょっと,意外かもしれません。

 

でも,自分でお金について誰かに相談することを具体的に考えてみると分かると思います。

おそらく,知り合いや顧問先でもない限り,あえて「弁護士」に資産運用相談をしようとは思わないでしょう。

税理士とか証券マンとかFPとか,それこそ銀行の窓口で相談することなどが多いはずです。

現実には,お金の「使い道」を弁護士に相談する人はとても少ない,ということです。

 

 

けれども,冷静に考えてみると,それはおかしい気がしませんか?

金融であれ不動産であれ,投資の仕組みや取引の制度を作り上げているのは,すべて「法律」なんです。そもそも自由主義経済システムを成り立たせているルールも,要するに法律です。

法律の万能資格である弁護士が資産運用についての十分な知識を持っていないのは,やっぱり変だと思うのです。

 

それに,普通の人が弁護士と関わる場面では,遺産を相続したり交通事故で賠償金を受け取ったりして,高額なお金を手にして持てあますようなことが往々にしてあります。

しかも,弁護士は,顧問契約のある事業者の方に対しては,資金の使い道を含む経営や事業計画上の相談には乗っているのに,同じく顧問契約がある個人のご相談になると,とたんに「個人のお金の使い道はアドバイスできないから,大損をしても私は知りません」というのでは,あまりに冷たいんじゃないでしょうか。

 

逆に,「何でも相談できる」(トータルなアドバイスが期待できる)というのは,他の士業・専門家には不可能で,弁護士だけが実現できる圧倒的付加価値であると思います。

 

 

 

実際のご相談は,個々人の資産状況や投資に対する考え方などを十分把握してから継続的にサポートを行うため,顧問契約を前提とすることが多くなります。当サイトの 顧問契約のご案内 もご覧ください。

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2016年

8月

06日

嫌われ者の物語

先日,弁護士会の委員会の仲間たちと趣味の話をしていたとき,ある女性弁護士が「バードウォッチング」だと言い出したので,ちょっと驚きました。

単純にめずらしいからというわけでもなく,自分の子ども時代を懐かしく思い出したからです。

おぼろげですが,小学生のときにクラスで作った文集か何かに,自分の趣味を「バードウォッチング」と書いた記憶があります。

 

 

昔から鳥が好きで,小さい頃から鳥類図鑑を眺めたりしていました。

それで,どうしても自分で鳥の写真を撮りたくて,お小遣いを貯めてニコンの一眼レフカメラと望遠レンズを買い,休日には自転車で野鳥が多いという森まで遠出して,蚊に刺されながら小鳥を狙って撮っていました。

今思い出すと,森というか,ちょっとした雑木林なんですけどね。

 

で,問題なのは……,鳥って,すぐ逃げるんですよ。

当たり前ですけど(笑)。

 

「バードウォッチング」なら鳥を「見れば」いいのですから,望遠鏡(双眼鏡)で遠くからじっと見ていればいいわけです。双眼鏡なら,それなりのものがすぐ手に入ります。

ところが,鳥の「写真を撮りたい」となると,カメラと望遠レンズが必要です。

 

望遠レンズと言っても,当時のものは200ミリを超えればそこそこの性能です。憧れたのは,プロも使うようなサンニッパ(300ミリ/f2.8)とかゴーゴーロク(500ミリ/f5.6)とかなのですが,レンズが巨大なうえに価格も巨大で,すぐあきらめました。

それでも私は,小学生にしてはかなり頑張って,ニーニッパ(200ミリ/F2.8)で勝負していました。

でも,200ミリって……。

頑張って近づいて撮ったはずの鳥が,豆粒のように小さい……。

しかも,非デジタルの銀塩カメラですから,現像代がまたバカになりません。

残念ながら,趣味としては長続きしませんでした。

 

今はコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)でも500ミリどころか1000ミリ以上の超望遠が気軽に使えますし,何千枚と撮りためてから自宅でじっくり選んで手軽にプリントできるのですから,本当に便利になったものです。

 

 

 

鳥の写真を撮ろうと思った直接のきっかけは,「ウッド・ノート」という漫画でした。

主人公の高校生・唐須一二三(からすひふみ)はハシブトガラスの九郎を飼っていて(一緒に暮らしていて),九郎は九官鳥のようにちょっと言葉を話したりするので,それがすごく可愛いというか,小憎らしいというか。

以来,カラスが好きです。

 

委員会の仲間たちとの話でもカラスのことが話題になりましたが,カラスの頭の良さは格別です。言葉を覚えることも,本当にあります。

また,今では怖いとか気色悪いというイメージのついてしまった嫌われ者のカラスですが,もともとは美しい鳥です(ハシブトガラスは,ちょっとでこっぱちでユーモラスな顔ですが,ハシボソガラスは凜としています)。

日本女性の黒髪の理想の美しさを表現する「濡烏」(ぬれがらす)という言葉は,カラスの青みを帯びた漆黒の羽色を指しています(烏羽色とも言います。)

 

さらに,カラスは世界各地の神話で,神の使いとされています。

 

ギリシャ神話で,カラスは,太陽神アポロンに仕え,白銀色に輝く羽を持ち,美しい声で人の言葉を話す頭の良い鳥でした。

ところが,あるときカラスがアポロンの妻コロニスの浮気を密告したことから,アポロンはコロニスを矢で射殺してしまいます。

その後,我に返ったアポロンはカラスを恨み,美しい羽と声を奪って天界を追放しました。

以後,カラスの羽は真っ黒に染まり,低く醜い声で鳴くことしかできなくなったというのです。

 

そんな話を知ったら,嫌われ者のカラスを見る目が,少し優しくなる気がしませんか?

……カラスに限らず,どんな嫌われ者にも,知られざる物語がきっとあるんです。

 

 

これを書いていて,ウッド・ノートの作者小山田いくさんが今年の3月に亡くなられたことを知りました。

また,小山田さんが,たがみよしひささん(こちらも漫画家)の兄だということも初めて知って,二度驚きました。

 

この夏,久しぶりに「ウッド・ノート」を読み返したいと思います(長く絶版でしたが,今は復刻されています)。

 

 

皆さんも,夏休みに,とっくに忘れていた昔の趣味を,ちょっと思い出してみてはいかがですか?

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2016年

9月

24日

秋田に古代日本を訪ねて

埼玉弁護士会の犯罪被害者支援委員会委員として参加した「第19回 犯罪被害者支援全国経験交流集会」の裏報告です。

前回は金沢でしたが,今回は秋田まで行ってきました。

 

交流会の真面目なご報告は事務所の公式ブログでしておりますので,大人の法律夜話では,もう少し人間くさいお話をいたします。

ご期待に添えますかどうか……。

 

 

 

 

それでは,こちらをご覧ください。

奈良時代の先進的施設です

はてさて,これはいったい何でしょうか?

 

この建物は,奈良時代(8世紀中頃)のものが再現されています。

天平宝字4年(西暦760年)ごろ,「秋田城」と呼ばれていた官庁地区の一画です。古代の風を感じたくて,秋田市街からバスで少しだけ足を伸ばしてきました。

 

当時の秋田城は,出羽国の国府が置かれた政治拠点であり,北海道にまで及ぶ蝦夷の人々を従えた軍事拠点であるとともに,大陸の渤海国(中国の東北部にあった国)から日本への使者を迎える交易と外交の一大拠点でもありました。

再築されている奈良時代の城門構えも,こんな感じで,なかなかのものです。

秋田城の城門

最初の建物に戻りますね。

 

この建物を使ったのは,現地の日本人や蝦夷ではなく,もっぱら渤海国などから受け入れた外交使節たちであったと想像されています。

 

質素ですが,しっかりとした造りで,中は3つの個室に分かれています。

ちゃんと個室に分かれています。

そろそろ,お気づきでしょうか?

 

個室内には,二本の板を渡した大きな穴と水瓶,柄杓,そして何本かの木の棒が備えられています。

終わったら柄杓で水を流します

 

 

 

 

ことが済みますと,柄杓で水を流し,備え付けの木の棒で後始末します。

 

木の棒は「籌木」(ちゅうぎ,ちゅうぼく)と言われ,使い捨てではありません。とってもエコなのです。

 

別名,クソベラ……。

 

 

 

えー,すごい名前が出てきまして,これ以上の深入りはもう避けますが,何でも「ほじくって使う」らしいですが(まったく避けてないですが),要するに個室水洗トイレです。

 

そう思って建物を見ると,3つの個室から外に向かって水が流れる構造になっているのが分かると思います。

傾斜の内部では木製の配管が埋め込みでつながっており,最後には受水槽の上澄みだけが自然に沼に流れ込むという豪華仕様です。

渤海国の使節たちは,どういう気持ちでこのトイレを使っていたのでしょうか。

リアル版「テルマエ・ロマエ」の世界が,奈良時代の秋田の地で繰り広げられていたのかもしれません。

 

秋田城自体は10世紀の中頃から後半頃までの歴史がありますが,水洗トイレが使われていたのは8世紀の終わりから9世紀のはじめ頃までだったようです。

 

 

 

ちなみに,トイレのことを厠(かわや)と言いますが,その語源も実は「水洗トイレ」です。

しかも,こちらの水洗トイレは何と「全自動」で,その歴史は奈良時代よりも遥かに古いんですね。

 

まず,川の流れに板を渡し,次に,その上でイタします。

すると,自動的に川がすべてを水に流してくれるというわけです。

これを,「川屋」(かわや)と呼んだそうです。

 

 

 

以上,人間のクサいお話でした。

だから何だと言わず,どうぞ水に流してくださいませ。

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2016年

10月

22日

トランプ・リスク

米国の大統領選挙が佳境に入りました。

 

当初,トランプ候補がこれほどの嵐を巻き起こすとは,なかなか予想できなかったのではないでしょうか。

だって,普通に見たら,ちょっとえらそうで下品なおじさんですよね。

せいぜいほめても,親分肌で頼りがいがあって,ものすごい大金持ちで,やたらとジョークを飛ばすおもしろい人,といったところでしょうか。

その彼が,約半数の米国民から今も大統領候補として支持されています。日本人には理解しにくい現実です。

 

株式・金融市場では,トランプ候補が大統領になったらアメリカ経済(ひいては世界経済)に革命的な混乱が起こるかもしれないと不安視されており,トランプ氏の支持率が下がると,「トランプ・リスク」が下がったと喜び,それで株価が上昇したりしています。

もしトランプ大統領が誕生すれば,ヒトラーの再来だと危惧する人もいます。

 

もっとも,じゃあクリントン候補がいいのかというと,けっしてそうではないでしょう。

実際,「クリントンさんなら最高だね」なんていう話,日本では聞いたことがありません。

 

 

 

日本の場合,「内閣総理大臣は,国会議員の中から国会の議決で,これを指名する」(日本国憲法67条1項)とされています。

国民が首相(総理大臣)を直接選ぶことは,できません。

日本で首相公選制を実現するには,憲法改正が必要です。

 

「リーダーを自分たちで選べないから,国民が政治に興味が持てないんだ」

という意見も,根強く主張されています。

だからこそ憲法改正すべき,という意見もあります。

 

つまり,そういう意見の人にとっては,

「大統領を自分たちで選べるアメリカが,うらやましい!」

「クリントンとトランプ,どちらかを好きに選べるなんて,なんて贅沢なんだ!」

というわけですね。

 

 

……あれ? もしかして何か違います? でも,そのはず,ですよね?

 

 

 

日本で首相公選制をやっても,出てきた候補者に対して,アメリカのような信頼や熱狂は生じない可能性が高いでしょう。

いや,生じたとしたら,かえって怖いと思いませんか?

トランプ候補のジョークに,日本中で熱狂したいですか?

 

 

正確に言えば,アメリカ大統領選挙は間接選挙です。有権者である国民が選ぶのは選挙人(実際に特定の候補者への選挙権を持つ人)であって,候補者その人ではありません。

ただ,選挙人が自分の支持する候補者を事前に発表しているので,結果的に候補者本人への投票(直接選挙)と同じことになっているだけです。

 

つまり,日本でも,すべての国会議員候補者が首相として支持する人をあらかじめ明言した状態で総選挙を行えば,米国の大統領選挙とほぼ同じ状況は作れます。

国民の側が政治に対して強い意思を持ちさえすれば,いくらでも実現できるでしょう。

アメリカをうらやましがる必要も,憲法改正の必要もありません。

 

 

私たちはつい,何でもいいから国民が選べるようにすれば,政治(指導者)がもっと国民の声を聞いてくれるのではないかと単純に考えがちですが,それは違います。

国民が選べるということは,その人に対して,より大きな権力を与えるということです。

そして,国民が選んだからと言って,選んだ後もずっと国民の言うとおりにさせられるとは限りません。

むしろ逆です。

選んだ以上,後は任せる(好きにさせる)という色彩が,より強くなります。

 

国民の側で政治への関心が低く,それでなくても政(まつりごと)を御上(おかみ)に任せっぱなしにしがちな国民が,一度に一人の人間に権力を与えてしまうことは,極めて危険です。

選ぶだけなら一瞬です。選んだ後にこそ,長く,辛抱強く,関心を向け続ける必要があるんです。

 

日本のように,御上任せの結果として行政府(内閣,官僚組織)が暴走しやすい傾向にある国では,国家権力をなるべく分割して,暴走しないよう相互抑制を効かせ,選挙などを通じて国民が権力間のバランスを常に維持していくことが非常に効果的です。それが結果的に,権力から国民を守ることになります。

それこそ,日本国憲法の定める三権分立(国会,内閣,裁判所)の統治機構です。

憲法をよく知れば知るほど,意外なほど「よくできている」ことが分かるはずです。

 

 

今,日本は選挙に行かない人が,すごく多いですね。とても残念なことです。

 

私の身勝手な印象ですが,普段,政治に関心が無い,選挙に行かない人ほど,

「自分で首相を選べるわけでもないし,投票してもどうせ何も変わらないから,選挙にはいかない」

「内閣総理大臣を選べるんなら,選挙に行ってもいい」

などと,よく口にされるように思います。

 

もし,そうした私の印象が正しいとしたら,首相公選制になったとき,普段は政治に何の関心も持たない有権者が首相に選ぶのは,一体どういう人でしょうか?

そして,その人に絶大な権力を与えてしまった後,一時の熱狂を忘れた有権者は,長期間,辛抱強く,その人の政治行動に関心を向け続け,権力を国民の監視下に置くことできるでしょうか?

 

今後,日本国民の政治への関心と責任感が高まり,投票率が70%とか80%とかになって,それでも選挙後の公約違反が絶えなかったりして国民の多数が首相公選制(あるいはそれに近い形の総選挙)を強く求めるようになれば,日本の民主主義は,新しい,本物の時代に入るでしょう。

 

しかし,今のように投票率が低い状況で(低いからこそ)議論されるような首相公選制の意見は,「まやかし」の匂いがプンプンします。

 

 

 

さて,日本では,どちらかというとトランプ候補が悪玉で困った人扱いです。

けれども,私は,クリントン候補の勝利こそ,日本や世界に本当の危機を引き起こすきっかけになるのではないかと思っています。

 

彼女が大統領になったとき,否,なるとすればその前の今この瞬間にも,それは,もう既に始まっているはずです。

 

だって,大富豪のプレーヤーが最強札のジョーカー(Joker:ジョークを言う人)を出しても負けてしまうってことは,その時,もう既に「革命」は起きているはずだと思うんですよね。

……「トランプ」だけに。

 

 

 

 

 

 

※ 一応,蛇足の解説を入れておきますと,トランプの「大貧民」ゲームではジョーカーが最強のカードですが,4枚以上のカードが同時に出て「革命」の起きた状態では,カードの強さの順序が逆転し,ジョーカーが最弱のカードに変わります。

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2016年

11月

29日

弁護士が専門分野に悩んでライラライ

弁護士として,皆さんから最も多く受ける質問なのに,実は最も答えにくい質問というのがあります。これです。

 

 

 

「先生のご専門は?」

 

 

 

この質問,日本の弁護士の圧倒的多数は,うまく答えられません。

 

……などという話をすると,今度は,

 

 

 

「え!? なんで専門分野を答えられないの? 嘘でしょ? ないの?」

 

 

 

とか言われたりして……。

 

 

 

嘘じゃありません。

 

医師と異なり,弁護士は専門分野に分かれていません。

特定の分野の特定の弁護士を除くと,多くの弁護士は「何でも屋」です。

 

 

医師の世界でも,大学病院などの専門分野に特化したお医者さんと対比して,地域に根ざして近所の住民の病気を何でも看てくれるお医者さんを,「町医者」と呼ぶことがありますね。

同じように,地域住民の法律問題を何でも取り扱う弁護士を「町弁」と呼んでいます。

そして,それが弁護士の多数派です。

 

何でも取り扱う町弁が,あえて専門分野を尋ねられると,非常に答えにくいのです。

 

(ちなみに,特定の分野の代表格は,国際取引や大企業相手の仕事しかしない渉外企業法務系の弁護士です。私たち庶民が彼らを肉眼で見ると目がつぶれるという言い伝えがありますので,決して関わらないようにしましょう。)

 

 

 

 

「でも,最近は○○専門という弁護士や法律事務所のホームページも多いじゃないか」

 

 

 

と思われるかもしれません。

 

その通りです。

 

だって,自分で「専門」を名乗ることは誰にでも出来ますから。

 

「専門」を名乗るだけなら,別に裏付けとなる知識や経験は必要ないのです。

いつでも誰でもすぐにでも可能です。

実際,弁護士になったばかりの新人や,まだ経験の少ない若手の集まった法律事務所が,「○○専門」というホームページを同時にいくつも立ち上げてウェブで集客することが,今は当たり前になっています。

 

そういう問題があるので,日弁連では全国の弁護士に対し,原則として「専門」という表記や広告を避けるよう指導しています。

もちろん,取扱分野をあえて狭く限定して実績を積んでいるとか,弁護士としての実務経験に即して特定の分野での優位性に十分な理由があるなら,「専門」を名乗るのに何も問題ありません。大切なのは,常に勉強し続ける姿勢です。若手だろうが何だろうが,特定の分野だろうが幅広い分野だろうが,努力し続ける者なら,いずれ本物の専門性を獲得します。

ただ,そういった根拠ある専門性の有無を誰が保障してくれるのか,顧客側にその判断ができるのかが,大きな問題になります。

 

 

ここ法律夜話は,話の分かる大人のためのブログなので,思っていることをそのまま書きます。

 

弁護士以外の人が弁護士の専門性を適切に判断するのは,現時点で,ほぼ無理だと思います(分かる場合もありますが,常に分かるわけではないという意味で)。

いくつもの弁護士のHPを見比べてみるほど,余計にそう思います。

特に,弁護士や法律事務所の比較サイトは,まったく使い物になりません。

 

そして,続けてこうも考えるのです。

 

 

 

「私も,法律以外の分野で商品や取引先や専門家を選ぼうとするとき,同じようにホームページや比較サイトを頼って探したり比較したりしているけど,それって,その分野のプロ中のプロの立場から見ると,きっと,ものすごく不適切で,あてずっぽうで,危険な選び方をしているんだろうなぁ……。」

 

 

 

本当に信頼できる専門家を探すというのは,誰にとっても難しいですね。

弁護士だって(弁護士が別の分野の専門家を探すときだって)同じなんです。

この分野ならこの人と思う知り合いがいればいいのですが,大抵は,必要になったときにはじめて,場当たり的に,「どうしよう,どこにしよう,誰にしよう……」と,右も左も分からず悩みながら,おっかなびっくり探すんです。

怖いことです。恐ろしいことです。

おぉ神よ。彼を救い給え!

(ライラ ライラ ライラ ライ……)

 

 

 

本物の専門家を真剣に探している皆様に,どうすれば適切に自分の専門性を伝えることが出来るのか?

これからもずっと悩みながら,この法律夜話や事務所ホームページ等での情報提供の仕方について,工夫していきたいと思います。

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2017年

3月

21日

「アネモネ独立宣言」

「人生の歴史において、ある人が、他のある人々と結び付いてきた法律的な絆を手放し、さらに広い世界の人々の間で、あらゆる法によって与えられる独立平等の地位を占めることが必要となったとき、全世界の人々の意見を真摯に尊重するなら、その人は、自分が独立する理由について公に明言すべきであろう。

 

わたしは、以下の事実を自明のことと信じる。

すなわち、すべての人は生まれながらにして平等であり、自ずからにして、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。

こうした権利を確保するために、人々の間に法律事務所が樹立され、弁護士は依頼する者の合意に基づいて正当な代理権を得る。

そして、いかなる法律事務所であれ、弁護士がその目的にかなうためのさらに素晴らしい組織を生み出すことができるようになったときには、人はその弁護士に独立を求め、新たな法律事務所を樹立し、人の安心と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人の安心と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の新たな法律事務所に依頼する権利を有するということ、である。

 

そしてその権威において、以下のことを厳粛に公表し宣言する。

 

すなわち、――わたし、独立します。」

 

 

 

 

……えー、つまり、わたくし弁護士吉岡毅は、このたび2017年3月27日(月)をもって独立開業することとなりましたので、ご報告いたします。

 

弁護士となって早12年目(11年半)、弁護士としての第一歩を踏み出して以来、ながらく経営弁護士としての人生をともに歩んできた「浦和法律事務所」を離れ、JR京浜東北線の北浦和駅西口前(徒歩1分の場所)にて、新たに『アネモネ法律事務所』を開所いたします。

 

昨年終わりころから開所準備に追われていたため、ブログ『法律夜話』の更新もおろそかになってしまいました。申し訳ありませんでした。

(予想外にフラフラになって、立て続けに大きなケガをしたりもしました。)

近く、このサイト『法律夜話』も、リニューアルする予定です。

ブログも再開しますので、引き続きご愛読ください。

 

 

 

 

さて、アネモネは、春に咲くとても綺麗な花です。

 

その名は、ギリシャ語で「風の花」を意味します。

ギリシャ語の「風(アネモス)」は、ラテン語の「生命、息、心、魂(アニマ)」と「意志(アニムス)」の語源でもあります。

アネモネは、意志と生命の風を吹き込まれた特別な花なのです。

 

たくさんの色と種類があり、花言葉も多いのですが、その中に“真実”と“希望”という二つの言葉がありました。

これを見た瞬間、わたしの中で「真実を希望に」変える『アネモネ法律事務所』が、もう出来上がっていました。

 

 

 

 

というわけで、最初に書いた意味のよく分からない文章は、1776年7月4日の「アメリカ独立宣言」のパロディです。

単純に語感が似ていたので、思わずパクりました。

 

ちなみに、独立宣言の原文は、もっと分かりにくいです。

 

よく、日本国憲法が英語の翻訳だから悪文だとか、分かりにくいとか言う方がおられますが、そうじゃないと思います。

独立宣言だって、十分、分かりにくいですよ。あ、翻訳文としてではなく英語原文でも、という意味です。

 

天下の名文と言われる「出師表」(三国志の蜀の軍師・諸葛亮孔明が、主君劉禅に北伐を説いた上奏文)だって、分からない人には何のことやらまったく分からないです。

その内容の価値を認めない人が、文章だけを評価することは不可能でしょう。

 

流行の小説について、「面白いけど軽薄で中身がない」などと評する人もいますが、面白いならその文章には面白いと思わせるだけの価値があるはずです。面白いと思わない、というのならわかりますが。

 

わたしは、美しいだけで中身のない文章など、基本的に存在しないと思っています。

絵画なら、美しいだけで、それ以上のメッセージ性がなくても評価できます。というか、美しいということが最大のメッセージなワケです。

しかし、文章は、人に意味を伝えるためにあります。ただ美しいだけ、というワケにはいかないのです。

それは、おそらく、たった一文字の「書」であっても同じでしょう。

そこが、絵画と文章の違いです。

 

 

 

けれど、なにごとにも例外はあります。

 

中身を考えるまでもなく、というか、考えることが許されないくらいに、ただただ美しい文章も存在します。

それが、「大手拓次」の詩です。

 

独立を記念して、大好きな拓次が「わが最初にして最後の里程標なり」と書いた傑作、『風の言葉』の一節を、美しい風の花「アネモネ」に捧げます。

 

 

……

風は 微笑の丘をきずつけて めぐり

うつうつとした うまれない花の幻を うばふのだ。

風は ところもあらず しろいかげをよびかはし、

まよひゆく ひとみのやうな大空をゑがくのだ。

風は とぎれとぎれに はなれゆき、

すがたもない 心のたそがれを みおくるのだ。

風の脚は くさのあひだに いざよひ、

また みづのおもてに 眠り、

はつるところなく その波立てる小径をあゆみ、

うすぐもる 黄金の鐘を 鳴らすのだ。

 

(『大手拓次詩集』/岩波文庫)

 

 

 

アネモネ法律事務所についての詳細は、コチラのHPをご覧ください。

 

アネモネ法律事務所公式サイト

www.anemone-law.com

 

 

 

新事務所での業務開始は3月27日からとなりますので、ご注意ください。

 

皆様、アネモネ法律事務所と弁護士吉岡毅を、今後もよろしくお願いいたします。

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2017年

5月

03日

ロゴの秘密

世の中は、ゴールデンウィークですね。

 

例年、GWには長期休暇をいただいてリフレッシュを図ることが多かったのですが、独立したばかりの今年は、暦通りの業務です。

というか、休日に入ってもお仕事続き。今年に入ってから、まだ一日も休みという休みが取れていません。

独立のための諸事情もありますが、ありがたいことに独立後も今まで通りたくさんのご相談、ご依頼をいただいていて、とても充実感のある忙しさを味わっています。

でも、このGW中に少しくらいは休んで、久しぶりに美術展や映画でも楽しみたいところです。

 

 

美術と言えば、アネモネ法律事務所のロゴマーク、いかがですか!?

アネモネ法律事務所のロゴマーク
アネモネ法律事務所エントランス・ロゴ

ちょっとアールヌーボー的で、ちょっぴりアルフォンス・ミュシャの雰囲気があると思いませんか?

というか、そういう雰囲気になるようにと願って作ったものです。

自分でもとても気に入っているのですが、中央に配置されたアネモネの花のシルエットラインがかなり細かくて、印刷などでは結構気を遣います。

 

 

ちなみに、はじめてこのロゴを見たある先輩弁護士から、

 

「このマーク、かっこいいね~。で、この真ん中にあるアライグマのマークは何?」

 

と尋ねられました。

 

 

えー。

アネモネなんですけど。

アライグマって。

全然関係ないし……。

ぜったい、「かっこいい」とか思ってないよね、あれは。

しかし、だいぶ酔っ払っていたとはいえ、どうやったらアライグマに見えるのだろうか???

 

 

人間の視覚、知覚というのは、とても不思議です。

最近も、人によってまったく違う色に見える画像とかが話題になりました。

 

わたしの「赤」とあなたの「赤」が同じだという保証は、この世のどこにもありません。

というより、ほぼ100%の確率で、違う色でしょう。

 

もし誰かと視覚をまるごと交換することができたなら、想像もつかないような色と形の新しい世界を経験できるのかもしれません。

 

 

 

そもそも、わたしたちが目で見ている世界は、実際にそういうものとしてそこにあるのか。

それとも、私たちの脳がそういうものとして作り上げているだけなのか。

 

わたしにとって、それは、物心ついたころからずっと続くこの世界への根本的な疑問でした。

 

なぜなら……

 

 

 

わたしの右目と左目は、見える色が、それぞれ少しずつ違うからです。

 

 

 

わたしはいつも、赤い世界と、青い世界を、左右それぞれの瞳で、別々に見ています。

 

なので、両目を一緒に開くときだけ、(たぶん)普通の色の世界になります。

まぁ、それが「普通」だという保証はどこにもないわけですが。

 

色が違うと言っても、左右の色の差はそれほど大きくありませんし、いわゆる色覚異常はありません。ただ、白っぽいものを片目ずつ見ると、左右にはっきりとした違いがあります。

色の違いの程度は、その日の体調などによって結構変わります。

なにより本当に不思議なことに、左右の瞳に映る赤と青の色は、まれに入れ替わることがあるのです。

 

 

つまり、わたしにとって、見えているものと客観的に存在するものとが、理屈ではなく体験として、そもそも一致していないということになります。

 

 

 

そんな人間の知覚の曖昧さを考えれば、アネモネがアライグマに見える人がいるのも、仕方のないことかもしれません。

 

だから、アネモネロゴをアライグマと言われてもまったく気にしてませんからね、O先生!

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